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「稼ぐ」を追って、タイムマシンにのって

西村さんの書いた「ギルドハウス十日町は雇用を創出するのか。」を読んでみると、最近の自分のちょっとしたテーマ「経済とは、お金とは」を考えるためのワードが並んでいて、うれしくなった(助けられた)。

いまあなたがもらっている給料って、本当に必要十分で価値あるものですか?家賃や食費を稼ぐために、必要以上の時間をかけていませんか?自分の時間を奪われていませんか?だからやりたいことを見つけられないし、好きなことができないんじゃないんですか?
「稼ぐ」という言葉は、もともとお金を得るという意味ではなかったんです。仕事において、いつのまにか「報酬=お金」となっていったんでしょう。

"貨幣経済"だけではない、経済は事実あるわけで、評価経済だかとかもその一つとして、お金以外のもので、モノやサービスと交換することができるのだ。それは、実は振り返ると、日本の"昔ながら"にもあったし、それは地方にはまだまだ残っている習慣とも言える。

「物々交換」だけではなく、「物技交換」や「技技交換」など、さまざまな形があるが、基本的には相手との関係性が根底にあってこそ、行われるもの。

関係性がないからこそ、お金でのやり取りのほうがうまく進むこともある。逆に言えば、関係性を築きたいときにお金以外の価値でやり取りすることも、一つのコミュニケーションの選択肢としてあるだろう。

ぼくが体験した「ブロガー・イン・レジデンス」や「ワーキングステイ」などは、情報発信(技)の代わりに、宿(物)を提供してもらうような交換だったかと思うが、それによって、これまで得れなかった体験はもちろんこと、現地の方たちの関係性というお土産をもらった気がする。

これは、ただお金を出して、その地を訪れるだけでは決して築けなかったものだとも思う。

もちろん、お金が大事なものなのは確かなのだが、そのお金を得るためにヒイヒイして自分にとって心地よい時間を手放しているとしたら、それはもったいない。

そもそもの「経済」に対する考え方が変わらなければ(ある意味、暮らしにおけるパラダイムシフトが起きなければ)、新しい暮らし方の選択肢はできないのかもしれない。"そもそも"を疑い、問い続けることは大切なこと。

都会の引力にやられているなら、一度、観光とは違った目線で、田舎を訪れてみるのは暮らしの幅を広げるためのいい一歩になるだろう。その場所としてのギルドハウスでもあるはずだ。

辞書で調べてみると「稼ぐ」の意味は「仕事の励むこと」だった。現在は「働いてお金を得る」になってるかもしれないけど、この言葉の意味を追ってタイムマシンにのって遡りながら、仕事のあり方について、そして、なんのために仕事をするのかについて、もうちょっと考えていきたい。

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