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61歳母、留学17日目。~おひとりさま~

午前中の語学学校を終え、この日はオペラハウスへ行ってみた母。
観光をした後、オペラハウスを望むテラスカフェに座り
普段日本ではあまり飲まないビールを頼んでみたらしい。
「せっかくオーストラリアに来てるんだから、、こういうところでビール飲んでみたい!」

ホームステイ先の部屋には机がないので、放課後はカフェに行って宿題をしているそうで、

「今日はここでビール飲みながら宿題しちゃお!」

(・・・できるんか?笑)

テラスから望む港には高層ビルを横に倒したような大きな豪華客船が停泊している。
カフェに座る人たちもビール片手に午後の風にうたれてのんびり時間を過ごしている。
平日の昼間であることを忘れてしまいそうな、何と穏やかな風景。
まるでいつもテレビで見ているような映像の中に自分がいるみたいだ。
あの豪華客船から見える自分はどんな風に映っているだろう・・・
夢の中にいるみたい、でも目の前にあるのは現実。

「本当に自分はオーストラリアに来たんだ・・・
毎日楽しいんだけど、、実感がないような、どこか寂しいような気もする。
一人でこんなに行動するのは初めてで、ましてや海外に1人なんて、、日本だったら家族や友達に囲まれて過ごしているのに、ここには誰もいない。。
今はオーストラリアに来たんだから、楽しまないといけない!やらないといけない!という気持ちが自分を動かしているような気がする。
正直言うと、まだ楽しむほどの余裕はなくて、、ただただ生活をこなすことに必死。。

写真では楽しそうに見えるかもしれないけど、実際は大変なことばかりで、こんなこともできないんだとやるせなくなる・・・

もっと英語が話せたら・・・
この料理は何でできてるの?
どこからきたの?
色んな人と話しができるのに。
なんだか独りぼっちで寂しいかも、私一人旅向いてないのかな・・・?」

シドニーのテラス席でビール片手に時間を過ごすなんて、うらやましい限りのシチュエーションではあるものの、電話越しに話してくれる母の声は弱々しかった。

母の気持ちはすごくわかる。
おひとりさまは自分が旅のパートナーだ。頼れるのは自分自身しかいない。
しかし、これがどうしたことか、最初は孤独に「寂しさ」を感じるのだが、慣れてきたら「爽快」になってくるように思う。

娘である私の話を少し挟ませてもらうと、
母とは少しタイプが異なる私、
母子家庭の一人っ子で育ったこともあり、それが功を奏したのか、一人で行動するのはあまり苦ではない人間に育った。
一人ラーメン、一人カラオケ、一人映画、一人温泉、一人旅行、、
(我ながら一人で楽しみすぎではと思ったりするときもある。)
そんな性格もあり、私は必然的に一人海外旅行をするようになったのだが
これまた行くたびにハードルが上がっていった。
もっと遠くへ、奥地へ、知らないところへ行きたい。。
気づいたらインドの山奥、ローカルバスに揺られて10時間、電波もなければ人もいない、壮大な岩山しかない不毛な土地に自分は立っていた。
ここを地球の秘境と言わずに何という、そんな場所に辿り着いたとき、

こんなところまで来てしまった・・・
ここは地球の片隅
家族もいない、友達もいない
だれも私がここにいるなんて想像もつかないだろう
だれにも気を遣わなくていい
何にも追われることもない
失敗しようと関係ない
何だってできる、何をやってもいいんだ
何でもできる気がしてきた
最高~~~~!!!!

(アドレナリン爆発。)

一人だと、自分とじっくり対話する時間がある。
とはいえ、一人旅でも人間一人になれないのが良いところ。
現地の人との触れ合い、旅人との関わり。
それは孤独だからこそ、得られる出会いがある。

(そして旅の難易度の高い地球の僻地に行けば行くほど、
とんでもないことが起こったり、ありえないような人に出会ったりする。
これだから旅はやめられない・・・)

と、、これはちょっと度を超えた娘の戯言なのだけど・・・

今まで一人旅などしたことのない母にとってはまだ苦行かもしれない。
私も一人旅に慣れているとはいえ、毎回最初は苦労や失敗の連続から始まる。
なんでこんなところに来たんだろう・・・
なんでこんなに辛い思いをしないといけないんだろう・・・
しかし、ふと風が吹くように自由になれる瞬間が来る。

母も少し時間が経ったら違う気持ちが湧いてくるんだろうか。
孤独な時間をしっかり味わった上で日本に帰って家族や友達に囲まれると、どんな感情になるだろう?

さて、1か月のオーストラリア滞在も折り返し時点に差し掛かってきた。
これから母にどんな気持ちの変化があるだろう?

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