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プレゼント

年度が変わり、今の職場に転職して2年目に突入した。
直属の上司が変わり、新たな部署運営に必死に食らいつく日々だ。
今日は久しぶりに残業して、日中取り掛かれなかった業務をこなした。
気が付けば20:30になっていた。
空腹に耐えかねて、帰路に就く。


帰りの電車内。
向かいには中学生くらいの少女2人組が座っている。
どこかで遊んできた帰りだろうか。中学生で21時ごろまで遊ぶことなんてあったかな、と自分の記憶を辿る。

等身大の子どもらしさと、一足早く大人に近づいているような落ち着きを持ち合わせた、純朴な2人だ。
雰囲気からお互いが心を許していることが伝わってくる。
不審者にはなりたくないので、スマホや車内の広告を見つめながら「きっと10年後も2人並んで帰れる友達だよ」と心の中で呟く。

するとおもむろに、片方の少女が友達に小さな袋を手渡す。
「誕生日ということで!これ!」
お友達は「えっ!?うそ!?なに!?」とお手本のようなリアクション。

袋を開けると、シャーペンとメモ帳のようなものが出てきた。
お友達は「えー!本当にうれしい!」と、電車内であるが故の自己制御も超えてしまいそうな喜びの声を上げている。

私は、ハッとした。
大人になった私は、シャーペンとメモ帳でここまで喜べるだろうか。
小学6年生の時に、親友からシャーペンをもらったことがあった。とても嬉しかったことを鮮明に覚えている。
では、25才になった今なら?
おそらく、あの時と同じ喜びを感じることはない。
いつからか自分の周りの社会が変わり、感覚が変わり、心が変わった。
変化は時の流れによって起こる自然なことであり、悪ではない。
それでも、小さな袋を大切に抱える少女の表情を見ていると、そのような心を持っていることを羨ましく思った。

何をもらったかではなく、このお友達からもらえたことが嬉しいから、ここまで眩しい表情ができるのだろう。
プレゼントを渡した方の少女も、負けず劣らず眩しい表情だ。
この2人は、互いにこのような友達に恵まれていることの幸せを、知ってか知らずか全力で噛み締めている。

2人の少女は、私が過去に置いてきた忘れ物を届けてくれた。
それをしっかりと受け取ることができたのかは、今はまだ分からない。


4月になり、新たな仲間が増えていく。
人の輪は、さらに広がっていく。

「与える・与えられる」の連続である社会。
その日常の中で、周囲の人に心から喜んでもらえる、そして、心から喜べる、そんな経験に溢れる豊かな心を持ち合わせた人間でありたいものだ。

少女たちは、だいぶ前に電車を降りていった。
がらんとした車内で目の前の空席を見つめながら、彼女たちの幸せを願うと共に、明日からの日常に暖かな陽射しを与えてくれたことへの感謝を唱えて、私も電車を降りた。

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