ことのはのは

幼い頃、私は一人遊びが好きだった。今でこそ弟がいるが、弟が生まれたのは私が小学校1年生のときだったので、一人でも楽しめる「一人っ子マインド」が醸成されるには十分な時間だった。そんな私が当時特に夢中になっていたのは、「文字ブロック」だった。
幼児が誤嚥しないよう、大人の拳ほどのサイズになっている四角いブロックは、上部に突起、下部に窪みがあり、側面にはひらがなやカタカナ、ローマ字が書かれていた。その窪みを突起に嵌め込んで積み上げると、「やま」「かわ」等、単語を作ることができた。幼児は両親からことばのシャワーを受動的に浴びるものだが、能動的にことばと向き合うようになったのは、あのブロックのおかげだと思う。

ことば自体は好きだったし、同世代の子供と比べればボキャブラリーは構築されているほうだったと思うが、ことばをつかってコミュニケーションを取るのは、昔からうっすらと苦手だった。ことばを交わす相手が増えれば増えるほど、苦手意識はどんどん煮詰まっていった。小学校時代、友達と野球をしていても、フライも送球もほとんどエラーするような、そんな子供だった。
友達との予定がないときは、私は本を読み、小説を書いた。「ズッコケ三人組」に憧れてドタバタコメディを書き、「デルトラ・クエスト」に憧れて冒険ものを書いた。アウトプットに対してインプットが少なかったから、今思えば砂上の楼閣、それどころか波打ち際の砂のお城だったが、別に拙くてもよかったのだと思う。ことばは玩具だったから。

今でこそ「ことば」には言葉という漢字が充てられているが、もともとことばとは言(こと)と端(は)の複合語であるという。

言葉の語源は、「言(こと)」+「端(は)」の複合語である。
古く、言語を表す語は「言(こと)」が一般的で、「ことば」という語は少なかった。
「言(こと)」には「事」と同じ意味があり、「言(こと)」は事実にもなり得る重い意味を持つようになった。
そこから、「言(こと)」に事実を伴なわない口先だけの軽い意味を持たせようとし、「端(は)」を加えて「ことば」になったと考えられる。
語源由来辞典(言葉/詞/辞/ことば)

言の端は、事実を伝えるという重要性から逃避した存在だった。言の端でぐるぐる考えたところで、誤ってズボンのポケットに入ったまま洗濯されたポケットティッシュのように、綺麗にすべきだったものに乱雑にこびりつくだけだ。
ことばに向き合いすぎる必要はない。ちょいと遊んでみるか、という気軽さに端を発して、さまざまな積み上げ方を試してみる程度でいい。そうすることで初めて、ことばを覆っていた頑丈な鋼鉄の箱は取り払われ、太陽と雨を浴びて言の葉を広げる。それが元来、私にとっての言の葉の端であるはずだった。

語源由来辞典(言葉/詞/辞/ことば)

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