宮田愛萌が語るオタク論を読んで



彼女のアイドル時代をこの目でちゃんと見ることができなかったのは悔やまれるなと思った。
「オタクは気持ち悪くて、でもそこが愛おしい」
そんなこと考えたこともなかった。
彼女の語るオタク論に核心を突かれた。そもそも
好きなものへ爆走するオタクの愛は身勝手なものなんだと、自分の中にもこの身勝手さが潜んでいるんだと思った。
確かにオタクは気持ち悪いかもしれない。

宮田愛萌さんにも推している人がいるオタクであり、そして元アイドル。
人を沼らせる側だった元アイドルの彼女が語るオタク論がいちアイドルオタクに刺さらないはずもなかった。
「ある物事に異常なほどにのめり込むこと」の沼らなければ見えない世界線があって、でも側から見たらそれこそ異常で不気味なんだろう。

「推し」は人を狂わせるし、人には人の狂気がある

群像 宮田愛萌


アイドルを推していての目線ですが、
"推し"は「人を皆狂わせガール/ボーイ」だと思う。
それは私の推しがという話ではなくて、その人にとっての"推し"がそういう存在、という私の個人的な考えです。
かく言う日向坂を推している私は、新しいグッズがでたら推しの可愛さが正義的な脳思考を盾に結局買ってしまうし、同じ本を何冊もカゴに入れてしまう。推しのメッセに#ハッシュタグをつけて返信するのも推しに出会わなければ知らない文化のようなものだったし、セトリが同じライブだとしても何度でも足を運ぶ。
 ライブは幸せな気持ちになりたくて行ってるわけじゃなくて、普通に元気じゃなくても行きたい。
たぶん何かを好きでいることと、幸せになることは完全には一致していないんだと思う。
そのライブを何回も見ることそのものが「好き」の表れではないこともわかってる。
ステージで歌って踊る推しを、彼女達が作り上げるライブを見たい。でも「見たい」と思うのは本当に「好き」だからだけなのかなあと思う。
結果的には彼女達にしか放てないハッピーオーラに幸せな気持ちになって、終演後には推し最高!日向坂のライブ最高!ってなる。
そのたびにやっぱり人を応援することの、この
一方通行なあり方が、ありがたいなと思う。
 どこまでも身勝手だ。
一方通行の豪速球でステージに立つその人に好きです!という気持ちを投げている。それを彼女達はいつも鮮やかな景色で返してくれる。
 オタクの愛は気持ち悪い。
この一方通行的な愛情は気持ち悪いのかと考えたら、気持ち悪いのは愛そのものであって、気持ち悪くない愛なんてないんじゃないか、と思った。
気持ち悪いものを相手にいかにそのまま差し出さずにいられるか、なのかもしれない。

 その人の名前も存在すらも知らなかったのに(むしろ出会ってからも全然知らないなと思うことばかりが増えている)、それでもその人だけを特別だと思い、最強で無敵だと肯定したくなる。
そうやって全てを知っているわけではない人を、
でも心から応援したいと思う時、それが異常なことだときっとどこかではわかってる。
彼女達は人の「好き」を自由に放つ仕事でそのプロな一面に尊敬している。そう思われることに彼女達がどう思うかわからないけど、どこまでも「好きだなぁ」って思わせてくれるって本当にすごいことだと思うんです。人を応援することの、愛情を楽なものにしている気がする。
どの好きにも熱狂が混ざっているとふと気づいた時、ちょっとゾッとする。宮田愛萌さんの「人には人の狂気がある」の言葉が腑に落ちた。

グッズを買うこともライブに行くことも自分のために行動している。好きならできれば何度も見たくて、そこにきっと熱狂はあり、コントロール不能な部分につきあたる。
でも一方的に「好き」でいられることが幸せの根っこにあるとも感じる。
巻き込まない誠実さを持ちたい。
同じことを別のnoteに11thシングル発売決定を受けて書いた。彼女達の仕事はとてつもなく繊細なものだと思う。無数の選択肢がある中で、この道を選ばなければよかったと思うようなきっかけにはなりたくないと思ったからだった。
心の底から11th楽しみにしてる。でも、時にグループや好きな人に取り巻く状況にしんどさを感じる。"好き"に見せかけた悪態をつく言葉が好きな人たちに投げかけられることに、好きだと思わせてくれた彼女達が立ち向かわなくてはいけないことがしんどい。それでもただ想うことしかできない日があって、せめて自分の欲求のために行動してるって自覚していたい。
熱狂という奥底に秘めた狂気が人にはあるんだと、このオタク論を読んで思った。
ここまで書いた愛情の話は作品や偶像とかそういうものへの話です。


みんな自分の軸で生きているから、他人から見れば異常で気持ち悪くて、そこが可愛い。愛おしいとまで思う。

群像 宮田愛萌

「自分の人生大事にしなよ」という投げかけは推し活にはあって、同時に痛みのように侵食することがある。
別の環境で生きているから他人の考えを完全には理解できないし、隣の芝は青く見えて、謎に対抗心を掻き立てられることもある。
でも、それはオタクだから、とかではなく、仕事や趣味にも表れるもので正解なんてないんだろうなと思う。
それに何回も見に行くなんて大好きなんだねと言われたことがあったけど、一回だろうが何十回だろうが大好きだよ!!!と叫びたくなった。
あと、自分の記憶力を信用してないからだよ。


"オタクが愛おしい"と思えるかは今だにピンとはきていないけれど、この言葉にラジオだか何かで、藤吉夏鈴ちゃんの、ライブでメンバーに見せるためのうちわを一生懸命作っているファンの姿を想像して、愛おしい気持ちになるという話を思い出した。
夏鈴ちゃんにそう思われる世界線があるのかと
印象強かったから覚えているのか分からないけど、急にリアリティを感じて。その人に「好き」を向けている気がするからものすごく告白だよなあ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?