【読書感想文】ディディの傘 ファン・ジョンウン著 斎藤真理子訳

やっと読み終わった。。。
やっと。10月の終わりに予約して借りたら、図書館の改装と重なって約1ヶ月借りられたのに読み終わらなくて、借り直してようやく読み終わった。そして、さらに延長して読み直してやっと内容を読めたような気がする。

というのも、全体的に楽しい話ではないこと、だからこそ読みこぼさないようにと思うこと、前提とされていることを私が知らなさ過ぎること、このあたりから、つっかえつっかえ読んでいたので、全然すすまなかったのと疲れて帰る電車で本を開く気にならなくなってしまったということが要因だと思う。

事前情報として、「性別を限定しない書き方をされているよ」「亡くなる話だよ」「韓国の社会問題・セウォル号事故・キャンドル革命について描かれているよ」ということだけで読み進めていて、その実が何かの理解が全く足りていないため、風景が浮かんでこなくてなかなか難しかった。

「ディディの傘」
2回読んで、ようやく登場人物がくっきりして、何ついて話しているのかが見えてきたように思う。

1回目は、かなしくて暗いお話だなぁ…くらいの感想だった。。。

読んでてびっくりしたのは、1983年に北朝鮮から飛行機で帰順してきた人がいたということ。というか、帰順という言葉の意味すら知らなかった。

そして、おばあさんたちが、サイレンを聞くと、あ、(また)始まったのか?と思うと話し合うところが、日本ではもう戦争体験者がほとんどご存命ではないことなどもあり薄れてきているからか、なんていうか、まだリアルなんだなと思った。橋が爆発された話もめちゃくちゃ怖かった。

そして、そういう自国の歴史をそのままに記録、記憶されて語り継がれていることの真っ当さをうらやましいとすら思ってしまう。

まぁ、調べてないといえばそれまでだけど、近代史についてほぼ知る機会がなくここまで生きてきてしまっていることは、やっぱり恥ずかしいことだし、それを国全体で行っていることの卑怯さをどうしても感じてしまう。

明洞までddが借りていた本を同級生に返しに行き、会賢で待ち合わせて、光化門に向かう途中、デモ隊に遭遇して、清渓川を迂回してまた鐘閣方面に・・・というところは、場所柄私なりに目に浮かぶ光景があったので、NAVERで地図を確認しながら読んだ。

ちょっと描写が違う気もするけど、車壁でできた真空に抗う人たちを見て、それをしてどうするんだろうという絶望みたいなものを感じていたdに共感してしまった。

「何も言う必要がない」
こちらは、ディディの傘に比べたら、1度目から自分の中に湧き出る気持ちがあった。
私が独白をしながら突き詰めていく過程で「・・・やめよう」というのがすごく共感した。きっと、原文だと、「・・・くまなじゃ(그만하자)」なのかなと思ったけど。

社会ではそれがまかり通っているというのに、原則にこだわってそのことへの疑問を深く掘り下げてしまうということが私にはよくある。

でも、最近、年齢を重ねたせいなのか、そのことをこれ以上考えるのはやめようと自分でストップをかけるときがある。私は、私1人が考えたところで世の中は何も変わらない。原則原理を唱えたところで、理想を唱えたところで、、、やめておこう。そんな風にすることがよくある。

だから、思考の途中で「・・・やめよう」となることにとても共感してしまった。つきつめてどうなる。そうやっているように思った。


セウォル号の集会に参加しないでという妹の発言にも、覚えがあるというか、誰も参加しない妹を責めていないのに、自分が罪悪感を抱いているだけなのに、裏返して責めてくるというところが、あー妹だなと思った。韓国の妹と日本の妹は、たて社会の構造が違うから同じではないだろうけど、それぞれに思うところでいいのに、責められたと感じている自分の問題を姉のせいにしてくるところが、あーはいはいという気持ちになってしまった。


あと、デモに参加している中で感じるモヤモヤは、初めて知ったことだった。傍からみている私からすると、韓国の人たちは「良くあろう・正しくあろう」とする人たちなのだなと思ってきた。

それは、歴史問題について語るときの「正しい歴史感」というのを日本人は「史実通りの」という解釈をしているが、韓国の人たちは「正しい=そうあるべき・まともさ」という点で批判をしているから、いつまで経っても両者の主張が交わらないのだと聞いたときに自分の芽生えた意識だ。それから今まで自分で少しずつ知ってきた韓国の市民運動の歴史とを思い、皆さん志を高く持って、正しくあろうとしているんだなと思った。me tooの広がり方なども見ていて。

だけど、そうやって集まっている人の中でも「悪女OUT」と無邪気に掲げているおじさんがいる。そのことに、何か言おうかどうしようかと思ってしまう「私」の描写を読みながら、うなってしまった。

そうなのか・・・志はひとつと見えるけど、ひとつなんかじゃなくて、そこに集まるまでのアプローチや何に警笛をならしたいのかは少しずつ少しずつずれている。当たり前のことだけど。正しくありたいの「正しい」は、当たり前だけど人それぞれなんだよな。ということに初めて気が付いた。

私は、今でも詳細はよく知らないのだけど、韓国の市民運動についての歴史を知る前から、韓国初の女性大統領がああいった形で罷免になってしまったことを、すごく残念に思っていた。それは、「だから女はダメなんだよ」「だから独身は・・・」につながるのではないかと思ったからだ。政治家としてダメだった。それだけなのに。

もしかしたら、歴史上の大統領も同じように何かしらの犯罪を犯しながら政治をしているかもしれないのに、女性というだけで執拗にあら捜しをされたのではないかということまで勘繰っている。

それでも、日本よりは進んでいる面が多いと私は思っているのだけれど・・・

国や社会をよくしようというデモに参加しながらも、多くの女性を目にしながら、なんならその女性から産まれてきたというのに、女性蔑視という意識も無いままにそういう発言をしている男性に、ものすごく落ち込んでしまった。

1度読んだ時には気がつかなかった場面は、私姉妹は、裕福ではない家に生まれたため、絶望を感じていたから、子供の頃に未来を考えたことがなかったというところで、私が10代の頃感じていたものも絶望だったんだなと思った。どうして高校生の時勉強しなかったのかと今でも後悔しているのだが、どうしてあんなに絶望していたのかと不思議でならなかった。私も自分が何者かになれると思ってなかった。それは育った環境だったんだと思う。親が出し惜しみしてるんじゃなくて、出したくても出せないことを子供のくせに理解してしまったからだったんだな…

人並みには生きてきたと思うが、周りと比べて少しずつ少しずつ足らない生活だった。習い事をするまでの余裕はなかったし、ディズニーランドにも行けなかった。いや、ようやく連れてってもらったディズニーランドは我が家には全然似合ってなかったんだけど。。。

それでも、今の若い子たちを思えば、奨学金を背負わされてないだけ恵まれているんだと思うけど。

だから、高校生になる頃には、自分は何かにはなれないことや期待して叶わないことに対して、全てあきらめることで、防衛していたんだな…

誰も悪くないのが分かるからただただ悲しいやぁ…

それでもできることはたくさんあったし、勉強はやっぱりしておくべきだった。でもできなかった自分のことも、もう責めなくていいと思えてきた。ようやく心から。資格取ったからとかじゃなく。あれが私の精一杯だったってやっぱり思う。

また自分語りが多くなったけど。

訳者あとがきを読んで、初めて、ある日のほんの2時間余りを書いたお話であることを知った。ずーっと回想をしていたんだね。気がつかなかった。そう、それくらい他のことや細部に気を取られすぎていた。

訳者あとがきのおかげで理解できたことがたくさんあって、ますます斎藤真理子さんのファンになってしまった。これだけの心が込められていることに感動してしまう。

作者のことばだったか、訳者あとがきだったか、ファン・ジョンウンさんは小説の中の人たちがどこかで生きているように感じているとあった(と思った)けど、私もドラマでも小説でもそんなふうにいつも思う。ここに出てきた人たちみんなが、少しずつ少しずつ問題を解決して、幸せに生きていてほしいなと願ってしまった。

そして私も。
人生あと半分、もないといいけど、なのだとしたら、これから先の人生、自分で少しでもましな道を選んで生きていけるといいなぁ。

次は予約でき次第なので決まってない。読書は楽しいけど、楽しいにたどり着くまでが私には時間がかかる。それでも続けていきたいなぁ〜

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