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全てを受け入れることは魂と同調すること

最近、魂関連の本を読んでいます。今までも少しは読んだことがありましたが、興味が湧いてきたので読んでいます。魂と聞くと少し怪しさがあったり、輪廻転生というワードを思い浮かべる方もいると思います。魂が望む生き方をすると流れが軽やかになるという話を聞いたことがあります。
今回は魂についてお話ししたいと思います。タイトルには魂と書いていませんが、ほぼ同義と捉えて今回は進めていきますね。そして今回の記事は、今読んでいる本をもとに自分の考察を交えて書いていきますので、みなさんの認識と違いがあるかもしれませんがそういった考え方もあるんだ、ぐらいで読んでもらったらいいかなと思います。

魂とは

魂は「大いなる存在」から生まれました。それを「光の源」や「神さま」と読んでもいいですね。神さまと聞くと、神社に祀られている神様や神話に出てくる神様と思いがちですが、それらの神様とは違う存在として捉えてください。
そんな大いなる存在から生まれた魂はいわば、命を与えてくれているものとなります。そして、「愛」も与えてくれています。
ですので、魂とは愛なんですね。愛と聞くとよくわからないこともあるかもしれませんが、全てを包み込むことと捉えるとわかりやすいかもしれません。

魂からずれた生き方をしていると苦しい

魂からずれた生き方をしていると苦しいといったことを聞いたことはあるでしょうか。自分は本でその価値観に触れました。順風満帆な人生ではなかったのでシンプルに考えると、魂に沿った生き方をしていないのかと思います。
魂は生まれてくる前(肉体に宿る前)にこの人に入ってこの人生でのシナリオを受け入れてから肉体に宿ります。諸説あるのでそれが正解とは思いませんがそういった前提で進みます。
なので、ある程度人生のシナリオを持って生まれてくるのです。簡単に表現すると「宿命」でしょうか。これでは人生がすでに決まっているように思いますが、私たちには自由意志があります。Aを選べたりBを選べれるように。なので、全てが決まっているわけではありません。RPGをする人にはわかると思いますが、ドラクエを今回プレイするぞと思ってプレイしますが、そのプレイ中はその中で自由な行動ができますよね?それに似ていると思います。なので、「今回の人生のテーマはこれだけど、何をしてもいいよ」っていう具合です。
さてここで考えます。魂からずれた生き方をすると苦しくなるのは、もともとの設定と違う生き方をしているからという考え方ができます。本来、何をしてもいいのだけどずれていると「そういった生き方じゃないよ」とメッセージを送ってくれているのかもしれません。周りの人間関係が悪かったり、病気や怪我をしたり。人間世界からしたら「悪い」イベントが実は魂からのメッセージだったりするのです。
こういったことから、魂からずれた生き方をしていると苦しくなるのではないでしょうか。

受け入れる、認めることが愛なんだ

すごく浅いかもしれませんが受け入れる、認めることが愛なのかもしれません。「無償の愛」なんていう言葉があるように、母親が生まれてきた赤ちゃんに注ぐ愛のように、一切の見返りのない愛。
そこには否定や損得のないただただ肯定をすること。その一歩として受け入れ、認めることが「愛」と定義してもいいかもしれません。
自分自身を受け入れ、認めることが愛であるならば、魂と同調しているとも言えないでしょうか。魂と同調する時間が増えれば増えるほど、生きやすい人生になるようには思いませんか。自分はそうなんじゃないかと思いました。

最後に

魂は愛である
精神(意識)をエゴと捉えたならば
エゴで自分を愛すると魂と同調することになる

そんな風に思えた今日この頃です。

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