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軽めのカルメンはダメです!―T先生の思い出―

 昨年のはなし。一通の年賀状が届いた。それは小学校で音楽を教えてくれたT先生からだった。私の音楽との出会いはほぼ完全にT先生に負っていて、小学校卒業後も何度か家に招いて食事をしたりする仲であったのだが最近は私が上京しているということもありすっかりご無沙汰している次第である。
 先生の授業において、指定された教科書を使った例は私が記憶する限りでたった一回、『ふるさと』を習った時である。それ以外、T先生はほぼ教科書というものを使わなかった。T先生は戦後日本を代表する作曲家の一人である林光と交流があり、学校の授業では林が翻訳・編曲したドイツ・リートやオペラ・アリアを歌っていたのである。(シューベルトの『美しき水車小屋の娘』やモーツァルトの『魔笛』、ヨハン・シュトラウスの『美しく青きドナウ』などを皆で歌った記憶は瑞々しく蘇ってくる。)
 授業で歌うこと以外に、先生は4年生以上の学生に合奏を教えてた。私を含め多くの学生が放課後音楽室に残って練習に励み、楽しんだものである。ヴォルフガングの父レオポルド・モーツァルトの『おもちゃの交響曲』、ヘンデルの『メサイア』から「ハレルヤ・コーラス」(英語で!)、そして最後6年生の時はなんとヴァーグナーの『タンホイザー』から第二幕の行進曲をやった。
 しかし、このように自由に活動していたからこそT先生は困難にぶつかってもいた。それをもたらしたのは一部の保護者たちである。これは私の一つ下の学年がビゼーの『カルメン』の前奏曲を合奏でやろうとした時のことである。ある保護者から「『カルメン』のような青少年の健全な育成にふさわしくない曲は止めていただきたい」という趣旨のクレームが入ったそうである。
 そのクレームを知った小学生の私はただ「何を言ってんだろう」だったのだが、先生からの年賀状を読んで22歳の私が思い出した出来事がそのクレームのことであったのだ。そもそも前奏曲をやるに過ぎないのにそのようなクレームをするということ自体が信じがたい。何故『カルメン』以上に露骨にエロスの世界が描かれる『タンホイザー』にはクレームがつかなかったのだろう? ニーチェは(ヴァーグナーへの当てつけとして)『カルメン』を「かつて舞台の上で、これほど痛ましく、これほど悲劇的なものが聞かれただろうか」と評した。「ドラマ」、あるいは西洋の文化への導入を親が邪魔をして一体どうするというのだ。
 アドルノは音楽教育とは「今日の社会の強制力の中で、同一化の歴史に蝕まれながらも、沈殿している精神を音楽から読み解くための準備段階」としていたと上野仁はその著作『アドルノの芸術哲学』(晃洋書房)で書いている。私がこの一節を読んだ時に真っ先に思い出したのがT先生であった。教科書どおりという強制力にあらがっていた先生の力強い姿はいつまでも記憶に残しておきたい。

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