星野源のオールナイトニッポン6月23日を聴いて感じたこと

25時〜27時に生放送された『星野源のオールナイトニッポン』は、星野源がソロアーティストとしてデビューし丁度10年ということで、特別な企画で放送されました。

YouTube Liveと同時生配信されたこの番組、放送事業者であるニッポン放送が、通信分野であるインターネットにおいてサイマル放送することの力の入れようが伝わってきました。

文化放送やTBSラジオでも動画生配信の試みはありました。サイマル放送の可否、ラジオ聴取エリアを飛び越えた放送、ともに放送法上はグレーゾーンに当たる案件です。僕が見たことのある配信は、一台の定点固定カメラによる映像をただ垂れ流しているだけで、試験として言い訳が立つような遠慮が感じられました。

今回の放送では、複数台の固定カメラを用意し、専門のスイッチャーを配置して映像を送り出しているところが斬新でした。また、番組中の企画で、声の出演として、ニッポン放送の社長が出演しており、社を挙げて本気で取り組む姿勢を内外に示した形になりました。

また、このライブ映像は、一週間は丸ごとノーカットでいつでも閲覧が可能、その後は編集版をアーカイブで残すというアナウンスもされ、ぜひ【公式】星野源のオールナイトニッポンのYouTubeをチャンネル登録してくださいね、という呼びかけもありました。

放送内容では、源さんの弾き語りがよかったです。これを聴いて、星野源の音楽について考えたことがあります。

本人も認める通り、彼は歌唱力の歌い手ではありません。音域も広くはなく、サビでも絶唱表現はありません。声の質は淡白で乾いていて、ことさらに艶や色気を出すタイプでもありません。そこがいい。

わかりやすい例えとして映画、これは非日常の刺激を求めて見る、日々の鬱屈した生活を忘れるために、ひとときの逃避先として存在している。

音楽にもそういう側面はあり、フェスやライブといったイベントでその真価が発揮されます。星野さんも大規模なドームツアーを何本も成功させているのですが、今回のようなミニマムな環境での弾き語り、ここに彼の音楽の本質が現れていると感じました。

それは、日常を振り返り、改めてそれを大切なものとして思い出させてくれる、というところです。

歌の中で、歌い手が前に出てこない感じ、少し引いて俯瞰したところから語りかける感じ、これは日本的な情念のフォークソングではなく、大陸的なカントリーミュージックに近いような気がしているのですが、どうなんだろう。