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97年を振り返って (過去見聞録)

この原稿は97年に書いたものです。今から25年前のこと。
今日、私は55歳の誕生日を迎えました。24歳でブラジルに来てから30年経ちました。

大野美夏
サンパウロ・ブラジル

<ブラジルサッカー全体>

  97年、日本はW杯予選で大いに盛り上がったことでしょう。それに比べると、予選免除のブラジルはあの一種独特な予選大会の緊張というのを味わうことなく、のほほんとしてたように思います。というのも93年の予選大会では、最終戦まで本選出場がどうなるかわからず、本選以上に冷や汗をかいたのですから。それに比べれば、予選のなかった97年は、どんな大会も結局は調整にすぎなかったのです。
さて、それでも97年の締めをサウジアラビアで行われたコンフェデレーションカップ優勝で飾ったセレソンはやはり無敵艦隊の様相を保ってますね。メンバーはほぼ固まり、この先は大きく変わることもないでしょう。気になるポイントのDFもそれなりに安定してきて、アウダイール&ジュニオール·バイアーノがほぼ決まりのようです。中盤のポジション争いにリードしたのが、97年セレソンで一気に飛躍した左利きのドリブラー、デニウソン。若干20歳で、セレソンの中盤を支える大きな力になりました。これだから、ブラジルはすごいですね。1年たらずで主要メンバーの入れ替わりが起きて当たり前なんですから。
97年、フォワード陣では、ドドー、アンデルソンという国内と国外の新星が誕生しましたが、結局、ロナウジーニョの相棒となるのはロマーリオのようです。メンバーの入れ替わりがあって当たり前の中で、数年にわたってポジションを維持するというのは、ものすごいということです。しかも、それが攻撃陣の中心ときたらもっとすごい!
となるとロマーリオというのは、なんだかんだいってもすごいヤツです。やっぱり、なくてはならないプレーヤーなのです。人間性?モラル?規律?ザガロの選手起用で重要なポイントを握る言葉ですが、これがサッカー選手として不可欠なものか、ロマーリオ問題になると特に問われるところです。しかし、今回はどうやらロマーリオはパスしたようです。彼の場合、グラウンド外での行動に問題ありの時があるのですが、グラウンド内でも問題のある選手は難しいようです。
そのグラウンド内でも問題ありの選手とは?97年全国選手権MVP選手であり、過去の得点王記録を塗り替えたエヂムンドです。
97年カンピオナート·ブラジレイロのエヂムンドはすごかった。どんなにDFにくっつかれても、ボールを受け、ドリブルでゴールに持っていってしまう。今大会では何度となく、エヂムンドのショーが繰り広げられました。でも、ザガロは彼を呼ばない。いくらすばらしい選手でも、ここぞという肝心な時に、キレちゃって暴行に走ったり、挑発にまんまとはまったりして、退場を食らうようでは、監督としては恐くて使えないということらしいですね。確かに、全国選手権決勝第1戦でも、しっかり退場になってた。
しかし、今年大爆発をしたエヂムンドですが、彼もまたヨーロッパ(イタリア、フィオレンティーナ)に行ってしまいます。このところのブラジルサッカーはこんなのばっかです。ちょっと前には、あの選手を見たいから、あのチームをどうしても見たいからというファンを引き付ける魅力満載のチームが存在したのに、今はどうでしょう?代表に選ばれるだけの選手に成長したところで、あっさりとヨーロッパのクラブに買い取られてしまう。ここは、欧州の選手行育成所になってしまったのでしょうか?
サッカービジネスの普及というのは、いいことなのでしょう。来年からは、リベルタドーレスにトヨタがオフィシャルスポンサーとしてつくことになりました。サンパウロ州選手権にも大きなスポンサーがつき、ビジネスイベントとしての形になりつつあります。今まで、プロのようでプロでない部分の多かったブラジルサッカーもこれから大きく変わっていくことでしょう。98年を期待したいと思います。

97年の総集編
各トピックスに分けて97年を振り返ってみました。

<国際タイトル>
  南米の主な国際大会、リベルタドーレス杯、スーパーカップ、コンメボウのうち、リベルタドーレス杯でクルゼイロが、コッパ·コンメボウでアトレチコ·ミネイロがチャンピオンになりました。スーパーカップは惜しくもサンパウロが準優勝。なかなかの成績でしょう。
セレソンでは、コッパ·アメリカとコンフェデレーションカップのみですが、フランスで行われたミニワールドカップでも2位というまずまずの成績を収めています。
  ただ、97年、W杯予選免除のブラジルはあの一種独特な予選大会の緊張というのを味わうことなく、のほほんとしてたように思います。というのも93年の予選大会では、最終戦まで本選出場がどうなるかわからず、本選以上に冷や汗をかいたのですから。それに比べれば、予選のなかった97年は、どんな大会も結局は調整にすぎなかったのです。

<収穫>
  今年のブラジルサッカーの大収穫は、ドドーという新星の登場とデニウソンというロナウジーニョに続くとも言われる21世紀プレーヤーの出現でしょうか(両者サンパウロFC)。
  しかし、いい選手が出現すれば、以前のようにそのチームのシンボルとなり続ける事はまれで、まあ、これはヨーロッパでも言える事でしょう。サッカーが世界的ビジネスになった今、世界中この傾向は当たり前なのかもしれない。
  私のわずか6年のブラジル滞在をみても、92、93年のサンパウロ、93、94年のパルメイラスはまさにスーパーチームで、あの選手を見たいから、あのチームをどうしても見たいからというファンを引き付ける魅力満載のチームが存在した。しかし、今はどうだろう?代表に選ばれるだけの選手に成長したところで、あっさりとヨーロッパのクラブに買い取られてしまう。ここは、欧州の選手行育成所になってしまったのだろうか?

<セレソン>
  セレソンは健在。国民総監督の厳しい中、ザガロ監督はそれらの批判にも耐えうるだけのすばらしいチームを維持している。
トップは特に、新旧すばらしい選手がそろい、4人に絞ることが至難の技。今年は、ドドーとアンデルソンという新顔も登場しましたが、ロナウジーニョの相棒には、94年以来、3年を過ぎてもなおトップレベルを誇るロマーリオがほぼ決まりです。ザガロお気に入りのベベットもオリンピック以来久々に健在ぶりを南アフリカ戦で見せてくれた。可能性ありです。
穴と言われるDFも、アウダイール&ジュニオール·バイアーノがコンビネーションを合わせてきました。GKは不動のタファレル。右SBは、カフーかゼ·マリア。左はもちろんロベルト·カルロス。ボランチはキャプテン、ドゥンガ。もう一人にはフラヴィオ·コンセイソンがセザール·サンパイオを一歩リードかな。中盤のポジション争いはまだ続き、デニウソンがどうやら1つの席を確保しかけ、レオナルド、ジュニーニョがそれに続く。ザガロは最近はもう4-3-1-2制にこだわらず、チーム作りをするらしい。
なんやかんや言われながら、97年セレソンは、フランス·ミニ·W杯で2位に、コッパ·アメリカ優勝、年の締めをコンフェデレーションカップ優勝で飾った。FIFAランキングでもトップを走り続けているし、ザガロ批判も、一段落といったところ。

<ヴァイオレンス>
  97年もブラジルサッカーは、死亡者を出してしまった。10月にミネイロンで行われたアトレチコXヴァスコ戦で、ヴァスコの応援に来ていたクルゼイロサポーターとアトレチコサポーターのいざこざでアトレチカーノ(アトレチコファン)が自家製爆弾の犠牲者となった。カンピオナート·ブラジレイロ終盤、マラカナンで行われたヴァスコXフラメンゴ戦も、試合前の暴動で発砲事件まで起きた。サンパウロ州はスタジアムの取り締まりが厳しいけれど、こうでないとやはり安全な観戦を望めないので、仕方なしといったところでしょうか。それにしても、残念極まりないです。熱い応援と、勝手に熱くなるのは別物にしてほしい。

<監督>
  ロマーリオが去り、スタープレーヤーはサーヴィオのみになったったフラメンゴだったが、久々に息を引き返し、全国大会決勝リーグに残りました。その裏には監督の功績があります。パウロ·アウトゥオーリ監督は95年のカンピオナート·ブラジレイロチャンピオンボタフォゴの監督で、今年前半はクルゼイロをリベルタドーレス杯優勝に導いた手腕の持ち主。
  選手の顔ぶれはほとんど変わらなかったにもかかわらず、グレミオはその“らしさ”を失い、今年はまったく外れ年に終わった。これは、やはりルイス·フェリッペ監督が抜け、クラブ会長が交代したことが大きかったみたいです。
  このように、チームの好不調はその母体であるクラブの状態、そして監督に大きく左右されます。確かに選手も重要だけど、いい選手を集めただけでは決して勝ち続けるチームにはなれない。
  コリンチャンスは今年、バンコ·エクセルのパートナーシップ契約で何十億という資金を費やし、パルメイラスに対抗できるスーパーチームを作ろうとした。そして、カンピオナート·パウリスタに優勝。このまま、快進撃を続けるかと思われたけれど、カンピオナート·ブラジレイロ開始早々、ネルシーニョ監督が退陣。その席に、ジョエウ·サンターナ監督を連れてきてみたものの、チームは落ちに落ち、最終的には2部落ちの危機さえ現実化したほどだった。チームのスターであったマルセリーニョ·カリオカの移籍も痛かったが、やはり監督交替が効いたのでしょう。後にクラブ側は、ネルシーニョ監督を出したのがすべての間違いだったと悔いています。
  そのネルシーニョも新天地で苦しみました。前半のスケジュールで疲れきっていた選手達をコンデション不足としレギュラーから外し、チームを立て直そうとしたものの、チーム内で力を持つ、ベテラン選手を外した事が裏目に出たようです。チーム内の「和」に亀裂が入り、全体的なチームとしての選手の入れ替えはほとんどなかったものの、リベルタドーレス優勝時の面影はなく、こちらもまた世界ナンバー1クラブを狙うチームとは思えないような戦い振りを見せた。

<カンピオナート・ブラジレイロ>
優勝、最優秀選手、得点王(歴代1位)、1試合最多得点(6)主な賞を総なめにしたアニマウ·エヂムンド。97年カンピオナート·ブラジレイロはまさにエヂムンドの大会となった。パルメイラスで92、93年黄金期をすごした後、新天地フラメンゴに行ったものの、いいとこなし。次なるコリンチャンスでは、全くかつてのアニマウの片鱗さえ見せることなく、半ばけんか別れのような形でサンパウロを出ていった。古巣ヴァスコでも性格が災いしてか、グラウンド外でのごたごたが聞かれたが、こいつはただ者じゃなかった。今までのうっぷんをはらすかのように、97年アニマウは吠えまくった。エリアでボールを持たせれば、どんなにDFがいようとゴールに叩き込む。鳥肌もののドリブル、ゴールシーンを見せてくれた。28試合出場の29ゴール。平均1試合に1ゴールは決めている計算になる。ウニオン戦では6ゴール、ダブルハットトリックまでも決めた。久々に恍惚を味合わせてくれたそのアニマウも、98年はフィオレンティーナに行ってしまい、ちょっとさびしい。

<サッカービジネス>
97年から98年に向けて一番大きく変わっていくと思われることは、サッカービジネスの普及でしょう。来年からは、リベルタドーレス杯にトヨタがオフィシャルスポンサーとしてつくことになりました。サンパウロ州選手権にも大きなオフィシャルスポンサー(VRという食券会社)がつき、ビジネスイベントとしての形になりつつあります。客集めのため、ヴァレンシアに移籍したマルセリーニョ(絶大なる人気を誇ってた)をサンパウロ州選手権自体がパスを買い、ブラジルに引き戻すことに成功しました。さて、彼はどのクラブに?ファン投票を懸賞付きのダイヤル9 ですることにするなど、新たなことを始めています。
今まで、プロのようでプロでない部分の多かったブラジルサッカーもこれから大きく変わっていくことでしょう。98年を期待したいと思います。


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