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【スカイ・クロラ考察】この世界の大人たち

今回は,劇場公開15周年記念の第2弾として,劇中の大人たちについて取り上げます.彼(女)らを追うことが作品のテーマにつながるかも?


1.はじめに

まずは,本編のエピローグにまつわる一節を紹介しましょう.サンフランシスコでのダビングで仮音を入れ,庵野秀明さんと神山健治さんと一緒に通しで見たようです(※).

庵野さんはスタジオで偶然会ったためご一緒したとのこと(メルマガ「押井守の あの映画のアレ、なんだっけ?第45回『シン・エヴァンゲリオン』について聞かせてください!」(2021年4月20日)).

その際,庵野・神山両氏は整備士・笹倉永久トワの最後の表情について意見が一致します.エピローグで優一の生まれ変わりを格納庫から見たときの表情です.

この話は押井さんと神山さんの対談で取り上げられています.長いですが引用します.

神山  ただ問題は最後に整備のおばちゃんが寂しい顔をする.あれを見て庵野さんとオレで「あの表情が間違ってない?」と(笑).
——あれ気になるんですよね.頭から見てるとわかるんですけど.
神山  押井さんが鉄っつん〔作監の西尾鉄也さん〕にすべてを任せたのはわかるし,鉄っつんは責任を持ってやってた.だけど鉄っつんは演出家じゃないから.あの顔,あの表情はどう考えても間違えてる.あの顔,あの表情だけ.「あれは喜ばないと,ループの人生を歩んでるあいつらを祝福したことにならないじゃん!」というのがオレと庵野さんの,暗闇で初めて通しで見たときの意見だったの.オレと庵野さんが同時に「どう思う?」って言った瞬間に出た意見.
 押井さんは「この映画は難しいな」とか言ってるけど,オレらは別のことで「いや,大丈夫な手はある」って話をしてたんです.それが同じカットだった.つまりあのおばちゃんの表情を鉄っつんに作画し直してもらうか,あのカットを欠番にすればいいじゃんと.」
押井  オレは,あのときのあのおばちゃんの顔を変える気はなかったんだよ.なぜかと言うと,オレが当初考えてたコンセプトとは明らかに違うの.
——え?
押井  そうだよ.それはアニメにありがちなんだけど,ここ1番に決めて欲しいと言うときに決まった顔が出てこないときがある.それはアニメーターにどんな説明してもダメで,描けないときがあるんだよ.以前に宮〔崎駿〕さんからそれを言われたときがある.
 『パト1』で後藤が「これから忙しくなるわ」とか,これから海上保安庁に行かなきゃとか,これからあちこち全部の根回しをしなくちゃいけないんだよねって言う.それでしのぶが呼び止める.「後藤さん」って.そしたら後藤が「はい?」と言って,「ううん,なんでもないわ」と.そして後藤が去って,誰も見てないところでしのぶが敬礼する。そのときの動きも顔も良くない.宮さんは真っ先にそれを見つけて「あの動きと顔は違うよな?」と.あれは後藤を見直したというのともちょっと違うんだよ.無言で後藤を支持しますという.そういう表情.
神山  うんうん,わかるよ.
押井  惚れ直したという顔でもない.ただの警察官での顔でもない.あそここそまさに大人の顔の瞬間なんだよ.だけどあれは黄瀬和哉でも描けなかった.
神山  オレは演出が不在に見えたんです.あの顔.
押井  宮さんは「オレだったら絶対描き直す」と.そりゃアンタはアニメーターだからそうだけど.演出家というのは基本的には上がった絵で勝負するもんだから.あとできるのは「どう読み替えようかな」ということ.そういう意味で「ちょっと難しくなったな」というふうにすることに,オレはいつもしているの.上がったものに抵抗しない.自分のコンセプトを修正していく.だから「初期設定にはこだわらない」といつも言っているのはそういうこと.

押井言論374-375頁.〔〕内引用者補足以下同じ

インタビューワーの方が気になると言っているのは,笹倉の表情が,優一がはじめて基地に来たときのものと違うことでしょうか.確かに,はじめの方は微笑みが混じっています.

ちなみに,神山さんの「演出が不在」というのは,アニメーターが押井さんの注文に応えられなかったというよりも,押井さんとの間で何らかのコミュニケーションエラーがあったのでは,ということでしょう.意思疎通できていればああはならないはずと.

さて,注目は見解が2つに分かれていることです.それは押井さんの「変える気はない.なぜなら当初のコンセプトと異なるから」という箇所で明瞭になっています.彼は要するに「神山たちの考えはオレが考えていたことと違う.西尾の絵を変えるつもりはない」と言ってます(末尾註1).

この点,押井さんの絵コンテでは笹倉の表情に喜びの要素は一切なく,「少し疲れた横顔を見せて」格納庫に踵を返す旨記されています(コンテ388頁).このメモに鑑みれば本編の絵はコンテ寄りではあります.

しかし,コンテには「寂しい」といったニュアンスのメモはありません.笹倉に「哀しい」表情の指示があるのは,水素の破綻を訴える三ツ矢に応答するもわかってもらえなかったときです(同329頁).この哀しい表情と先ほどの表情が同じに見えることが,押井さん的には問題なのでしょう.

以下,この見解の相違からあれこれ考えていきます.



2.神山氏の見解

そもそもどうして,神山さんは笹倉が「喜び(祝福)の表情」であるべきと考えたのか.まずはこれを探ります.

次の水素の台詞が糸口になるかと思います.

Enough is enough!  可哀想なんかじゃない,可哀想なんかじゃない!同情なんかで,あいつを侮辱するな!

菊池凛子さん素晴らしい

このシーンは,味方機の墜落現場に駆けつけた際,とある近隣住民(年配の女性)が憐れみの涙を流していたことに対する水素の反応です.「enough is enough」とはもうたくさんだ,いいかげんにしてといった意味で,コンテにはないため追加の経緯が気になります.水素役・菊池さんからの提案でしょうか.

それはさておき,キルドレに対する憐れみが彼女にとって度し難いようです.キルドレたちは空を飛んでいるときにしか,生きている実感を得られない人たちでした.戦死であれ,空で死ぬことは彼らにとっては生きることと同じです.彼らが精一杯生きたことに対し,すべきは哀悼ではなく祝福だと.

そんなわけで,優一は生きようとしてティーチャに挑んだのですから(「草薙水素は死なない」),彼の生まれ変わりに対して,笹倉が寂しい表情を浮かべるのも水素的には侮辱に映る気がします.笹倉はキルドレの母親的存在であり,彼らに理解のある側の人です.一般市民と同じ態度をとるはずがないから,あの表情は違うだろうと.

これが筆者の推測する神山さんの見解です.結論が同じ庵野さんがどのように考えていたのか聞いてみたいところです.



3.押井氏の見解

では押井さんについてです.果たして「当初考えてたコンセプト」はどんなものだったのか.

まずコンセプト(concept)には構想といった意味があります.構想とは部分と全体でいえば全体に関わる言葉で,全体を貫く基本的な考えといったイメージです.

すなわち,笹倉の表情は作品の基礎に関わるということです.何やらむずかしい話になる予感がします.


(1)2つの大人

さて,優一の台詞から始めます.水素の娘・瑞季に言います.

〔キルドレは大人に〕なれないんじゃなくて,ならないんだ

といっても押井さんの設定では,キルドレの見た目16〜17歳,実年齢は26歳くらいとのことです(ナビ80頁).なので酒,煙草その他もやる.水素に関しては,笹倉と8年の付き合いがあるというので,長生きしている分さらに大人といえます.

話を戻すと,このようにキルドレは大人の扱いを受けながらも,優一の中ではキルドレと大人の間に明確な線が引かれています.じゃあ優一のいう大人って何なんだということが気になります.それは部分的に押井さんの次の言葉に垣間見られます.

〔キルドレが大人にならない理由は〕大人になって,何かを解ったようなふりをして,将来に夢や希望を持って生きようと声高に叫ぶよりも,今目の前の現実を受け容れ,日々を精一杯生きることの方が,美しいと考えているからです.

アニメは8頁

現代を生きる若者たちも,この映画の主人公たちも,「頑張れ」と慰めてほしいなんて思っていない.彼らは自分の価値観に正直でいたいだけだ.むしろ大人たちが,嘘をついている.

同上86頁(企画書抜粋部分)

若者たちの気分を無視して"オレの考える最強の"希望を説く「わかってない大人たち」.

もっとも,劇中の大人が全員「わかっていない」というわけではなさそうです.というのも,本編で大人には2種類描き分けられているからです.

1つは,先ほど触れた近隣住民の方や,今から触れる基地にツアー見学しに来た大人たちです.後者は民間の戦争請負会社の支援者たちのようです.

劇中で,水素は優一に彼(女)らのガイドを頼みます.同僚のパイロット湯田川はこの見学者について「あの女〔水素〕ならとっくに撃ってる」と言います.見学者たちは口々に優一に応援や感謝の言葉をかけていました.どうやら同情だけでなく,応援や感謝の言葉でも水素は「神経が苛立つ🎃」ようです.また湯田川としては,見学しようという発想自体が気に入らない様子.

いずれもキルドレの秘密を知らない人たちで,水素を苛立たせる人たちでした.ここでいうキルドレの秘密とは,差し当たりループの運命を背負っていることと理解してください.

さて,もう1つの大人は,キルドレの秘密を知る大人たちです.彼らの飛行機の整備主任である笹倉の他にも,優一たちがよく行くドライブイン「ダニエルズ・ダイナー」のマスター夫妻がいます(なお今回コールガールたちは検討及ばず).

VA.竹中直人

笹倉とマスターらがキルドレの秘密に気づいてるというのは,優一が湯田川の生まれ変わりに気づいたように,日頃から接する機会のある笹倉たちなら彼(女)らのループに気がついているだろうと考えられるからです.

また,キルドレとの距離感も似ています.大人たちの表情は硬く,キルドレに対する接し方もどこか丁重というか重々しいのです.掛ける言葉も「…おめでとう(コンテによれば目が笑っていない)」「気をつけてね」(ボソッ)とか.

さて2つの大人を比べると,キルドレの秘密を知らない人たちは,彼らの戦死を憐れみ,また感謝と応援の言葉を掛ける.これに対し,秘密を知る大人たちは,彼らと接する際になんとも言えない重たい空気を醸し出す,といった違いを看て取ることができます.

先ほどの「キルドレ/大人」図式における「わかってない大人」とは,前者の秘密を知らない者たちを指します.押井さんの言う,現代の若者をわかっていない大人は,劇中でキルドレたちが背負う運命について「わかっていない大人たち」に重ねられていることになります.

・ここまでの整理
①「キルドレ/大人」の区別
 →優一があえて大人にならない場合の大人=わかってない大人
②「わかってない大人/わかってる大人」の区別
 →キルドレの秘密について.笹倉とマスターは後者


(2)マスターと謎の老人と笹倉

それでは続いて,キルドレの秘密を知る後者の大人たちを検討します(以下,単に大人という場合こちらを指します).この大人たちで手がかりになるのは笹倉とマスターです.やや細かい作業が続きます.

まず,マスターの次のシーンに注目します.優一らが所属するロストック社による大規模攻勢がテレビで報道される中,店先に出て煙草を咥え,老人の隣に座るシーンがあります.

この老人は原作同様,店先の階段でずっとうつむいること以外に情報がなく未だにその正体が謎であり続けています(ネットには「待っている」という台詞が一言だけある予定だったという情報がありますが,今回裏は取れず.情報求む).

とはいえコンテには次のメモがあります(コンテは戦闘機シーン以外は押井さんの手によるので以下で引用するメモは全て押井さんによるものです).

何か考え込んでいるマスター
パイロットたちと接しているので気楽に観戦できません
オレはいったい何なんだの表情

コンテ287頁

まず指摘できることとして,マスターは自分のことで何か葛藤している様子であること.そしてその葛藤は戦闘を観戦できないことからして,戦争あるいはキルドレに関係していることです.

ちなみに,このときの絵は老人の横顔とマスターの横顔が並び両者を比較できる構図になっています.2人の輪郭は似ており,同一人物であることを示唆しているように思えます.2人が親子なのかクローンなのかはわかりませんが,少なくとも何らかの意味でマスター=老人であるとここでは解釈します.

このことを踏まえて,次にこの謎の老人について見ていきます.彼の正体は結局わかりませんがコンテに次のメモがあります.優一が初めてお店に来た際に老人を眺めるシーンです.

見た目で
生ける屍のような老人
全く動かない

コンテ94頁

この老人は生きているけど死んでいるような者として存在しているようです.「生きているのか死んでいるのかわからない」存在といえばキルドレです.両者の関係が気になるところですが,とりあえず先ほどのマスターにつなげると,老人と同一人物であるマスターも,生きているけど死んでいるような状態ということを導けるでしょう.おそらくメンタル的に.どうしたマスター.

ここで気になってくるのが,整備士笹倉の表情についての2つのメモです.まずは冒頭にも触れた優一の生まれ変わりを見た彼女の表情.

疲れた顔を見せて格納庫へと踵を返す

同388頁

もう1つは,土岐野が優一を初めてドライブインに連れて行った際に,笹倉が土岐野を睨むシーンで,彼が優一に前任者・栗田仁朗のことを話してやろうと思ってという旨の申し開きをした際の笹倉です.

凝っと土岐野を見つめ
怒りやら嘆きやら徒労感やらの複雑な感情
を全て抑えた表情
難しいけどやってみよう

同98頁

「複雑な感情」.土岐野が優一に話そうとする内容は確かに複雑なものですが,それと同時にそもそも笹倉が常々キルドレに複雑な思いを抱いていることを読み込むことも,あながち深読みではないと思います.

そして何より彼女の「徒労感」です.マスターや笹倉らが出す重い空気や彼らが,どこか日常的に疲弊している様子はキルドレと関係がありそうです.

つまり,大人たちに見られる疲弊した感じと,キルドレに対する複雑な思いとは関係しているといった予測が立てられます.マスターについてはある種自責の念に近いものも彼らに抱いていそうです.

このキルドレに関する複雑な思いは,彼らとツアー見学の一般人との違い,すなわち,キルドレの秘密を知ったことに起因していると考えられるでしょう.おそらく彼らの秘密が大人たちを疲弊させている.


(3)世界の秘密

ではその世にも恐ろしいキルドレの秘密についてです.この秘密は戦争の真実と関係しています.

君は生きろ.何かを変えられるまで.

台詞によれば,優一は水素に何かを変えてほしかった.それは彼女の死にたいという個人の問題ではなく,水素をそこに追い詰めたそもそもの原因の変革を託した,というのが前回記事で少しだけ触れた理解です(上述「草薙水素は死なない」).

その原因とはキルドレに繰り返しの運命を強いる何かです.スカイクロラの世界は恒久的な世界平和が確立した世界ですから,本来戦争は起こらないはずです.しかし,人々は実際に人が死ぬことを目の当たりにしないと平和を実感することができず,平和を維持できないことから逆説的に戦争が求められる,そんな矛盾を抱えた世界です.なので戦争の終わりは平和への危機につながるため,この戦争は終わらせることができない.この世界の真実.これはこれでディストピアです.

この戦争が戦闘要員であるキルドレにループの宿命を強いています.終わらない戦争のために,ひたすら生と死を繰り返させられている.「運命を仕組まれた子どもたちか.過酷すぎるな」といった声が聞こえてきそうです.

そしてここに不条理,不正義あるいは理不尽があります.このことに何かを思い優一はティーチャに挑み,水素も決意新たにというところで物語は閉じます.

この「ショーとしての戦争」は過去人類が経験したことのないある意味全人類のための戦争ですから敵も味方もなく「私たちっていったいどこの誰と戦っていると思う?」(水素)がそのまま成り立つ面白い世界設定です.ちなみに,この戦争の真実は作品世界で周知の事実なのかはよくわかりません.例えば見学ツアーで支援者の1人が「あなた方が戦ってくれているおかげで,私たちは平和に暮らしていられるんですもの」と言っています.わかっているようなわかっていないような言葉ですが,おそらくわかっていないのでしょう.彼(女)らが"わかっていない"大人たちだからです.

話を戻すと,笹倉たちがこの戦争の真実を知っていたかはわかりませんが,少なくともキルドレの秘密(ループの運命)については,彼女らは気づいていたでしょう.そしてキルドレの秘密だけでも理不尽です.


(4)大人の葛藤

そう考えると,大人たちの苦悩とキルドレの関係がつながります.おそらく彼らを蝕んでいるのは,この世界の不条理に対する無力感に近い気分だろうと.

世界の直接の犠牲者となっているキルドレたちは優一のように気づいていないか,気づいたとしても「受け入れて,日々精一杯生きることが美しいと考え」て過ごしています.

これに対し,この世界の真実,理不尽に気づいた大人たちは,心のどこかでこれを受け入れられない,受け入れてはいけないと思いながらも,自分たちにはどうしようもできないといった状態ゆえに,あの重い表情なのではないでしょうか.

これはマスターの自責に近い念にもつながります.彼(女)らを犠牲に自分たちは平和を享受しているという念.やはりキルドレにどこか胸を痛めている.世界の犠牲となっている彼(女)らへの後ろめたさみたいなものを推しはかることができます.マスターの「オレはいったい何なんだ」の行間に「(これでいいのか)」といった言葉が読めそうです.

脱線しますが,あの世界の大人の表情に影を落とすことで,理不尽が日常を,世界を覆っているある種ディストピアの雰囲気を醸し出すことに一役買っているといえそうです.キルドレに対する大人の態度が作品の世界観のリアリティに貢献しています.

以上,ここでは社会への葛藤を抱えて生きているのが,あの世界の大人たちと考えたいと思います.

良心の呵責あるいは無力感に苛まれながらも,笹倉は日々業務に勤しみ,マスターも黙ってミートパイを出しコールガールへつなぐ.

そしておそらくティーチャも同様に日々キルドレを殺し続けているのでしょう.彼が水素に「生きろ」と思っていたのは(「草薙水素は死なない」),現状変化を彼女に期待していたからとも考えることができます.

こうした大人の設定背景は気になります.押井さんはキルドレに現代人(主として若者)を重ねているので,ではこの大人たちにはどういった人たちを重ねたのかという問いは成り立つでしょう.これについて次の発言に答えがありそうです.

「映画監督になりたいという若者は数多くいますが,どんな映画を撮りたいのかを明確に答えられる人はほとんどいません.僕にとって何ものかになるということは,世の中に対して確固としたリアクション=行動を起こす人間です.世の中に自分の席があるということだけが,何者かになることではないと思うのです.
確かに世の中には確固とした席を持っている人はいます.でも,大方はお金を儲けることによってであって,そのお金によって何をするかということには興味を示さない人が多いように思う.稼いだお金は,さらにお金を儲けるための原資にしたいということにすぎない.それが現状なんだという気がします」(アニメは32頁)

ここで示される,世の中に席はあるけど世の中に対して行動を起こさない人間(これも現代人の1つの側面)が,作品世界の大人に投影されていると私はみています.もっとも上記引用箇所には現代人の疲弊や徒労感は指摘されていないので,大人たちが神経をすり減らした点は別の意図で足された要素だと思われます.こちらの背景も気になります.

ちなみに,行動を起こさない点はキルドレにも当てはまります.もっとも,大人と異なりこちらは葛藤がありません.ここには革命や暴動を起こさないのが今の若い人たちという押井さんの見解が反映されています(ナビ105頁).したがって,本編最後で主人公2人が何かを変えようとした描写は,そんな現代人に押井さんからのメッセージということになります.

以上,押井さんの「当初のコンセプト」の読解を試みました.大人たちの空気が重たいものになること,および笹倉が最後に喜びや祝福の表情にはならないと押井さんが考える理由はこのあたりではないでしょうか.

この世界は狂っていると考える大人が,明るい顔でキルドレのループを祝福するというのはどこかで嘘をつかないとできないことですから,パイロットの母親的存在である笹倉はそのような表情はしないということになります.

ここで急いで付け加えたいのは,神山さんらは笹倉が嘘をついても祝福するべきと考えているわけではない点です.

そもそも彼らは上述のような押井さんのコンセプトを知りません.上述からうかがえるように,押井さんは「ショートしての戦争」という世界観を作品内で成立させてはいますが,それを支える摂理とでもいうべきものは理不尽で変わるべきものと考えています.

そうした押井さん本人の考えを脇役である大人たちに反映させています.しかし,神山さんらにしてみれば笹倉たちは世界観に則った存在であり,まさか脇役まで摂理に異議を持つ存在として描かれるとは思っていないでしょう.彼らにとってはその世界に疑問を持たない笹倉なので確かに祝福するはずなのです.

したがって,冒頭の監督たちの分かれ目は押井さんの基本的コンセプトを知らないことに起因するものだったというのがここでの読みです.意見が分かれるのももっともというわけです.



4.キルドレについて

さて,上述のような大人が配置されたそもそもの趣旨はキルドレの描写のためとのことです.

キルドレたちが子供であるという事を際立たせる老い,外の大人たちが存在する.ササクラやフーコ,外部の大人たち,等々.それを描かないと,テーマが見えてこない.

アニメは81頁(石井さんが押井発言を整理した手書きメモ)

そのキルドレについて,先ほどのあえて大人にならない旨の優一の台詞と似たものが本編にはあります.

本田「まったく,大人気ない…子供はこれだから困る…いや,失礼」
優一「いえ,その通りですから.でも明日死ぬかもしれない人間が,大人になる必要ってあるんでしょうか」

これは原作にはないものです.押井さんはシナリオ会議で「人は,大人になる必要があるのか?」という内容を盛り込みたい旨を脚本担当の伊藤ちひろさんに伝えており(アニメは94頁〔石井朋彦執筆部分〕),これがキルドレに関する主題になっていることがわかります.

この問題意識について具体的に語ってくれているので紹介します.

昔と違って徴兵制もないですし,大人にならないでもすむだけの世の中になってきたんですよ.その一方で,大人になれないのかならないのか彼ら〔若者〕自身よくわかっていないと思います.とりあえず大人になっても,一部の人間を除いて世の中に関われるとは限らない.世の中を変えるとか動かすとかいう言葉に,大人がすべて関わっているわけではない.単に選挙権を持つことが実生活や実社会に関わるということではないことは,みんな知っているわけだから.大人になって何かいいことがあるのか.結婚して子供を作って家を買ってローンを払い続けて,そういう人生にどんな意味があるのか.(中略)実際問題として結婚するとか就職するとかは,大人になるための儀式,通過儀礼であり得たんだけれども,今は必ずしもそれを選択しなくても世の中の一員でいられる.(中略)彼女が欲しいかもしれないけれども,彼女をもったり結婚することで,自分が今享受している環境のすべてが消えるとしたら.(中略)みんなそれを恐れているんです.でも,その生活が自分にとってベストだと,生きててよかったと思えてないことも確かなんです.現実過程に参加することがそれほど魅力的に見えなくなっているのは間違いないと思います.

ナビ80頁.太字強調引用者

これは第1回製作者委員会(2005年8月11日)での所信表明の一部です.そこでは大人になること,実社会に参加することに必然性や魅力を感じなくなっている現代の若者の気分,そしてそれが理由のあることが言われています.

もちろん押井さんとしてはそれでも大人になることに積極的な意味がある,と言いたい(に決まっている).その1つは「人とかかわること」という主題における優一と水素に込められました(「草薙水素は死なない」).物語的に彼(女)らは押井さんのいう大人になったからです.

この「大人になること」は制作初期では主要テーマの1つだったのですが,次第にそれは作品最大のテーマ「生の実感」について若者だけが映画の対象ではなくなったと感じるようになるにつれ,少し後退していったように思います.


今回は以上になります.次回その最大のテーマについて取り上げます.最後までお読みいただきありがとうございました.



笹倉の他にも表情がうまくいっていないと押井さんが明かすのは,

・コテージで優一を前に服を脱ぐ水素.
・終盤泣き崩れる水素(「あれはあれで正解だけど」何か違うらしい)

いずれも言論375−376頁.
個人的に急いで付け加えたいのがフーコの館でティーチャを目の前に脱ぐ水素も同じく無表情ということです(下記画像).

特に服を脱ぐ際の水素の表情について押井さんは「仕方ないんだよ.アニメーターは理解できないものは描けないんだから」とか言ってますが,彼女が脱ぐシーンの表情が統一されていることに鑑みればアニメーター側はその表情に確信を持っています.みんなして押井さんはこれがストライクでしょ,という.『イノセンス』(2004)に登場するセクサロイドのイメージなのでしょう.

関連して,脚本を担当された伊藤ちひろさんは,水素がティーチャと関係を持ったことについて「人生の何かを変えようとして大人の男性と関係を築」いたと言い,「若いときに女の子が大人の男の人とつき合うことによって,自分も変われるかもという期待を抱く感情に近いんじゃないかと」(以上,宝島19頁)という理解を示しています.なるほど勉強になります.それにしても水素は当時から変わりたかったということは,彼女がずっと何かと闘っていたということです.闘う女性.奇しくも名前が酷似する別の草薙氏を思い出します.


・参考文献
『押井守ワークス+スカイ・クロラ』別冊宝島1546号(2008年)
『スカイ・クロラ ナビゲーター』日本テレビ,2008年
押井守編著『アニメはいかに夢を見るか』岩波書店,2008年
押井守著・アニメスタイル編『スカイ・クロラ絵コンテ』飛鳥新社,2008年
押井守『押井言論2012-2015』サイゾー,2016年

画像:©2008 森博嗣/「スカイ・クロラ」製作委員会

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