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他人の飯は白い

こんにちは、小よしです。有名人じゃないけど、名乗らせてください。


隣の芝生は青いってちょっとダサイから、もっと格好いいのがないかなぁと類義語を調べました。結局ダサいね。


芝生って青い方がいいのかなぁ、やっぱ。自分の芝生は何色に見えてるんだろうね。茶色なら枯れてるっぽいから青のがいいかもだけど、ピンクとかなら珍しいしそっちのがいいよね。



他人の飯は白い



これほんとか?芝生は青けりゃ青い方が元気な草っぽいけど、飯って白けりゃ白い方がいいのか?ご飯屋さん行くとみんな100円多めに払って玄米とか五穀米に変えるんだぞ?(そういう問題じゃない)

まぁでも白って200色あるし、自分がどんなんかは知らんが他人のが羨ましく見えるよなって話だよね。



私は自己価値観低めです。私の専攻は心理学なのですが、これを学んでいると自己価値観やら自己肯定感やら自己愛やら、似たような定義の言葉が大量に出てきます。


自己価値観は自分が社会の一員として価値を成している人間だと感じること。自己肯定感は価値があるかは置いといて、どんな自分もいいよねって肯定すること。(私なりの解釈)(自己愛は知らん)


私は自己価値観低いけど、自己肯定感は高いです。つまりダメ人間。


あぁだから自分ダメなんだなと思うことは山ほどあるけど、全部含めて小よしだよ、生きてるだけでえらいとまるっと許します。(成長しねぇな)




つまり私は幸せに生きてるんですよね。よく、自己肯定感は高い方が良い、上げるにはこう考えれば良いと書いてあるものを見ますが、自己肯定感は高ければ高いほど幸せに生きれると私も思います。知らんけど。


でもやっぱり自己価値観を上げたい。社会に貢献してる、誰かに必要とされてる実感を持ちたい。



肯定感に比べて自己価値観の上げ方はどこにも書いてない。どうしたもんかなぁと考えました。

そもそも自己価値観って、他人と比較ばっかりして落ち込みやすいぞっの言い換えなのでは?


1人でいる時や、超自然体でいられる友達といる時は自分いいじゃん、別にこれでいいんだよって思います。だけど外面の仮面を自然に被ってしまうような集団にいる時は、あぁあの人すごいなぁ、自分は何をしているんだろうと虚しくなります。


私がすごいなぁと思う人は決まって行動力がある人。取り組んでる内容より、やってみようと思ってからやり始めるその速度にまず引く。(引くな)

こういう人が人気あるんだよな、皆から慕われて必要とされるんだよなぁと思います。



自分がやりたい、けどできない、やれないと思い込んでることを他人が軽々やってるから、それが青く、白く、見えるんだよね。


何が言いたいのか、分からなくなってきました。とりあえずこのnoteが実は私の自己価値観を、行動力を上げる小さな一歩だということ、そして隣の芝生はピンクの方が羨ましいし、他人の飯は玄米に変えた方がいいということです。



noteがどんな場所かまだ何にも分かっていないけれど、お手柔らかに。読んでくれる人がいたら嬉しいな。


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