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私の音楽遍歴 前編

自分史的に振り返ろうと思い書いてみました。

1970年代後半

70年代後半、五つ上の兄が聴いていた「Billy Joel」、「Eagles」に興味を持ち始める。
当時は小学校中~高学年。
ちょうど「Billy Joel」は78年に『ニューヨーク52番街』をリリースし大ヒットした後だった。「Eagles」は76年発売の『ホテル・カリフォルニア』と、名作をほぼリアルタイムで聴けたことはありがたいと思う。

それ以降いわゆるTOP40ものに興味が移っていく。

1980年代前半

まだ小学生だった頃は自分の小遣いでレコードを買うなんて出来なかったので、兄のカセットテープを拝借して色々聴いていた。
ようやく中学生になり、初めて自分の小遣いで買ったのが「WHAM!」の『メイク・イット・ビッグ』。擦り切れるほど聴いた。

同時に「Culture Club」、「Duran Duran」にも大きくハマる。
この時中学1年生。

中学二年生になるころ、転機がある。「KISS」との出会いである。
『地獄の回想』というアルバム。メイクを取った後に知るという遅い出会い。しかしそこから古いアルバムを買うために新聞配達のアルバイトを始め、月に1枚ペースでバックカタログを揃えていった。

中学三年生になるまで「KISS」だけではなくちょうど時代を席巻していたLAメタル、今で言うヘアメタルに大ハマり。「RATT」、「Motley Clue」はもう憧れの的で、ここからギターを欲しがる。というタイミングで兄の友人がグレコのレスポールをくれた。なんてラッキーで恵まれていると今でも思う。もう弾きまくりの毎日。

1980年代中盤

それと同時に私の住む田舎ではほぼ情報などないバンドに出会うことになる。この出会いは今の私の音楽の8割以上は占めているように思える。
レコードやカセット以外で音楽を聴く方法はエアチェックしかなかった。FM雑誌をマーカーでチェックしたり。そしてそのFMから流れてきた曲で衝撃的な出会いが起きる。
「The Smiths」だ。
ハードなギターばかり聴いてきた自分にとって、ジョニー・マーのまるで歌っているかのようなギターは完全に天地がひっくり返った。そしてモリッシーのバリトンなボーカル。こちらも高音シャウトばかり聴いていたので一発で夢中になった。おかげで2023年の今現在の私のメインギターはジョニー・マーのシグネイチャーモデルだ。

まずこの曲で持っていかれた。

そしてこれ。

世界観にもどっぷりつかってしまい、中二病になるという副作用もあった。

こじらせ始めた私は更にこじらせる。
ダークでソリッドなサウンドを求め、出会ったのが「BAUHAUS」。

ダニエル・アッシュのカミソリのようなギターサウンド、アクション、見惚れた。

今聴いてもぞくぞくする。

1980年代後半

高校生になり相変わらずメタルやSmiths、BAUHAUSなどポストパンクは聴いていたが、バンドを始めたことで聴く音楽が変わっていく。というよりもコピーするのに聴くようになる。まずは「BOOWY」だ。私が高校一年生のときに解散したため、リアルタイムではほとんど気が付かなかったのだ。そして「BUCK-TICK」。彼らがまだメジャーデビュー前の全国ツアーで私の地元のライブハウスに来ることとなり、曲も全然知らないまま現地スタッフとして参加。その模様は書籍「バクチク現象」にも収められている。
直接観て、メンバーの皆さんと話したせいもあり「BUCK-TICK」は本当に好きである。曲もポストパンクの小ネタがあったりポストパンク小僧の私はもう嬉しくてたまらないくらい。

そして平成へ

高校三年生のときに平成になった。

洋楽はもちろんのこと、邦楽、特にインディーズに夢中になる。
今でも活躍中の「D'ERLANGER」がアルバム『LA VIE EN ROSE』をリリースし、自分のバンドの方向性もこの方向にシフトする。
とにかくバンド活動に影響を与えたバンドである。

次回は90年代を書きます。

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