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レトロリロンの私設Wikipedia(とりあえず)

2022年11月、TBSラジオの推薦曲『深夜6時』でレトロリロンを知りました。まさにJ-POPの王道のようなキャッチーなメロディラインと、感情を乗せつつ抜けのあるヴォーカル。切実さと温かさが同居した、胸を打つ名曲だと思いました。まだWikiページもないので、取り急ぎラジオプロモーションで聞いた情報をまとめてみます。
アー写左から 飯沼一暁(Ba)、miri(Key)、涼音(Vo,Ag)、永山タイキ(Dr)

【バンド名の由来】

バンド名は涼音の発案で、覚えやすさ、検索で引っかかりやすいこと、語感や文字面の見た目から選んだ。当初メンバーからは評判は良くなかったが、慣れれば愛着が湧くからと涼音が説得し、今では気に入られている。

【バンド結成の経緯】

元々シンガーソングライターとして活動していた涼音を中心に、洗足学園音楽大学の同期の卒業生で結成され、2020年6月に活動開始。
在学中、合奏の授業で、涼音のバックバンドという形でタイキとmiriが加わりセッションをした際、打ち上げの飲み会で、タイキが涼音に「お前の後ろでドラムを叩いていきたい」と告白。涼音としては、卒業後はシンガーソングライターとして一人で活動をするつもりだったが、1週間熟考した末にその申し出を受けることにする。しかしタイキは自分が言ったことをはっきりとは覚えておらず、お互いの思い込みの深さに齟齬が生じた。

miriは、卒業後は劇伴(映画やドラマのサウンドトラック)の作曲者になるつもりだった。ところが、学校の廊下を歩いていたところを「バンドやるんだけど鍵盤弾いてくれない?」と涼音から誘われ、二つ返事で承した。

飯沼は、元々涼音の音楽が大好きで、大学一年生の頃から熱心なファンだった。卒業のタイミングで涼音がバンドを組みそうだ、ということを察知して、ベーシストとして自身を売り込み、加入となった。

【涼音の音楽的プロフィール】

5歳の頃から習い事のピアノをやっていたがやがてやめてしまった。しかし中二でギターを手にし、弾き語りに興味を持って、路上で弾き語っているミュージシャンに「弾き語りってどうやるんですか?」と訊ねた。涼音という名前もそのミュージシャンにつけてもらったもの。
中高では軽音部に在籍し、高校ではカバー曲は不可、オリジナルを作れという厳しいルールだったため、自然と作詞作曲をするようになった。
高校一年の時に初めてライブハウスで演奏をする。洗足学園音楽大学の入学とともにシンガーソングライターとしての活動を始める。大学での専攻はサウンドエンジニアリング。大学2年生のころ、テイラーの100番台のアコースティックギターを買い、今も使っている。
レトロリロンの楽曲”mo-so”までは自らミックスダウンとマスタリングを行っていた。現在でもYouTubeの映像制作では音響を担当している。影響を受けたミュージシャンはRADWIMPS、黒木渚。
『SCHOOL OF LOCK!』出演時(11月15日)に黒板に書いた一言は「今日を生きる」。明日はわからないし過去は決まっているから、まず今日を生き抜いてみる、それでいいんじゃないかな、そういう気持ちで音楽を作っている、と語っていた。

【メンバープロフィール】

永山タイキ ジャズドラム専攻。在学中にボストンのバークリー音楽大学に3ヶ月間の音楽留学の経験がある。好きな音楽はONE OK ROCK。

miri 専攻は作・編曲。鍵盤の他、ブラスバンド部の経験があるのでサックスが吹ける。オーケストラのアレンジができる。既発シングルCDや物販アイテムのデザインも行なっている。ゲスの極み乙女が好き。

飯沼一暁 愛称は「ぬま」。大学ではクラシックピアノ専攻。レトロリロンでは5弦ベースを弾く。アパレルブランドZattoやピアノインストバンドのSALVALAIを率いる。好きなバンドはThe Cheserasera。

【レトロリロンと小林私との関わり】

涼音がシンガーソングライターとして活動していた頃、6メンの対バンライブに出場が決まっていたが、新型コロナの流行が発生し、出演辞退が相次いだ。最後に残ったのが涼音と小林で、ツーマンライブになってしまった。涼音は後の出番だったが、小林の出演時にコメントが多く流れたので、涼音は、小林の終演でお客さんたちも帰ってしまうと思っていたが、ほとんどが残ってくれた。レトロリロン結成後も付き合いはずっと続いている。

【バンド活動開始とコロナ禍】

上述の通りバンド結成と前後してコロナ禍が起きたわけだが、涼音が語るところによると、バンドとしてやらなければならないことに集中できた、その状況には自分達にはプラスになったと評価している。涼音は、ソロ活動と、バンドでの楽曲を分けて考えていることもあり、レトロリロンとしての持ち曲を制作することにフォーカスしていた時期だったようだ。

【レトロリトンスタジオ】

YouTubeチャンネルのライブ動画で見られるスタジオは、メンバーの実家の倉庫を改装したもの。祖父が、コロナ禍で苦労するのはアーティストなのだからと理解を示し、エアコンだけ設置してあとは自由に使いなさいと申し出てくれた。この場所がなかったら解散してたかもしれないというくらいの重要な制作現場になっている。カバー動画やライブ配信もここから行なっており、サウンドエンジニアリングは涼音が担当している。皆の表情や手元も見える楽器の配置で、遮音ブースを使用せずにクリアな音質を実現している。