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苦しい経験は誰かの為にあったのかもしれない

助産学生時代、学校や実習でトラウマになるほどのことを経験し、時間がたっても頭の中でそれがフラッシュバックしてまた怖くなり、自分が嫌になるという経験をした。思い出すたびに辛くなるし思い出したくないと思っても頭に出てきてしまう。そんな状態が続いていた

実習が終わり、学年が上がり後輩が入ってきた。

数ヶ月経って元気がない表情をしていたので後輩の話を聞くと、去年の私と同じ状況に陥っているように感じた。

手に取るように彼女の気持ちがわかり、去年の経験をいかして少しでも彼女の助けになりたいと思った。話を聞いて、共感して、彼女と一緒にたくさん気持ちを吐き出していったその時初めて私は

「あーあの時の経験はこの子の為にあったんだ」そう心で思った。

どうしてかは分からないけど。ふと思った。

でもそう思えたおかげで、あの苦しかった経験に意味に見出せた気がした。

苦しい経験は誰かのためにあったのかもしれない

苦しい思いをした人は、苦しんでいる人の気持ちをわかってあげられるから共感できる、その人の気持ちを理解できる。苦しい思いをした人は他人が自分と同じ経験をしないようにと守ろうとするんじゃないかと思う。苦労してきた親が「自分の子供には同じ思いをさせたくない」と思うのと同じで。

学校生活の中で先生からの数々の言葉に傷ついた、指導とはいえそんな言い方しなくても、、なんて思ったこともあった。今でもその言葉を思い出すだけで、聞くだけで嫌になる。だけど

思い出したくないからこそ、自分が傷ついたからこそ、         その言葉を使ったら、こういう言い方をしたら、 人って傷つくのかも と知ることができた。私からその言葉を発しなければ私と話した人が傷ついたり嫌な思いをすることは少しでも減らせるのかもしれない、と

苦しい経験を自分を苦しめたものとして残すのではなく、

少しでも誰かに還元できたら、その傷を癒せるのかもしれない。

そう願ってる。


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