虐待の原因になるもの

せいちゃんの育児は悩むことばかりだ。本人のストライクゾーンが狭いから、幼稚園や学校などの社会のルールとの板挟みで親の私の心がいつもすり減る。私は39歳なので嫌でも我慢しろと言われた時代だ。言うことを聞かなければ捨てると玄関から出されたし叩かれた事もある。今の時代では虐待と言われるかもしれないが、当時の子育てなんてそんなもんだと思う。もちろん上手に育てる親や、素直に育つ子供もいただろうけど、親が怒鳴ったり閉じ込めたりすることにも『子供が何かしたんだろう』と寛容だった。今は怒鳴ったり叩いたりは虐待だと認知されている。それがくさびのように自分を追い詰める。発達凸凹の男の子2人にいくら優しく言っても毎日聞こえる親の声なんて右から左だし、甘えは出るし癇癪はあるし本当に大変だ。そもそも自分が要領が良い方ではないし、親との関係、旦那の育児への無関心、せいちゃんの発達問題とそれに加え毎日幼稚園や保育園から言われる子供の問題行動に私は少しずつ追い詰められていった。今せいちゃんは7歳になった。ずっちは5歳になった。今という未来が先にわかったならもう少し心穏やかでいられたかもしれない。けれど、下の子が産まれて幼稚園に入るまでの3年間は、心身ともに地獄だった。子供のためにはやりなおしたい。だけど、もう二度と体験したくない時間だ。ハッキリとわかることは、私の当時の子育てにおける行動や言動は虐待と言われても仕方がないものだったし、ひどい自己嫌悪から子供と一緒にいるのがこわくなりネグレクトのようにもなった。あざが出来るほど殴る訳でもごはんを与えない訳でもない。だけど子供の人生の根底にたくさんの不安を与えてしまった。~しなければいけないという両親や社会、他の保護者、先生からの圧力が子供に向かったものだったと思う。子供の発達は介入してくるシステムがあるけれど、親だってそもそも同じような性質だ。なのに親というだけでやって当たり前みたいな顔をされる。そして色々な人が自分勝手な見解でアドバイスを沢山くれた。もちろん良かれと思ってだろう。それに何より追い詰められたし、一番欲しいサポートの手はまるでなかった。自分1人なら出来ることも息子たちは添えない。私はHSPの気質でなんとなく周りの表情から何が言いたいかがわかる。いつも聞かない息子たちではなく私が『なんであなたは息子たちをそんな風に育てているの?』と言われているようだと感じていた。先日、ほんまでっかで植木先生が『変わった人自体はチャーミングだとか面白いとか好感を持たれたりするけど、その人のすぐそばにいる人がなんで野放しにしているんだろうと悪く思われる』というような事を言っていて、やっぱりかと合点がいった。決して虐待を容認するわけではないけれど、保育者を責める前に周りが出来ることもあるのではないかと思う。

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