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PERFECTなDAYSが私のルサンチマンを!!!

2023年、最後に観た映画は『PERFECT DAYS』だった。
鑑賞してからもう何か月も経つけれど、なんだか言葉にならない、うっすらといやな気持が残った。

予告を見て、こりゃあ絶対好きな映画だ!と確信し、公開前からずっと楽しみにしていた。そもそも、役所広司が映画のスクリーンにあれば間違いないわけだし。
実際、画面にうつる光景は、大好物ばかりだった。
木造のアパート、和室。写真で切り取りたいような画の連続。フィルムカメラそしてネガ。文庫本。つなぎの作業服。日常の美しく、つつましい生活。一人きりで静かに暮らす様が美しい。
繰り返す毎日、彼の生活は完璧。
彼の世界は美しい。

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26歳で初めて一人暮らしを始めたとき、この映画の主人公、平山のアパートに様子が近い古いアパートに住んでいた。お金がなかったので、オートロックのマンションなんて逆立ちしたって住めないわけだけど、それを抜きにしても、いたく気に入ってしまった部屋が築30年ほどの木造アパートだった。

6畳の和室と妙にレトロな柄のビニールタイルの台所、30平米ほどの小さな小さな部屋で、私は人生で初めて一人きりの暮らしをはじめた。
玄関には来客のチャイムもなく、Amazonからの配達も、友人や彼氏(夫)の到着も扉を叩くノックの音で知るような部屋だった。家賃は、同じ敷地の大きな家に住む大家さんに現金で渡しに行った。お年を召していたがいつもきれいにしていらして、玄関にはいつも大きな花瓶(花瓶というサイズではないくらい大きい)に季節の花が生けてあった。

この部屋を内見したときに、わーっと声をあげたことをよく覚えている。おばあちゃんの家の二階みたい!とはしゃいだら、不動産屋の営業さんが苦笑いしていた。ストパーをかけた前髪で、とがった革靴をはいているお兄さんだったので、まあそうですよねと思った。

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前置きが長くなったけれど、そんなわけでわたしはその部屋に守られているような一人暮らしが大好きだった。
狭い箱の中で、大好きな人だけごく稀に迎え入れはするが、テレビも無い、インターネットもつないでいないあの部屋で、一人きりで過ごす時間が大好きだった。
そして、平山と同じくネガフィルムで、日記を書くように写真を撮る人間だったので、山のようなフィルムが押し入れの中に保管されていた。かつて写真展に出したお気に入りの作品を部屋に飾ったりもしていた。
なので、スクリーンの向こうで平山が自分一人の暮らしを楽しんでいるのが手に取るように分かったし、とても好ましく、なんなら憧れさえ抱くような生活に見える。なのに、ずーっとうっすらいやな気持ちがあって、それは最後まで続いた。

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しばらく、あの言語化できないいやな感じについて、コロコロと手の中で転がすように考えたり考えなかったりしていた。
この嫌な感じの出どころはいくつかの要素に分かれているようだ。

彼のキャラクターに由来するところ。
キャラクター云々でなく、映画のつくりそのものに由来するところ。

キャラクターについては、かつて大好きだったひとの大嫌いだったところを濃縮したもの見せられたようで居心地が悪かったのだと、しばらく経ってから気づいた。

平山というキャラクターについてどうも気に入らねえなと思っていたことは、まず女の人との距離感。
柄本時生が演じる同僚と彼女に突然キスをされたり、行きつけの飲み屋の女将のことがちょっと気になっているが、自分からどうこうしようとかそういう気はないとか。
閉じこもってはいるが、ちょっとした好意を向けられるとまんざらでもない感じに既視感がありすぎてどうもいやだった。
文科系寡黙男子の自意識が、おじさんの向こうに透けて見える何とも言えぬいやさ。役所広司じゃなかったら大変なことになる。しかし、ああいう様を、コミカルに見せすぎず、実在感を持たせる役所広司はやはりすごい。

小さな箱で一人きり、誰からも傷つけられず、誰のことも傷つけず暮らしているのは結構なのだがそんな傷つきたくないおじさん男子に惹かれる若く個性的で魅力的な女子、そして超絶美人な女将(石川さゆりだぜ!?)がいるだろうか。そして、そのまんざらでもぬ!という姿になんともいえぬいらだちを感じてしまうのは、わたしだけだろうか。

あげく、元夫から彼女を頼むとか何とか言われたり。
なんじゃそりゃという展開含め、彼のキャラクターのみならず、映画のつくりそのものに対して、おいおい信用ならねえな!と思ってしまった。

一方で、小さな箱(家)の中と、小さな街の上で、限られた他者といい距離感で楽しく日々を生きる様は、大好きな人のとても好ましい、大好きな性質に似ていた。
行きつけの飲み屋で、いつものつまみを食べたりしているさまを見ながら、我が夫はもし誰とも結婚しなくても、こうやって家と街と、生活圏内の親切な他者とあいさつを交わし、(平山はそうではなかったが)食を一人きりで存分に楽しんで、ごきげんに暮らすだろうなんてことも思った。
雨の中、合羽をばさりとかぶり、自転車をこいでいる平山の姿に、違う世界線で歳をとった夫の姿を重ねたりした。
(関係ないけど、伊賀大介さんのスタイリングとあって、平山氏の恰好はとってもよかった。特に、雨具の感じが素敵で、伊賀さん!!ってなった。)

あと、キャラクターの外の話で、ノイズになってしまったのは、「公共トイレってもっと汚くね?」ということ。
トイレ清掃員という職業が真ん中にある映画でこの感じでいいのかというか。
おしゃれトイレは使うひともおしゃれだから、そんなもんなんすかね、と嫌味のひとつも言いたい気持ちになる。
まあ、たしかに、映画のスクリーンで汚物を見せられてもきついし、同僚のセリフには出てきた気もするけど。
でも、そういう仕事をこそ描きたいのではなくて?みたいな気持ちになってしまった。(もともとの作品の成り立ち、公共プロジェクトだったことを鑑賞後に知り、納得した部分もおおいにある)

とはいえ、トイレ清掃員という、決して高給でもなければ、体力的にも過酷であろうし、社会的ステータス(こんな言葉は大きらいだけど!)が高いとはお世辞にも言えない仕事を描くなら、毎日汚い場所で、嫌な思いをしていて、辛そうに、不幸そうに描いてほしいみたいなところが、私の中にあるのだろうかという気もしてきて、あちら側から照らされた感もある。

でもさ!でもさ、なんか役所広司だから、伊賀大介だから、ヴェンダースだから、おしゃれトイレだから、あれだけど。
なんかまやかされている気がしてしまうんだよ。信用ならねえよ。
ファンタジー映画なのだと最初から思って見ればよかったのか。
あるいは公共トイレにまつわるプロジェクトがスタートのアート映画(兼高級な広報)だと思えばよかったのか。
そうすれば、田中民演じるホームレスの描写だって心乱されずに見ることができたのか。

映画内で平山は、あの暮らしを、職を、自ら積極的に選択したことが示唆される。なにか事情があるのだろうが、少なくとも彼の人生にはいくつもの選択肢があったはず。そして、きっと、あの世界内で妙に女の人たちと簡単に程よくいい感じになれるのは、かつていくつもの選択肢があった時代の彼が、今現在の彼の根本にあるからではないだろうか。育ちがいいという表現の身も蓋もなさには辟易しているが、結局そういうことではないか。
身も蓋もねえぜ!


そう思うと、なんだか釈然としないのだ。

そうなるともう、こちら側の問題な気がしてくる。

あのエクスキューズさえなければ、
つまり彼は貧しい生まれで、学もなく、頼る親族もなく、あるいは親を支え続けて青春期を終えてしまい、やむにやまれず、あの職に就くしかなく、しかし根っからの誠実さと生真面目さにより
目の前の仕事に真摯に取り組み、また、こだわりやでちょっとばかり変わり者な彼は自分独自の掃除法や手製の道具まで作って、プライドをもってトイレ清掃の職を全うし、同僚からも一目置かれる存在にまでなった。
その実績と人柄により、本部からは教育担当としてよりよい待遇で役職もつけて迎えるという提案を受けたが、自分は現場で手を動かしてるほうが合ってますと、これを固辞し今日も一人車で現場へ向かう。
また青春期に、望んだとおりの教育を受けることができず、いつも本を読むことで自身の教養を深めていった。
文化的な資本には恵まれなかったが、自分の手で、それらを愛すこころを獲得し、育んだ。この世界しか知らない、知らないがそれでいい、本が世界を教えてくれる。十分だ。最初からこの生を愛し、この生で満足している。

という主人公だったら、わたしはこの映画を愛したのか。むむぅ。


この映画の、言語化できないいやな感じを薄目のまま何か月も転がしていたら、結局ほかならぬ自分自身の、根深いルサンチマンに気づかされたのだった。
このパターンは多い。
そういう意味でも、好きだったものの好きさだけでなく、嫌だなと感じたものの、嫌さを言葉にしてみるのは大事だなと思う。

そんな風に、自分が照らされて居心地が悪くなっていたわけだけれど、
先日大好きな東京ポッド許可局のパーフェクトデイスおじさん論を聴いたら、なんだか腑に落ちた。
平山、ピン芸人説最高。いい解釈を聴いた。そうか、彼はピン芸人だったのか。日々のルーティンとか、先鋭化されてるあの感じも、ピン芸人だと思えば妙に納得。
わたしは、お笑いに明るくないのだが、同ラジオで折に触れピン芸人の特殊性を聴いていたので平山の解釈として相当しっくりきた。

そう思えば、わたしの肩の力も抜け、この映画をもうすこし穏やかな心で愛すことができるかもしれない。そして、すぐに湿度を持ちがちなわたしの思考に、カラッとしたおじさん3人の笑い声がいい風を吹かせてくれた。

あまりにも長く書いてしまった。
これだけ考えさせてくれたのだから、これからの私にとって大事な一本になるだろう。50代60代と歳を重ねるごとに、見方がどう変わるのか楽しみでもある。

なににせよ、新NISAなんかより、役所広司を見に行くほうが大事だというプチ鹿島さんが、超好きだということを書いておく。






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