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【ドラマっこ】unknown

ファンタジーが苦手


田中圭にはできるだけ叫んでほしい派


「田中圭と高畑充希の主演ドラマ」
!!
「ラブサスペンス」
いやん!すき!
「考察系」
ハァハァ、やばそう!
「高畑充希が吸血鬼役」
え?!!?楽しみにしてたのに、、、ファンタジーなの?、、、、、、と、がっかりした3か月前。

でも1話を見て衝撃。

見れる。全くもって違和感なく見れる。なんなら、翌週が早く来てほしいと願うほど、ハマった。

ドラマにメッセージとか求めがち勢


最終話を終えて、その「見れる」理由が何だったのか?と思いを巡らせてみると、それは私が思い描く吸血鬼像と大きく違ったから、
だろう。

黒いマントに鋭い牙、無防備な人間を襲い、生き血を吸う。

長らく語られてきた吸血鬼は、このドラマにはでてこなかった。彼らは皆日焼けとニンニクを嫌い、正規ルートから血液を購入し、ひっそりと人間社会に溶け込んでいる。何なら、医者とかアナウンサーとか警察官とか、そこそこ人並み以上の努力をして社会的な地位も確立させていた。

ここにこのドラマのメッセージがあったように思う。

絵本の中で語られる逸話。警察官が犯行手口から揶揄した「吸血鬼殺人」。

それらはすべて「真実」を無視した虚像に基づいたものだった。

最も「unknown」から離れたところに居たのは、意外にもこころの職場の編集長だったと思う。彼は吸血鬼特集をするために街で吸血鬼を探し、こころの父にインタビューを申し入れた。彼こそ、unknownな存在とされるものを実在すると信じ、探究し、受け入れようとするドラマテーマのメタファーのような立ち位置であった。

「普通ってそんなに偉いのか」
「人間と吸血鬼って何が違うの」
膝を突き合わせ、曝け出せば、人間も吸血鬼もない。同じように笑い、怒り、悲しむ、「生き物」であり、「違い」は「個性」であると。

そして、そうやって認め受け入れた先にあるもの。それがなのかもしれない。

愛の話


吉田鋼太郎だけ音量バグってたな

伊織(こころママ)「ねぇパパ、私はもしパパが罪を犯して相談されたら、じゃあ一緒に証拠隠滅しよう、って言う気がする」
海造(こころパパ)「いや、でもさ、そこに愛があるなら、ちゃんと正しい方向へ導いてあげるもんなんじゃないかな」

証拠隠滅して守るのも、説得して自首させるのも、きっと愛なのだ。それはどちらも、真実から目をそらさず相手を受け止めた上での行動だから。


トラの父親

トラの父親がどうして犯行に至ったのか?そもそも犯人だったのか?それらが客観的事実として語られることはなく作品は完結した。

しかしトラは、過去の被害者家族との関係性を知り、さらに父親がこころを守ってくれたことを知った。そのことで「家族をめちゃくちゃにした殺人鬼の父親」ではなく、受け入れられはしないけど、「家族を守ろうとして必死にもがき自己犠牲を払った愛情深い父親」だと思い直した。

今後彼はもしかしたら父親になるかもしれない。本当のこと、父親の気持ちは永遠にunknownであるけれど、彼がたどり着ける限りの真実を手にしたことで、自分の中に存在する父親との共通点が宝物になったのではないだろうか。

あったかもしれない未来


町田氏の笑顔が半分狂気に見えてしまう呪いにかかった

加賀美は、週刊誌編集社で働いていた。仕事のパートナーであるこころは、足を使って徹底的に張り込みをし、ときに突撃取材をし自分の目で見たものだけを記事にしてきた。

こころの側で加賀美は一体何を見てきたのだろうか?自分の目で耳で肌で感じたものを信じずに、どうして人が語るものだけを信じたのか?

それは両親がなくなった真実から目を背けてきたからだった。だから、「吸血鬼」に全ての罪を背負わせた。

憶測で物を語ること、自分の物差しでしか考えないこと、相手の真実に目を背けること、それがどれだけ怖いことか。

もし、こころかトラに両親の死について話し、加賀美が納得するまで調べて真実にたどり着いていたら。真実を一緒に受け止めていたら。こんな悲劇は起こらなかったかもしれない。

その「あったかもしれない」未来をエンドに見せつけられた私達は、これから待ち受ける選択肢と対峙するとき、真実を追求し受けとめたうえで判断できるだろうか。それができたとき、このドラマはきっとファンタジーではなくなるだろう。

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