「先に転がる子、さきこ」

日連神社に行くと、「さきこ」「さきこ」と呼びかけられるような気がする。
「先に転がる子、さきこ。怖がらないで。」
そんな声が胸の内に感じる。
私自身からの声なのか、どこか違う存在からなのか、それを包括したものからなのか。

昨日のお祭りの後の神社を見に行こうと思った。
朝の氏神様へのご挨拶は久しぶりだなあ。神道がどうとか、朝のウォーキングはセロトニンが出るとか、色々考えていたけど、そんなのどうでもいいような感じがする。

「先に転がる子、さきこ。怖がらないで。」

その声は、かすかなもので、感じると、嬉しい。
自分からでもいい。ちょっとだけど、元気というか、勇気というか。朝の光の中でそんなのを感じるのっていい。

たくさんのことをしようと思ってきたように思う。
それがいいんだと。
自分のため、自分のしたいことのため、誰かのため、社会のため。
自分のできるMaxで貢献しないといけない、みたいな。
それでやりすぎる。
自然の速さってそうではないような気がするんだ。最近。

「晴耕雨読」と子どもの頃聞いた時に、「そんなのんびりでいいんか?」と思った記憶がある。
子どもって40年前からそんなに忙しかったんか!!
今の子どもたちはもっと忙しいのだろう。

静かに降る雨、とか。心に余裕というか、そんなになくてもいいけど、少なくとも静けさを感じるだけの、何ていうの、のりしろでもなく、隙間でもなく、幅でもなく、うーん、ゆとり、離れた、そんなものがないと、感じられないよね。じわーんとね。ああ、心も静かになっていくような、と。

感じるのには時間がかかるんだ。

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