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「お笑い芸人を目指さない人のためのお笑い養成所」に寄せて

 私のお笑い芸の師匠 やじっす が投稿した記事「お笑い芸人を目指さない人のためのお笑い養成所」に、私は次のようにコメントしました。

 かつて肉体労働が主流だった時代には、スポーツをしようという発想は無かった。機械化が進んで、肉体労働から解放されて、人は積極的に運動するようになった。
 AIが普及すれば、今度は人々は頭脳労働から解放される。その際に、考えることは人々にとって娯楽になるだろう。おそらく今とは違った形で、今より多様な形で、むしろ今以上に人は考えるだろう。
 そして現時点で未来像を描こうとするなら、ヒントになるのは「お笑い」だと思う。やじっす師匠のセンスを信じよう。

 その後、さらに次のように考えました。コメントとして書き込むにはちょっと長いし、皆さんの意見を遮ってもいけないので、私自身の考えをここ(↓)に書いてみました。

 働き方の主流が「肉体労働から頭脳労働」に変わって「運動が娯楽に」なったのと同時に、そこに「競争」が組み込まれた。前の時代に生産手段であった「運動」と、次の時代に必要とされる「競争」の両方で成り立つのがスポーツだ。
 さて、AIが普及する時代に何がどう変わるのか? 前の時代の生産手段であったところの「頭脳」すなわち「考えること」は娯楽になるだろう。そしてそこに「次の時代に求められるもの」を組み込んだようなものが、これから生まれるだろうと私は思うのだ。
 では「AI時代に求められるもの」とは何か? それを「考えること」に組み込んで、新しく何が生まれるのか? 時間が経つにつれて少しづつ見えてくるのだろうけれど、のんびり構えてもいられない。

 再び問おう。「AI時代に求められるもの」とは何か? 私はこう見る。それは「試行錯誤」、丁寧に言うなら「直観 → 試行錯誤 → 軌道修正 → …  」のループ。
 それを「考えること」に組み込んで、新しく何が生まれるのか? そう、その動きは「私たちが直観で動き、試行錯誤しながら、軌道修正しながら少しづつ作っていく」しかない。
 そして現時点で未来像を描こうとするなら「お笑い」が一つヒントになるだろう(※)。やじっす はすでにその線で動いている様に見える。

※ 実はもう一つ、私は「哲学対話」にもヒントを感じている。

 最近、私はAIについてあれこれ考えています。やじっすの力になれるものなら、なりたいです。

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