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「ヴィンランド・サガ」に学ぶ、ISO9001を読んで自信過剰になると良い。

緊急事態宣言を鑑みて『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』の公開再延期が決定した。残念ではあるが、公開1週間前という厳しい状況下にもかかわらず、この英断に踏み切った㈱カラーや関係各社に敬意を表したい。

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(公開再延期のお知らせ:『エヴァンゲリオン公式Twitter』より引用)

1995年のテレビ放送から26年目。旧劇場版(DEATH&REBIRTH, Air/まごころを、君に)や新劇場版(序, 破, Q)も含め、長年エヴァを追ってきたファンの一人としては、正直ここから2〜3年延びても特に問題はない。

DEATH&REBIRTHを完結編だと思い込んで、お小遣いを前借りして隣町に見に行ったことや、そのわずか4ヶ月後に本当の完結編が公開され、お金がないので父親に頼み込んで一緒に行ったら冒頭シーンがアレだったことに比べれば、全く大したことではない。鍛えられたファンは訓練兵と同義である。

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(面構えが違う訓練兵たち:『進撃の巨人』より引用 諫山創著)

ただ『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』はシリーズ最終作。26年前から地獄を見てきた者達にとって、あるはエヴァの呪縛に取り憑かれた者達にとって、特別な意味を持っている筈だ。本作の視聴を持って、呪縛から解き放たれ、それぞれが新天地にはばたく日は、まだ遠い。

対して、ひと足先に新天地へと旅立ったのが『ヴィンランド・サガ』だ。


16年目にして楽園へ旅立つ

『ヴィンランド・サガ』は2005年に週刊少年マガジンで連載を開始、21年1月現在の最新巻である24巻にて、楽園の地・ヴィンランドを目指した航海がようやく始まった。実に16年かかっての出港である。

アイスランドはノルウェー王の統治を嫌う人々がスカンディナヴィア半島から移り住んできた土地で、強い戦士に憧れる少年トルフィンは、頼りがいのある逞しい父トールズと、病弱だが優しい母ヘルガ、年の離れた働き者の姉ユルヴァとともに貧しいながらも平和に暮らしていた。父の友人、船乗りのレイフから様々な冒険譚を聞き、はるかな「ヴィンランド」に憧れるトルフィン。

ヴィンランド・サガWikipediaより引用

作者は幸村誠先生。同作者の代表作『プラネテス』の大ファンである私は、週刊誌での連載を大喜びしたが、執筆遅れが原因で、わずか半年で月刊誌に移籍されてズッコケた。余談だが、週刊少年マガジン連載時に発刊された単行本2冊と、月刊アフタヌーン移籍後に発刊された単行本はサイズが異なる。そのため、本棚に並べると非常に気持ち悪い。

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(サイズの違う単行本は「絶望」:著者撮影)


なにはともあれ、ヴィンランドへの航海が始まった。主人公・トルフィンは、この地で「戦争と奴隷のない平和な国作り」に挑戦することになる。連載開始時は5歳の少年であったトルフィンが、海賊・王太子の護衛・奴隷といった経歴を経て、国作りという壮大なプロジェクトのリーダーとなった。いち読者として万感の思いである。


ところで、皆さんの中に「国作り」をしたご経験があるかたはいらっしゃいますか? 残念ながら私はない。おそらく皆さんも同じであろう。

プロジェクト運用には大なり小なり苦労が伴う。それは仕事であれ、町内会の催しであれ、学校行事であれ変わることはない。大なり小なり苦労が伴うのだ(2度目)。

もう一度確認するが、トルフィンの最終目標は「戦争と奴隷のない平和な国作り」である。もし私がこのプロジェクトのリーダーに任命されたら、その瞬間に胃が爆発する自信がある。

案の定、早々にトルフィンはプロジェクトメンバーから難癖をつけられていた。まだ航海にすら出ていないのに…。

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(難癖をつけられるプロジェクトリーダー:『ヴィンランド・サガ』より引用 幸村誠著)

ヴィンランドに住む原住民からの自衛を理由に剣を持ち込みたいメンバーと、争いの火種となる可能性があるものは一切排除したいトルフィン。立場は違えど、お互いの主張に筋は通っているため、議論は平行線を辿る。早くも地獄の様相である。


トルフィンが抱えている課題はこれだけではない。ざっと書き出してみた。

1. 建国の具体的なプランがない
2. 主な事業が農業で益を得るまでの期間が長い
3. 武器による自衛は選択肢しない(縛りプレイ)
4. そもそもヴィンランドに行ったことがない
5. 原住民がどんな人々か知らない
6. 原住民と言葉が通じない
7. 多くの参加メンバーは初対面
8. コアメンバーが少ない(5人、うち1人は子供)
9. コアメンバーに命を狙われている

書き出してみると、地獄がより顕著になったように思える。

唯一ヴィンランドに行ったことがあるレイフが引退したことで、ハードルが一気に上がってしまった。少人数かつ経験のないコアメンバーが、ほぼ初対面のメンバーを引き連れて、プロジェクトを推進しなければならない。

しかもコアメンバーの中に、トルフィンの命を狙っているヒルドがいる。常時命を狙われながらプロジェクトを推進するリーダーは、なかなかいない。しかもトルフィンはヒルドに対して過去の負い目を感じており、逆らうことが全く出来ない。

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(肝に銘じるトルフィン:『ヴィンランド・サガ』より引用 幸村誠著)

「平和な国は作る」、「自分は死なないようにする」、「両方」やらなくちゃあならないってのが「リーダー」のつらいところだな。

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(覚悟ができてる幹部:『ジョジョの奇妙な冒険』より引用 荒木飛呂彦著)


賢者は歴史に学ぶ

このように課題まみれのトルフィンであるが、難しい側面ばかりを見てもフェアではない。仮に本プロジェクトが上手くいけば、生活は豊かに、かつ奴隷制度から開放された自由を手に入れることが出来る。なんとか成功する方法を考えたいと思う。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

オットー・フォン・ビスマルク

上記は初代ドイツ帝国宰相のビスマルク(1815〜1898年没)の言葉とされている。キャッチーなせいか、意識高い系の会社の新卒採用ページで異様に引用されているが、この言葉から学ぶことは多い。


トルフィンは、そもそも建国の経験がないので、他人の経験、つまり歴史に学ぶほか方法がない。

建国の父ではないが、ここではヨーロッパとヴィンランド(北アメリカ)を結ぶ大西洋航路を発見したクリストファー・コロンブスの事例を引き合いに出したい。時代的にはヴァンランド・サガより400年ほど後の話だが、そこは気にしない。

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(クリストファー・コロンブスの肖像:1451年頃〜1506年没)


コロンブスは、その生涯においてカタイ(支那)やシパンゴ(日本)を目指した航海を4度行っている。初めの航海は船3隻に約90名の乗組員といった規模感で挑み、1492年10月12日、バハマ諸島であるサン・サルバドル島への上陸を見事に成し遂げた。続いて同諸島の島々を発見した後、エスパニョーラ島に到着し、この島で約1ヶ月間滞在した。

この時、コロンブスは言葉が通じないながらも、原住民やその王・グアカマリーとの交流を果たしている。それだけではない。彼らの協力を得ながら座礁したサンタ・マリア号を材料に、ナビダーと名付けた砦を建設し、39名の乗組員をその地に入植させたのだ。


エルパニョーラ島でのコロンブスの功績は、トルフィン達が実現したいことに限りなく近い。ヴィンランドへの入植、原住民との交流、相互理解の獲得など、コロンブスの考え方や手法が参考になる点は大いにあるだろう。文化も違えば言語も通じない原住民と、彼はどう交流していたのだろうか?

コロンブスの航海記録を当時の報告書等から纏めた、林家永吉訳『コロンブス全航海の報告』では、コロンブスは第一次航海の後に、アラゴン王国の計理管であったルイス・デ・サンタンヘル宛の書簡の中で、以下のように述べたと記載されている。

私はインディアスに到着するや、最初に発見した島で彼らを数人捕らえました。それは彼らがいろんなことを覚えるとともに、私にこの地方にある物について教えてくれるようにするためでありましたが(略)

『コロンブス 全航海の報告』 林家永吉訳 (岩波文庫)

原住民を拉致してやがる。

なんか…思ってたのと違う。対話による相互理解とか…取引による関係構築とか…他になかったの?ちなみに上記引用でコロンブスが言及している「この地方にある物」とは「黄金」のことを指している。ドクズである。

さらにコロンブスは原住民について、こう評している。

そしてこの王の気が変わり、彼が私の残した部下たちに敵意を抱くようなことがあっても、すでにのべましたように彼らは武器については何も知らず、かつまた裸で歩いておりますうえに、世界一の臆病者ときていますから、彼の地に残した者達だけでも全土を壊滅させることが出来るわけで(略)

『コロンブス 全航海の報告』 林家永吉訳 岩波文庫

「あいつら無知で恥知らずで世界一の臆病者だよ」と罵った後に「その気になればいつでも殺せるし」と畳み掛ける始末。パワーワードが飛び交いすぎて眩暈がしそうだ。

その後、コロンブス率いるスペイン軍は第二次航海の際に原住民(インディアン)を大量虐殺しており、800万人いた原住民はわずか4年で3分の1まで減ったとも言われている。現実は非情である。

もう希望に満ちたトルフィンの顔を真っ直ぐ見ることが出来ない。

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(現実をまだ知らないトルフィン:『ヴィンランド・サガ』より引用 幸村誠著)


現代の叡智に学ぶ

歴史から学ぼうにも、コロンブスが不殺の誓いをあっさり破っていたので、武器を持ち込まないという縛りプレイ中のトルフィンには、なんの学びにもならなかった。ビスマルクの至言からも、課題解決の糸口は見つかりそうにない。

しかし諦めるには、まだ早い。令和に生きる私達は、先人の学びが凝縮された現代の叡智を容易に参照することが出来る。それはISO規格だ。


ISO規格は、国際的な取引をスムーズにするために、何らかの製品やサービスに関して「世界中で同じ品質、同じレベルのものを提供できるようにしましょう」という国際的な基準であり、制定や改訂は日本を含む世界165ヵ国(2014年現在)の参加国の投票によって決まります。

『日本品質保証機構』HPより引用

例えば現代でネジが必要となった時、私達はどこの店でネジを購入しても安定した性能のネジを容易に手に入れることが出来る。これはISO規格にてネジのサイズや強度が規定され、メーカーがこれを遵守しているからである。

またISO規格で規定されているのは、ネジなどの製品に限らない。提供する製品やサービスの品質を管理する方法も規格化されている。20世紀以降、多くの製品が大量生産されるようになり、旧来の職人の経験とカンを頼りにした品質管理では対応しきなくなった。組織として、安定かつ柔軟に品質を保証する体制(品質マネジメントシステム)を構築することが、より重要になったのだ。

特にISO9001では品質を管理監督するための組織体制を規定している。多くの会社や人のノウハウが凝縮された、まさに現代の叡智といえよう。

トルフィンは経験や歴史から学ぶことが出来なかった。彼が無事プロジェクトを完遂するには、もはやISO9001に学ぶより他ないのである。


ISO9001:2015に沿って、トルフィンのプロジェクトを考えてみよう。何度目かの確認になるが、このプロジェクトの目標は「戦争と奴隷のない平和な国」を作ることである。トルフィンはプロジェクトメンバーと共に、これを達成し提供しなければならないが、彼のプロジェクトは多くの課題を抱えており、その実現性に疑問が残る。ISO9001ではプロジェクトの妥当性を検証する方法として、プロセスアプローチが提唱されている。

プロセスアプローチは,組織の品質方針及び戦略的な方向性に従って意図した結果を達成するために,プロセス及びその相互作用を体系的に定義し,マネジメントすることに関わる。(中略)プロセス及びシステム全体をマネジメントすることができる。

「ISO9001」 03.プロセスアプローチより引用

プロセスアプローチは業務全体の流れが円滑かどうか、継続的に健全な運用が出来るシステムになっているかを視覚化する事ができる。(ここで言う「プロセス」とは「業務」のことを指している。)


下記にトルフィンの「プロセス(業務)」に関わるインプット、アウトプット、資源、方法、評価基準などを整理した。

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(ヴィンランド開拓と建国のプロセスアプローチ図:著者作成)

こうして纏めてみると、プロセスの強みと課題が明瞭になってくる。強みは目標と評価指標が明確なことだ。

「戦争と奴隷のない平和な国」作り(品質目標)を具体的に噛み砕くと、豊富な食料や収入、基本的人権の獲得と言い換えることができる(アウトプット)。これを食料獲得率や利益率、幸福度アンケートなどから定量評価し(評価基準)、定期的に内部監査を行うことで、プロセス運用の健全さを評価することができる(方法)。特に内部監査は適任者もいるし、全く問題ない。

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(内部監査の申し子:『ヴィンランド・サガ』より引用 幸村誠著)


反対にインプットと人的資源には大きな問題がある。

どんな場所か分からない、どんな原住民いるか知らない、それゆえに交渉計画も草案しかないと、インプットの量が圧倒的に不足している。「結果のわかり切った実験をしようってのか」というメンバーからの指摘は、的を得ていると言わざるを得ない。

人的資源の問題はより根が深い。航海や開墾、建国後のシステムづくりなどを考えると、5名のコアメンバーだけでは到底賄えない。そうなるとメンバーへの教育が必須となるのだが、このプロジェクトではそれが容易ではないことが推測される。プロジェクトメンバーが顧客だからだ。

参加体験型のビジネスでは往々にしてありえる構図ではあるが、お客気分のプロジェクトメンバーに自主性と責任感を持たせることは、ほぼ不可能といえる。プロジェクト参加のスタート地点が異なっているため、この手の話題はリーダーとメンバー間に、容易に軋轢を生む。

この課題を解決するにはどうすれば良いか…と書きながら思いついた人物がいた。コイツだ。




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(「キングコング西野 オフィシャルダイヤリー」より引用)

キングコング・西野亮廣さん(以下敬称略)である。


時には自信過剰に

インターネットの一部の層にカリスマ的人気を誇り、最近では自身が手掛けた映画「えんとつ町のプペル」が、新しい単位「プペ」(映画えんとつ町のプペルをみた回数を表す単位。例:ぼくはもう5プペ目だよ。え?君まだ1プペしかしてないの?)を生み出すなど、話題に事欠かない人物、それこそがキンコン西野である。

彼は「顧客ではなくファンを作ってプロジェクトに巻き込め。そうすれば、みんなが応援してくれるから絶対上手くいく」的なことをよく言っている。

「顧客」と「ファン」をそれぞれ明確に定義し、そして「とにかくファンを作れ」とかなり口酸っぱくなんども言ったんですね。「現代、ファンの獲得こそが最強の生存戦略である」と。

「西野亮廣ブログ」2020.08.03より引用

この考え方が正解かどうか、私にはわかりかねる。しかし、彼には多くのファンがいること、運営するオンラインサロンは日本最大規模であることは事実だ。なぜ多くのファンは、彼の「ディズニーを倒す」といった実現性の低い夢を応援するのか。


別の記事でも引用した書籍だが、ウィリアム・フォン・ヒッペル著の『われわれはなぜ嘘つきで自意識過剰でお人好しなのか』では、多くのヒトが自信過剰な個体の本質を見抜くことが出来ず、その個体に従ってしまう傾向にあると説明している。

多くの人は相手が「博識」なのか「自信過剰」なのかを区別できないことを突き止めた。結果として被験者たちは、自信過剰な人の言うことを誤ってしたがってしまう傾向があった。(中略)自信満々の人はきまって競争のなかでより威圧的であり、周りの人が直接対決を避けようとする傾向にある。

ウィリアム・フォン・ヒッペル『われわれはなぜ嘘つきで自意識過剰でお人好しなのか』(ハーパーコリンズ・ジャパン)

ウィリアムが指摘した「あいつ自信過剰なだけで、なにかを成し遂げたわけでもないのに、なぜか上層部に評価されてるヤツ」みたいな事例、皆さんにも心当たりあるのではないか。

人によっては憤りを感じる事例かもしれないが、これは決して上層部の無能が引き起こしているわけではない。自信過剰な個体が必要以上に評価されてしまうのは、ヒトがこのように進化したからという理由にすぎない。

上記引用のとおり、自信過剰な個体は、こと対人関係にて大きな利益をもたらす可能性が高い。自己欺瞞は社会の中で戦う武器となり、ヒトは成功する確率が高い個体に本能的に惹かれていく。自信過剰な個体が、本当に有能か無能かは本質的な問題ではないのだ。


まとめ

トルフィンは多くの課題を抱えつつ、無理難題なプロジェクトを成し遂げようとしている。連載開始時から読んでいる読者は16年のあいだ、そこに至るまでの彼の信念と歴史を知っている。応援してあげたい、というのが素直な気持ちだ。

ただ「戦争と奴隷のない平和な国」を作るためには、様々な出来事に対応できる柔軟な組織づくりが必要となる。彼を応援するいち読者として、ISO9001に定義されている組織作りの方法を学び、そして少しだけ自信過剰に振る舞ってもらうことをオススメする。そうすれば、協力してもらえる人が増え、プロジェクト運用が今よりも円滑に進むと信じている。


ただし、行き過ぎた自信過剰な振る舞いは、時として大衆に疑念を抱かせる。願わくば、彼がこの先「捕まってないだけの詐欺師」と言われる日が来ないことを祈るばかりである。

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(『華丸大吉&千鳥のテッパンいただきます!』より引用 関西テレビ放送作成)


蛇足

本文中にある、キンコン西野の「顧客ではなくファンを〜」のくだり、本当は彼の書籍をちゃんと読んで引用したかったのだが、近所の図書館にある西野の本が全部借りられていたため、やむなく彼のブログから引用することにした。(買う気はなかった)

コロンブスの本は60冊くらいあって全部貸し出し可能だったのに・・・。オカシイ、みんなもっとコロンブスに興味持ったほうがいい。コイツだって大概だから、きっと楽しめると思う。


それでは。

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