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あと何回花見ができるか考える

とあるポッドキャストで、「残りの人生で、あと何回◯◯ができるのか考える」とコメントした方がいた。

子どもの頃は、時々死について無性に怖くはなるけれども、明日も明後日もクリスマスも誕生日も、必ず来るものと疑わなかった。

田舎に行って、帰りに祖母がずっとずっと私たちを乗せた車を見送ったり、「次はいつ会えるか、、、 」みたいな言葉は、そのままの意味でとらえていたが、今は少しわかる。

「明日は来ないかもしれない」
のだ。

人間は、喉元過ぎたら忘れる楽観的な生き物なので、ついつい忘れるが
明日が我が身に必ず来るとは限らない。

新年の石川地震で、2011年を思い出し
身近な人の大病で、有限の命を痛感し
有名人の逝去で、死は等しく訪れると再確認する。

だからこそ、本来は1日1日が大切で
噛み締めなくてはならない側面もあるのだが
どうしても、はやく時が過ぎて欲しい時もある。

桜が咲くのを待ちわび
散りゆく桜に、何かしらの儚さを感じながら
なんとはなしに
「あと何回花をみられるか、、、」と急にセンチメンタルになるのは、この時期ならではだ。

ついつい私たちは、明日も明後日も夏休みも来るものだと思い違いをするが、来ないことだってある。

だからこそ、ちょっとだけでも
「今日は、楽しかった!」
と思える日々を、ちょっとだけでも増やしていきたい。

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