昨日、4/29は父の命日だった。 行ける時はできるだけ墓参りにも行っているけれど、自宅から離れた場所にあること、外出がはばかられる部分もあることから、昨日は断念した。 正直、墓参り自体に意味があると思えるほど信心深くはないし、律儀でもない。 それなのに、わざわざ花と線香を持って墓まで行こうと思えるのは、父の存在が今尚私の中に在るからだ。 父と私は、特筆するところのない親子関係だったと思う。 仲が良かったわけでも悪かったわけでもない。 教育的子育て的に注意指摘されることはあっ
とるに足らない印象を拾い集めて。 とるに足らない言葉を紡いで。 とるに足らない想いの欠片とする。 その先にあるだろう、「ひとつの景色」を描くために。 私が写真を撮ったり、言葉を呟いたりする理由は、これに尽きる。 これが実現できるなら、別に写真じゃなくてもいいし言葉も必要ないのかもしれません。 それでも「写真と言葉を用いた表現」をここまで続けてきた(引き延ばしてしまった)からには、何らかの形で一旦区切りをつけたいなぁと思っています。 あまり言葉で端的に表現したくはなか
どれだけの印象を拾い集めただろう。 どれだけの風を追いかけただろう。 どれだけの青に触れられただろう。 それらはすべて暗闇を照らす光で。 それらはすべて僕の眼に映る光で。 それらはすべて信じるに足る光で。 その印象の向こうに言葉を紡いで。 その言葉の向こうに想いを馳せる。 その向こうに在るもの。 それはずっとずっと遠くあるもののように思える。 でも本当はそうじゃなくて。 自分自身のどこかにあるんじゃないかって。 そう思うようになった。 それなら簡単だって。 何の疑