今の生業と先の仕事、そして芸術とか。
「いま自分がやっていることってなんなんだっけ?」
ふとした瞬間に我に返ったとき、手に付けてるものの価値が高騰することもあれば、急落することもある。
最近、とある本を読んでいて、次のような文章を見つけて、こいつはズッポシはまることばを見つけちゃったぞ、と思ったのだった。
農家の思想では米を作ったり、野菜を栽培するといった、現状維持しながら食いブチを稼ぐ作業を「生業」といい、まだ整理されていない土地を耕したり、田んぼのあぜ道を整えたりという、これからの発展を考えた作業を「仕事」という。
この基準をもってして自分の所業を考えてみると、時間軸を現在だけなく未来にも、過去にも持っていくことができる。
現在という地点で現在やっていることは、過去からどんなつながりがあって、未来ではどうつながっていくんだろう?
あまり未来のことばかりを考えすぎて、現在がおそろかになるのも考えものだが、ときどきは、SF映画の主人公のようにひょんなことからタイムマシンを手に入れちゃって時空旅行をしちゃったぜ、くらいのノリであれこれ過去に未来に思い馳せてみるのはいいもんだ。
さてさて、ぼくはどんなもんだ、と現在のもろもろを考えてみると、生業をおろそかにしていて、仕事のほうに憂いたり喜びを見出したりしながら、のっそりとしている状況なのだろう。良いのか悪いのかは、よくわからない。
さきほどの言葉を連ねた著者は、「生業」ばかりで「仕事」はまったくしてないが、それを憂う様子はひとつもなく、それ以上に「芸術」ができていないことのほうが問題だと語っていた(それから芸術とセックスの関係性をジジババの性のリアルを引用しながら烈々に説いていた...)。
そんなことを読みながらも、芸術がなんたるかを知らないくせに同じく芸術というやつに盲目的に惹かれているわたし。とにかく、生業と仕事のバランスを整えつつ、いつか辿りつけたらいいな、とひたすらに思う。
ちなみに、その著者、生業ばかりと言ってたものの、あちらこちらから舞い込んできたそいつらがいい方向にローリン(グ)したのか、今じゃ文章の人というよりも、(ぼくが思うだけかもしれないが)ド真ん中・オブ・ザ・芸術に身を置いてる人という世の認識のほうがメジャーな気もする。
とにかくぼくは昨今のジジババの性欲についてリサーチせねばいかん。そんな気ばかりが立ってしょうがねえのです。
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