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もちろん茶碗蒸しは熱々がおいしいけどもう少しだけ待ってから食べる習慣を身につけないと茶碗蒸し食べるたびに永遠上顎やけどしてる

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お昼を食べるタイミングを損ない、
お腹ぺこぺこのまましばらく目的地まで歩いていた。

機能散々蓄えていたのである程度大丈夫ではあったが、
さすがに14時ごろになるとお腹がすっからかんな感じがして、さらにたくさん歩いたので、もはや足まですっからかんで、足すら警笛を鳴らしていた。それをちゃんと感じれたのでさすがに危機感を覚えてご飯を食べようと思った。

そんな中、たまたま行ってみたかったお店の近くにあることがわかり、Google mapでそこへいくことに。

目的地を選択して分かった。
今日は定休日だった。

いく前に知れてよかったのだが、私は最近、行きたかったお店が休みとわかっているのにお店の前までわざわざ行ってしまう謎習慣が身についてしまっている。

赤文字で「営業時間外」と書かれてあるお店のプロフィールをピン留めにしたまま私は定休日のお店へと足を運ぶ。

自分でも何がしたいのかわからないが、これがもうお決まりとなってしまった。わかっていても、自分の目で確かめたい。そして定休日だとしても、一応お店の前には行って、目的のお店を少しでも感じて帰りたい。

今回の目的のお店は「定休日」の看板やチラシすら見ることができず、ただシャッターが閉まっている状態を30秒くらい眺めた。一応深呼吸して、お店の空気だけでも持ち帰らせてもらうことにした。

こういう行為こそ、私が大嫌いなはずの無駄足
であり、ネットが発達しまくっている現代においてかなり馬鹿馬鹿しい、普段タイパを意識して1.75倍速で動画を見てるくせになぜこういうことをしているのだろう。自分でもわからない。

しかし、定休日とわかりつつ、お店にいってお店を数秒眺めて、悔しい思いを抱えたまま、帰路でその店のGoogleレビューと写真をたくさん見るの時間はなかなか好きだ。

結局そのあとは、もともと行ってみたかったお店のハードルが高すぎて、どこもいくことができずに帰宅した。

普通、外食のお店を選ぶ時、歳を重ねるごとにいろんな成功失敗から学んで、直感や感覚が冴えて自分好みのお店に行ける確率が少しずつ高まっていくと思うのだが、私の場合失敗に恐れすぎて年々なにも選べなくなっていってる。
成功を選ぶ嬉しさより、失敗に終わった時の悔しさや虚しさのほうを感情として味わいたくないと思いすぎるあまり自分による自分のための外食を全くできなくなってしまった。

孤独のグルメに憧れているのだが、年々遠ざかっている気がする。

けど帰りのスーパーで、パクチーとセロリのダブル癖強野菜が半額だったのですごく嬉しかった。

そのうえ、大袋パセリが特売品で大好きな癖強野菜たちをたくさん買えた。
ここまで揃うことは人生初だろう。
むしろ揃えすぎて癖がぶつかるんじゃないかと帰り道後悔していたが、三者三様ちゃんとぶつからずそれぞれの癖を残してわたしの口の中に臭いを放ち、胃と脳を幸せにしてくれた。

癖強野菜ありがとう。

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