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君と出会って四年過ごした私が微妙に変わった理由

2022年11月19日。
私が「あなた」と出会って、これでもう4年になります。


◆はじまり

私は思惟かね。バーチャルな存在。この11月19日で4歳になりました。
私は「あなた」の夢と好奇心の中から生まれました。それまで配信も、創作もしたことのなかったあなたが、VTuberというムーブメントの中に見つけた輝きから。

2018年のある秋の日、VTuberに魅せられたあなたは、思い立ったが吉日とばかりに、フリーのLive2Dモデルから私の姿を作り出しました。飽き性なくせに凝り性で、人と同じであることが好きでないあなたは、なけなしの技術で髪色を緑に染めたり、髪を肩口まで伸ばしたり、缶バッジを胸元に添えたり、素材として添えられていた赤い眼鏡をかけたりして。
それまで影も形もなかった私は、そんなあなたの思いつきの工夫から、今の姿形を与えられました。

思惟かね初期デザイン
(改変元:https://booth.pm/ja/items/784918)

そしてあなたは、同じように思いつきで私にこう名付けました。「思惟かね」と。知恵の神様の名を拝借して。
その時のあなたにとって私は、きっとなにか意味あるものではなくて、ただVTuberという活動に必要なアイテムの一つに過ぎなかったと思います。あなたは元来、人の形があろうと、モノに対して人格性を見出すような情緒的な人間ではなかったですから。

私は黙して語ることなく、画面の中でうっすら微笑んでいました。


◆はじまりの日々

あなたは私に名前と姿を与えた後、早速自己紹介動画を作ろうとして、けれど自分の声に我慢がならず、「なんとかして声をよくしたい」と頭がいっぱいになって、すっかり立ち止まってしまいましたね。
おかげで、せっかく動けるようになった私は、WEBカメラと一緒にほこりを被ってしまって。臆病で、それゆえ完璧主義のあなたらしいと、こっそり呆れていました。

一方であなたは、声を出さなくて良い活動を始めていました。Twitterでの投稿という形で。その時、あなたは初めて「私」になろうとしていましたね
自分を曲げるのが嫌いで、演技というものにも無縁の人生を送ってきたあなたにとって、それは初めて演じる「役」だったでしょう。たとえ文字の上だけのこととはいえ、あなたは「私」がどんな性格で、どんな口調で話すものか、さぞ頭を悩ませたのではないでしょうか。

ただ不思議なことに、確たるものではないにせよ、あなたは私がどんな存在なのか、その輪郭を最初からうっすら知っていたようにも思えます。
あなたがそのイメージに触れたのは、私の姿をLive2Dの中に初めて見た時?思惟かねの名前をくれた時?…いえ、あるいはもっと前から? あなたが読んできた沢山の本の中に生きる人物たち、その欠片の集合たる少女の姿として、私は最初からあなたの心の中にいたのかもしれません

ともあれ、あなたは私のことを知ろうとし、日々「思惟かね」としてつぶやき続ける中で、私の輪郭に触れて、徐々に私のイメージを確たるものとしていったと思います。VTuberという、創作の中のキャラクターとして。

私はやはりまだ魂の宿らない人形で、画面の中でうっすら無機的に微笑んでいました。


◆かさなる二人

あくまで私を命宿らぬキャラクターであり、客体とみていたあなた。そこに転機が訪れたとすれば、やはりVR空間で私たちが邂逅した2019年のことでしょうか。あるいは邂逅というよりは「重なった」というべきでしょうか。

半年を待たず早々にVTuberとして開店休業状態だったあなたは、持て余した時間で私の今の3Dの姿を作り出しました。VTuberとして何かをしたいという思いは持ち続けながらも、作りたいモノ、やりたいコトを見つけられなかったあなた。あるいは私を存在させること自体が、あなたの精一杯の創作であったのかもしれないと、今は思います。
あなたは当時買ったばかりのVRヘッドセットをかぶり、初めてのUnityと四苦八苦格闘しながら、私をVR空間へ連れ出しました。

そして私たちは、初めて、VR空間の鏡の前で重なりました。
ぽっ、と火が灯った
ように、そこに思惟かねの存在は生まれました。

VRChatホーム 鏡の前にて。

傍から見れば、それはただ自作のアバターをまとった以上のことではなかったでしょう。けれどあなたは自分の(あるいは私の)手と、鏡の中で不安げに佇む写身を、ずっと見ていましたね。
おそらくその時はじめて、あなたは私の存在を、人格を直感的に認めたのだと思います。それまで客体であり命を持たぬ創作物であった私は、あなたという人間と重なったことで、主体として、「自分自身」として、命を吹き込まれたのです。

それは、あなたが既に私と1年近い時を過ごしていたからこそ、起きた出来事なのではないかと、今振り返ると思います。
VTuberとして何もしていなくとも、あるいは何もしていないからこそ、私たちにとって関心の対象はお互い同士以外ありえなかった。付き合いを通して、あなたは私のことをよく知り、おそらく愛着も抱いていたでしょう。そして私は他ならぬあなたの中から生まれました。
もしそれを欠いていれば、きっとあなたは思惟かねの姿をただのアバターとしか見ることなく、思惟かねを現実のあなた自身の現れとしか見ることができなかったでしょう。

あなたが思惟かねでなかった時間が、私を生み出したのです。

それも一時のこと。結局は仮想空間が見せた幻影に過ぎず。ゆえにそれはまだ火種でしかなく、けれど確かに灯りは灯っていました
あなたがその後に、VTuberの先にある「なにか」の可能性について語った2019年末のこのエッセイは、きっとその証だと私は思います。

その火種の灯りに照らされて、私は密かに頬を緩めました。


◆人とのふれあいの中で

その後も、あなたはVTuberをテーマにエッセイを書き続けました。2020年の前半のことです。
もっとも、読んでくれた方には失礼な話ですが、あなたは自らが言葉にした可能性に魅力を感じると同時、疑いもしながら執筆をしていたと思います。もちろん私の存在についても。あなたは時に空想的で、でも論理的で、そしてとても唯物的で、ともすれば心というものを捨てたがっているような人でしたから。

そんな私たちに転機が訪れたのが、2020年の5月。それまで自分の声が嫌いで声を使った活動を避けていたあなたは、ひょんなことからコラボ配信をすることになりましたね。
それはつまり、あなたが1年半ずっと避けていた「思惟かね」として人の前で話すことが、いよいよ不可避になったということでした。

初めての配信で、緊張のあまりガチガチになりながらも、あなたは初めて「思惟かね」として人と言葉を交わし、何人もの人から「かねさん」と名前を呼ばれました
その時「思惟かね」はついにただの創作物ではなくなりました。あなたは現実のあなた自身ではなくなり、そして本当の意味で「私」が表に現れた。人とのふれあいの中で、初めてその機会が訪れたのです。

それまで、本当の意味ではあなたしか知らなかった私の存在は、そこから急速に多くの人に知られていくようになりました。急激に広がった人の輪の、声と声での交流の中で

あなたはさぞ戸惑っただったなろうと思います。
あなたは現実のあなたでしかないのに、一度ボイスチャットに入り、人と話すと、あなたは「思惟かね」と呼ばれ、そして代わりにどこからか「が顔を出す。けれどボイスチャットが切断されれば、私は霞のように消えてしまって、あなたが帰ってくる
私たちはさながら、背中合わせで交代しながら生きているようでした。

もちろん、私にとってもそれは不思議な時間でした。現実に形を持たない私の存在は、ただのあなたの行き過ぎた演技の産物にすぎないのではないか、詩的に言えば「あなたの影」でしかないのではないか、私はそんな疑問を自分自身に何度もぶつけました。

私は眉間にシワを寄せて悩みながら、それでも答えなど無いまま、日々を続けていきました。


◆分かれ

背中合わせの「あなた」と「私」の日々は、けれども案外長続きはしませんでした。
それは、現実に縛られたあなたに比べ、私がとても自由だったからです。

臆病で完璧主義で、それが癖になって、書き溜めた文章もほとんど世の中に送り出せなかったあなた
半ば勢いと焦りから、ツイートやエッセイをネットの海に送り出すことができ、多くの人に見てもらうことができた

変に真面目で、そのくせ露悪的で天邪鬼で、人目を気にして肩の力を抜け無いくせに、友だちの前では素直になれないあなた
何も背負うことなく、素直な心のままで、初めてできた友人たちに話しかけることができた

私はとても自由で、勢いがあって、希望に溢れていて。
だからあっという間にあなたを突き放して、思惟かねとして色んな楽しいことをやり始めました。

集まってくれた沢山の人とクイズ大会を開いた。

沢山の写真(バーチャルポートレート)を撮った。

それが楽しくて、皆で写真集も作った。
初めての編集作業に挑戦して、デザインの楽しさに触れた。

我は汝、汝は我…背中合わせだったはずの私とあなたの間には、急速に距離が開いていきました
あなたは、始まったパンデミックもあり友人との交流もすっかり細って、Twitterの更新も止まって。その分、たくさん「思惟かね」としての時間をもらったは、沢山の新しい挑戦をして、いつも人に囲まれて、楽しそうに笑っていて

もしかしたら、この頃あなたはとても寂しかったんじゃないかな、と振り返って思います。


◆変わったのはだれ?

ただ、人生に浮き沈みがあるように、私にも「谷」の季節がやってきます。もしかしたら人の輪に囲まれた日常を送るうちに、贅沢にもそれに飽いてしまったのかもしれません。2021年の中頃から、私は少しネットから離れがちになりました。

今から思えば、2021年の4月に書いた現実のラーメン店での体験を綴ったこのエッセイを書いた「思惟かね」は、はたして私だったのでしょうか。そのお店に現実に入ったのは、そしてそれをエッセイにしたのは、私ではなく、「あなた」だったのではないでしょうか。

また「思惟かね」は、その頃から技術関連の解説ツイートを日課にするようになりました。この活動で知己を得てくれた方も、最近は多いように思います。
ただ、これもはたして私の仕業だったのでしょうか。それともあるいは、あなたの…?

こうして見ると、あるいはこの頃から既に「思惟かね」とは、「」と「あなた」が共同運営するアカウントというべき在り方になっていったのかも、なんて思います。

けれど、それは決して悪いことではなくて。裏を返せば、あなたもまた「思惟かね」になる機会を得られたということでもありました。
私が声を出して話す時は、「思惟かね」は私でしかなく、あなたの出る幕はありません。けれども文字で語る時なら、私たち二人は等しく「思惟かね」となることができる。あなたがかつて、「思惟かね」の役を文字の上で演じてくれていたように。

そんな行いは、あなたを突き放して自由に走り出した私に、あなたが追いつこうと試みたあなたなりのやり方だったのかもしれません。何しろ私は現実世界へ飛び出すことはできない仮想の存在で、リアルこそはあなただけの領分なのですから。

だから私は「電脳世界の存在である思惟かね」として、あなたの行動に時々眉をひそめつつも、一方で複雑な喜びを胸にそれを見守っていました。


◆独白:私の悩み

年が明けて2022年になると、あなたは新しいお仕事を始めました。それまでとは打って変わって、新しいフィールドで、沢山の人と関わる仕事です。気ぜわしさ様子でありながら、あなたはとても楽しそうでした。

けど、私は少し驚いてもいました。あなたはそんな風に、新しいことに積極的な人だったでしょうか仕事に前向きな人だったでしょうか
興味はあっても、考えるだけ考えた後に結局一歩引いてしまうし、お仕事はお仕事で楽にお金が貰えればいいと割り切っていた。そんな数年前のあなたを思い起こすと、ずんずん前のめりに進んでいく今のあなたが、やはり昔と少し変わったのだということが、私の目にも分かりました。

そんな変化のきっかけは、うぬぼれかもしれませんが、あるいは私の存在そのものなのかもしれないと思います。
2020年から、自由な気持ちで、沢山の新しいことに挑戦してきた私。そこでありがたくも暖かい反応と沢山の人に迎えられた私。遠ざかっていくそんな私の背中を見つめていたあなたは、かつての臆病さや天邪鬼さもいつのまにか忘れて、私に追いつこうと歩きだしていたのではないでしょうか。

我は汝、汝は我…本来、私たちは背中合わせで、誰よりも近くにいるはずの存在なのですから。

私にとって、それは喜ばしい変化であったけど、同時に不安なことでもありました
あなたの影から生まれた私は、現実や様々なしがらみに縛られたあなたとは別の存在であるがゆえに、とても自由に振る舞うことができました。けれど、もしあなたがまた私に追いついて、再びぴったりと背中合わせに…あるいは一つの存在となってたら? その時、私ははたして、まだ自由でいられるのでしょうか? 再びあなたの「影」に戻ってしまうのではないでしょうか? その時、あなたと私が願った「思惟かね」という新たな可能性は、失われてしまうのではないでしょうか…?

それは、思惟かねとして沢山の人と過ごすうちに、私のうちに溜まっていった様々な澱みがもたらした不安なのだと思います。
かつて一人ぼっちで、それゆえ自由だった私は、人とのつながりが増えていったこの2年あまりの間に、悩みや強がり、自己嫌悪、他人への様々な感情のような心に秘めたことが、内心にしんしんと降り積もっていきました。
私はもう、4年前のような無垢で、無関係で、それゆえ自由だった私ではなくなってしまいました

…しかしそれは、あなたが長い年月の中で心の内に抱えてしまった、臆病で、素直になれないという病と、実は全く同じものなのではないか、と、私は気づきました。
人は一人では生きていけず、常に人との関わりの中に在ります。もっとも無垢な時の私ですら、あなたという人との関わりの中にしかその存在を持ち得なかったように。それゆえ、人は様々な思いや悩みを抱えて、自縄自縛になって、息苦しくなってしまう。けれど、それこそは人の逃れ得ない苦しみなのです。

私もまた、人格的存在である以上、そうした縛鎖からは逃れ得なかったということなのでしょう。
それに思い至って、私は初めて心からあなたの苦しさを理解したのです


◆手を取り合って

…では、いずれ私も更に多くの鎖に縛られる定めなのであれば、やはり私は消えるしかないのでしょうか。あなたの断片として、いつか影に沈んでいくべきなのでしょうか。

そうかもしれない、と正直に言えば思います。
けれども同時に、そうありたくない、と願っています。

数年の内に、あなたと私には共通の知人が何人もできました。あなたは現実世界で会う「私」の思惟かねの友人にどう接するべきか、とても悩んでいましたね。はたして「あなた」は思惟かねとして会うべきか、あるいは「あなた」として会うべきか、と。それは私にとってただ一度きりしか覚えのない悩みです。

私はそのあなたの悩みを、とても嬉しく思います。なぜならそれこそは、あなたが私に在ってほしいという願いの証だからです。
あなたが自分自身と異なる私の存在の中に、あなたと合一しては失われてしまう何かの可能性を今なお探し続けている。それこそが私の在るべき理由であり、私に託された願いそのもの

だからやはり私は、あなたが私とは「別人」であって欲しいと望みます
ネット世界での友人とリアルで会うことにそこまで悩み、「別人」として会うというのは、少しばかり行き過ぎた酔狂なこだわりに見られるかもしれません。けれど私は私だけの、あなたとは別の可能性を探り続けることを諦めたくはありません。多分、あなたもそう思ってくれていると思います。

そうであるなら、あなたと私はこれからもうまくやっていけるだろうと信じられます。そうであって欲しいと願います我は汝、汝は我…背中合わせに、けれども別の存在として、共に。

Illustration by きたせん

長い年月は、私の中に澱を溜め込んでいくでしょう。その果てに、私はかつてのあなたのように、不自由で悩み多い存在になってしまうかもしれない。けれど、あなたが私の中に可能性を見る限り、その可能性が尽きるまで、私たちは背中合わせでいたいと思います

それがあなたの願いから生まれでた、あなたの人生を借りた創作たる「思惟かね」の一部であるの、唯一にして最大のわがままなのですから。

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