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はじめてのリアルミート&グリートに行った話


、、、はっ、発光してる.......!!!!

自分の前にいる数人の隙間越しから、推しの正源司
陽子ちゃんが目に映った時に最初に思ったこと。
冬の寒さ到来を身近に感じた11月に開催された幕張メッセでのリアルミーグリがわたしにとってはじめてのリアルミーグリになりました。


ほんとに発光してた。
めっっっちゃ可愛いっ.....!!!!と目に飛び込んで
きてそう思ったのは言うまでもなくて。
人ってこんなに発光するんだって思うくらい眩しく見えた。推しだからなのか、そうじゃなくてもリアミに行って推しを前にしたらもうそうとしか思えなかった。
めっちゃの間に小さい"っ"3つじゃ足りないくらい息を飲むほど可愛かったです。




いざ面と向かい合った時にはあまりの可愛さに動揺して、話そうと思っていたこと全部どこかに吹っ飛んでいきました。
案の定といえばそうなのだけど、リアルミーグリはライブとはまた違って、想像を遥かに超えて、目の前に推しがいるというその「存在」がダイレクトにこちらに向かって来た。
 3部で話すことが吹っ飛んだので、(それを活かして?)4部は3部で見た推しを頭の中でシミュレーションして可愛さに動揺しない、伝えたいことを伝えるぞ!の強い気持ちで臨んだ。
 そうして列に並んでいる道中も繰り返し伝えたいことを頭に唱えていた。けれど、応援してますって何?と思ったり、励ましとも違うしな、とぐるぐる考えてしまって、伝えたいことは沢山あるなかで何を伝えるべきかよくわからなくなった。
そうこうしながら列はどんどん前へと進んでいき
自分の番が来た。


.............やっぱり、慣れない.....!


ブースを出てからはどこかゆらゆら蜃気楼感に
包まれた。
いや、慣れない可愛さってあるんだなって、
本当に「好き」としか伝えようがないなと、
このリアルミーグリで何度も思った。
なんというか好きって気持ちが勝手にこぼれる感じで、考える前にあるものでした。
話したことを残せたらと思っていたけど、記憶が
あやふやでほとんど覚えていない。
可愛かったことだけが残ってる。
その日のお洋服もとっても似合ってて、何もかんもとっても可愛かったです。
この時も手話でお話ししてくれて、顔を見て話せるって幸せなことだなあと思いました。
会いたいというのが一番なんだけど、
それと同じくらいわたしは好きなひとの声が聞きたいとも思っている。
声は耳で聞こえるものだけを指さないと思っていて、手話の「声」は動きで表情にみえる。
だからって手話じゃなくても陽子ちゃんに会えるというだけでもすごく嬉しいんですけど、こうやってどうにかして目の前にいる人に向けて"伝える"ということをこんなにも意識したことなんてあったかなと思って。
自分の気持ちを言葉にして伝えるのが苦手で、
踏み出すのにも足踏みしがちでリアミも行くか
ためらっていた。
それでも会いたいと思った衝動のままに行ってよかったと思いました。
(少し話を寄り道して、)なんで人は花を贈りたくなるのか不思議だった。
だけど、日向坂のライブに行くようになってから、ライブ会場やリアルミーグリでその人の後ろに飾られた花たちを見て、贈り物に願いが込められているように思えた。
贈り物に込めた"ありがとう"や"おめでとう"とかその気持ちを伝えたくて、花がお守りみたいに背中を押しているような、そう思った。
想いを届ける手段はさまざま。
結局は自分次第で、言葉は声や文章に手話とか
カタチを変えて伝えられるものなのかもしれないですね。
いつのまにか気持ちも熱を帯びていたのか、会場に着く前までは肌寒く感じた冷たい風が、リアルミーグリを終え、会場を出たときはなんだか心地良く感じました。


4部が始まる前に潮紗理菜ちゃんから会場にいる人へ向けてメッセージがありました。
紗理菜ちゃんらしい優しさのある言葉たち。
「思いっきり伝えられる時に大好きなメンバーへの想いを届けてほしい」
本当にこの言葉に尽きると思いました。
ずっと好きなひとがいるわけじゃないもんね。
この言葉を聞いて、少し緊張がほぐれた。
会いに行ける限り、一挙手一投足を込めて
言葉と想いは使い果たしていくつもりで走りたいと決意めいた気持ちになった。



なんだか不思議なもので、その人しかその時間は見ていないのに、ちゃんとこれでもかってくらいガン見していたはずなのに何もかも覚えられず、目で見た一瞬の光みたいなもの(その人の眩しさというか)が
頭を過ぎ去って抱えきれないくらいの好きが溢れるなあって。
どんなに真っ直ぐ見ても、長い時間見ても、ちゃんと見えている気がしないけれど、それでも輝いてるから見えないなりにどこか充実感があって、
その人のもつ眩しさを見たような心地になった。
その眩しさを通して、その人を完全にちょっと違う生き物と捉えている感覚がある。
どこかSFライク?思い返せないほどの思い出なった日でした。
それに可愛さに圧倒されてもいるけれど、ただ圧倒されてるだけじゃなくて、何か励まされるような
心地で、何かを与えてもらえたような気がした。
それはライブでも似たようなものを感じてます。
リアルミーグリが始まる前は一目会えたらいいかなて思っていたけど、そんなのいいわけなかった。
会えるのも当たり前ではないのにまたそれすらも忘れるところだった。
声はちゃんと届いているんだとわかることもあるから、会えるならできる限りその機会を手放さず、
言葉を伝えたいと思う。
微力かもしれないけれど、それが自分にとって
日向坂46へできることだと思うから。
好きをもって爆走できる。うれしいなって思える、そんな時間がありました。

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