見出し画像

いつ死んでもいいわたしたち(1)

この記事に衝撃を受けた。

ぜひ読んでみて欲しい。詳細は割愛するが、自他共に認める究極にやる気がない(そしてそれを隠そうとも取り繕うこともしない)社員が紹介され、この社員にどう接する?ということがこの記事の主題だ。


結論から言えば、わたしは放っておけ派である。


なぜなら、この若手社員(以下勝手に性別を想像して若手くんと呼ぶ)はいくら外から働きかけてもきっと周囲が期待するような働きを見せることはないと思うからだ。

きっとあらゆる方向から仕事をする意味ややりがい、メリットを説いてもそうそう心が動くことはない。現に上司が食い下がっているが全く靡かない。そうするだけの理由が若手くんのなかにはないからだ。

ただ逆に言えば、そうする理由が若手くんに生まれれば行動するということだ。だからこういったタイプは自分が本気でやりたいと思えないと行動には表さない。

だが、この若手くんは超やり手で休日はずっと寝ているし趣味があるわけでもなさそうだ。内発的にもなにかをしてみようとさえしないから若手くんはきっと、ずっと60%の完成度の仕事をして、無駄に頑張らずに生きていくのだろう。

外からの働きかけでは若手くんは変わらない。




と、こんなふうに自分の思いを書いてみたがわたしがnoteにご無沙汰すぎる記事を投稿したのはこの議題を論じるためではない。

自分のことを書きたかったからだ。

なぜなら若手くんの言っていることに共感してしまったから。

この記事を読んだときに一番に感じたことは

この子は自分だな。である。




わたしも若手くんと同じ様に今死んでも構わないと思っている。もちろんメンタル的なことは抜きにしてだ。

少なくとも二十歳前後の頃からそう思っていたと思う。それ以前はどうだったか覚えていない。

ただ若手くんと違って楽しいことややってみたいことはある。休日を寝倒すことは決してない。

おいしいものを食べるのは好きだし、いろいろな本も読みたい。映画も見たい。ドラマも見たい。旅行にも行きたい。友だちと話すのも好きだ。いろいろな美術品を直接この目で見てみたい。お気に入りの漫画がどう完結するのか気になるし。

ただそれらを全部ひっくるめても、だから生きてたいとかこれをするまで死ねないなんて思わない。目標もない。

なかなかチケットが取れないコンサートを明日に控えて死んだら?と考えても、死んじゃったら仕方ないよね。という感想しか出てこない。

もっと正直にいえば先に死んだら親が泣くよ!と言われても世間はそういうよね。くらいにしか思っていない。

世界にさほど興味がないし、自分にも興味がないのだと思う。



こんなわたしたちがもしも世界に興味が持てて、生きようとするとしたらどんな条件だろうかと考えた。

そのときこんなことを思い出した。

大学二年生のときのことだ。本格的には始まっていないが就活を意識し始める時期。

行ってみたい業界もなく、ただただ勧められるがままに就活セミナーに参加している上っ面のやる気だけがある大学生だった。


ーーーーーーー

(続く)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?