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【那須】おじさんは温泉でヒーローになる

執筆日…2022/8/17
この旅行記は、筆者が2022年7月〜2023年10月にかけて日本一周していた際に執筆したものです。

 栃木県・那須湯本温泉の一角を占める「鹿の湯」。よもやここである「戦い」が行われていようとは、私は思いもしなかった。

 この温泉はとにかくユニークである。浴場に入ると、まず足湯のような細長い湯船が待っている。しかしこれは浸かるためのものではない。「かぶり湯」と言って、ひしゃくで頭にそのお湯を被るのだ。郷に入っては郷に従え、私も隣の年配の方に倣って試してみたが、かなりお湯が熱い。それもそうだ、湯船の傍にある木の札に「かぶり湯 48℃」と書いてある。しかしこの温泉への入り方を見ると、大人は200回程度、子供は100回程度被ることになっている。私は意を決して熱湯を被り続けた――が、熱すぎて100回でやめた。ちなみにかぶり湯は妄信的な慣習ではなく、湯あたり防止に効果があるとのことである。
 かぶり湯を終えると、次に入る湯船を選択する。というのも、この温泉は41, 42, 43, 44, 46, 48℃と6種類の温度の湯船に分かれており、好きな湯船に入ることができる。とりあえず私は比較的空いている44℃の湯船に浸かった。このお湯もまたとんでもなく特徴的である。鹿の湯は硫黄泉だが、濃厚な乳白色。その濃厚さは肌でも感じられ、とろみを越えてぬめりすら感じられる。こんなに濃厚な温泉があるのか…と私は一人感嘆した。
 ここで隣の48℃の湯船を見ると、若い人がお湯に手や足を少し突っ込むなり、すぐに離れていく。それもそのはず、湯船の後ろの壁には、「46℃、48℃の湯船に他の人が入っているときは声をかけてから入りましょう。波が立つと耐えられません」と書いてある。かぶり湯で体感したので重ねて言うが、かなり熱いのだ。48℃の湯船は、もはや挑戦の舞台となっていた。
 私は48℃の湯船の傍に座る。あつ湯好き、かつ無謀な挑戦をしがちな私としては、ここは挑まないわけにはいかない。私は波を立てないよう、静かに熱湯に脚を入れた。その瞬間、びりびりとした感覚が脚全体を襲う。あ…これはぎりぎりアウトなやつだ。私はあえなく脚を引き上げた。少し間をおいて、脚が冷たくなるような感覚に陥る。これは過去にも経験があるが、ある一定の温度を超えると、人間の感覚は180°逆転するのだ。この境地にはなかなか至れないので嬉しいが、全身浸かることは叶わなかった。自らの限界を知ることができてよかった。

 しばらく48℃の湯船の傍で休んでいると、一人のおじさんがこちらにやって来た。若者以外がこの湯船に来るのは初めてである。おじさんはざっとかけ湯をすると、すっとその湯船に体を埋めた。全身浸かったのだ。その後10秒くらいして、「あちあち」と言いながらおじさんは上がっていったが、正直あれはヒーロー級の活躍だった。あの超熱湯に浸かれた人は、私が見る限りでは、後にも先にも誰もいなかった。おじさんは「戦い」に勝ったのだ。
 静かな激闘に拍手を送りながら、私は46℃の湯船に移動した。こちらも数々の若者が挑み、ちょうど耐えられる人と耐えられない人がいるくらいのラインだったが、私はここで余裕の「浸かり」を見せる。この2℃の差は大きく、熱いものの危険な熱さではない。お湯の中で少し体を動かすと、熱さが途端に冷たさとも言えるような凜とした感覚に変わり、これも妙に癖になる。しかもかぶり湯の効果だろうか、全く湯あたりすることなく、最後まで温泉成分たっぷりで贅沢なお湯を楽しむことができた。
 お盆期間ということもあるだろうが、温泉を楽しんでいる若い人が多く、少し嬉しい自分がいた。別段私は温泉アンバサダーでも何でもないのだが、温泉っておもしろいでしょ? と感覚的に共感できたような気がした。そんでもって、実は他にもおもしろい温泉っていっぱいあるんだけどな。どうですか、そこのあなた。おもしろい温泉、あなたも五感で感じてみませんか?

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