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もうひとつのα

昨日、4/29は父の命日だった。
行ける時はできるだけ墓参りにも行っているけれど、自宅から離れた場所にあること、外出がはばかられる部分もあることから、昨日は断念した。
正直、墓参り自体に意味があると思えるほど信心深くはないし、律儀でもない。
それなのに、わざわざ花と線香を持って墓まで行こうと思えるのは、父の存在が今尚私の中に在るからだ。

父と私は、特筆するところのない親子関係だったと思う。
仲が良かったわけでも悪かったわけでもない。
教育的子育て的に注意指摘されることはあったけれど、過度に怒られることも手を上げられることもほとんどなかった。
私も(多分)必要以上に反抗することもなかった。

母曰く、父はどうしようもない人だったそうだが(それがどういう意味でなのか具体的なことをすべては知らない)、家族にはとにかく優しかった、というのは母も私も意見の一致するところだと思う。
後に知ったことだが、特に子どもに対する想いは強かったそうで、そういうところからくる父の考えや行動によって、私は大学を卒業できたと言っても過言ではない。
どちらかというと経済力のない家庭に当てはまったであろう当時、母にこのまま大学に進学してもいいのかと何度か確認したことがあったけれど、「それがお父さんの希望だったから」としか言わなかった。
父は私が高校生の時にこの世を去っている。

そんな自分よりも家族や子どもに心血を注いでいたと思われる父の数少ない趣味が、飛行機と写真だった。
年に一度の家族旅行は航空自衛隊の一般公開(航空祭)だったりした。
子どもだった私は、興味はなくともいつもと違う場所に行けるだけで楽しかったけれど、考えてみるとあれは父の唯一の気晴らしだったのではないかと思う。
フィルムの時代、父はこのα5xiとキットレンズと後に見つかった400mm単焦点(確かシグマだった)で、アクロバット飛行する戦闘機を撮っていた。
実家には、画角に収まりきらなかった鉄塊やピンボケの空が今もアルバムに保存されている。わざわざすべて現像する必要はないだろうに、ある意味希少なアルバムのように思う。中にはまともな写真が数枚あって、それらは引き伸ばして現像され、めでたく額に入れられて部屋に展示された。
子ども心には、そんなことしなくてもプロが撮った綺麗な写真やポスターを買えばいいだけなのに、と思っていた。

十分とは言えない装備で、なぜ音速を超えて空を舞う鋼鉄の鳥を自ら追いかけていたのだろう。
なぜ失敗作まですべて現像して保管していたのだろう。
なぜ選んだカメラがαだったのだろう。

仕事を任せられてはいたけれど、役職などには就いていなかった。
必ずしも人とうまくやれることばかりではなかった。
家族を愛してはいたけれど、ままならないことも多かった。
望むものと望まないものが共存する中で生まれる葛藤。
その向こうに答えを見出すべく、父はαと共に、空を駆け巡る被写体を追いかけたのではないか。
完全回答じゃなくていい。
今の自分が持ち得るすべてでどこまでできるのか。
それを確かめていたのではないか。

分からない。
古い記憶から捻り出した思い込みでしかないし、憶測にすらなっていないかもしれない。
そして、ふと我に返れば。
3機のαにその倍の数のレンズ。
高速高精度AFで動体追従も申し分ない。
私はそのファインダー越しに、どんな景色を見ているのか。
私の中に在る父と、現存する父のαは、問いかける。

別に父のように在りたいわけじゃない。
けれど、その存在を捉えておきたい。
そのためにはまだ足りなくて、それはαのことじゃなく。
自分自身の想いに追いつけなくて。
けれどだからこそ生きている意味があるように思う。

あれからいくつの春が訪れただろう。
あれからいくつ問われただろう。
今の私の年齢でも、若くして亡くなったと言われる父にはまだ10足りない。
そしてその数以上に、父の背中は遠く感じる。

これからいくつの春が訪れて。
これからいくつ問われて。
今尚私の中に在る父の問いに。
私はいくつ答えを出せるのだろう。

捉えるべき被写体が、必ずしもこの目に映るとは限らない。
目には見えない、けれど確かにそこに在る景色。
私は私のαと共に、そんな景色を見出せればと思う。

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