手向けの花に代えて(再掲)

最高位戦プロ麻雀協会のHPで、僕が現在に至るまで、最も敬愛するプロについての話が出ていた。その中で、

「そこで、亡くなって10年という今年、ぜひ思い思いの飯田正人を語り合っていただきたい。この記事が、そのきっかけになれば幸いである。」

と書いてあったので、昔のブログから引っ張ってきて再掲します。でももう10年経つんだね。

(ここから再掲)

最初にその姿を見たのは、まだ高校を出たばかりの頃だった。

競技プロの世界についてほとんど知識を持っていなかった僕は、ただ「プロ」を名乗っているという事実だけで圧倒された。

数年後、少しばかり麻雀の世界に詳しくなると共に、一端の打ち手を気取るようになっていた僕は、偶然その人がゲストとして来店した折に同卓し、舐めてかかるような摸打をして見事にそれを咎められた。

時間が来て、僕が入っていた卓が割れ、店を後にしようとしていたその人は、一卓ずつ、丁寧にお辞儀をしながらはっきりとした口調で

「お先に失礼します。ごゆっくりどうぞ」

と挨拶をして回っていたのだけれど、甘かったなとその一打を振り返っていた、およそ年齢差は20歳ほどある僕に対してまで、その他の大人の客と全く同じような態度で挨拶をしてくれた。

事故で悪くしたと伝え聞く脚を、少し引き摺りながら帰っていくその姿に、生意気盛りの小僧だった僕は、麻雀だけでなく、打ち手としてどう振舞うといいかということも教わった。

僕はプロの世界には入らなかったけれど、その人が競技プロとして極めて優れた実績を残していることを知って、なおさらのこと、打ち手として憧れる気持ちを持つようになった。

もちろん向こうはそんなことは全く知らなかっただろう。僕と同卓したことだって覚えてはいまい。ろくに言葉を交わしたことさえないのだ。

でも、好きな競技プロとかいるのかと尋ねられるたびに、僕は常にその名前を挙げ続けてきた。

10年ほど後に、最強戦の決勝の舞台で、雀鬼会を代表して出てきた若者と壮絶な叩き合いをした挙句に敗れた時は、僕まで悔しい思いをしたのだけれど、若い打ち手にも気持ちでは決して負けないというその矜持のようなものは十分に伝わってきた。

つい最近になって、還暦を越えられたという話を聞いて、その年齢になってなお、最高位決定戦にまで進出するその力量に、僕は心の底から感心した。

40になった時にどういう打ち手になりたいか、当時20歳の僕はその人の姿を手本としたけれど、50になった時に、60になった時に、どういう打ち手でありたいか、僕は今も心の中で手本としている。

もし僕が60歳まで生きることが出来たら、80歳の打ち手としてどうあればいいか見たかった。

僕が80歳まで生きながらえることが出来たら、100歳の打ち手としてどうあればいいか、見せて欲しかった。

早すぎる訃報を心から無念に思う。

合掌。


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