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やさしくない

あらすじ

東京の夜景を望みながら、起業家の名取亘(なとりわたる)は宮城野青葉(みやぎのあおば)に結婚を前提とした交際を申し込む。青葉が喜んで受け入れたあと、二人は高揚感に浸る。
「…すみません宮城野さん。僕、言葉が出なくて。大袈裟かもしれないですけど、今の僕は、世界で一番幸せだなんて、本気で思ってるんです」
「そんなことないですよ。私も今、名取さんと同じように、世界で一番幸せですから」
しかし、名取亘の本当の姿は起業家ではなかった――。

本文

意地悪に、優しさの才能はある。

第一話 ほほえましくない

 東京の夜景って、何万ドルだと思う? ――いや、百万ドルは神戸だからね、もっとあるんじゃない、一千万ドルとか。――まあね、そんなに大きな金額だともうよくわからないよね。じゃあさ、僕が君と夜景を眺めながら過ごしているこの時間は、何万ドルだと思う?
「どうしたんですか、名取さん。急に気の抜けたような顔をして」
 不安げな声が聞こえて、僕は正面に向き直る。潔白なブラウスを着て、主張のないチョーカーネックレスを着けた青葉は、不思議そうに僕の顔を覗き込んでいた。
「ああ宮城野さん、せっかく二人でディナーだというのに申し訳ありません。不意に恥ずかしい記憶が思い浮かんでしまって」
 僕はそう言いながら、意味もなく紺色のジャケットの裾を伸ばす。テーブルの中央に置いてあるアクアパッツァの中に鯛が一切れだけ遠慮がちに残っていたので、青葉に「どうぞ召し上がってください」と薦める。何度か譲り合いの応酬になって、最終的に「それではすみません」と青葉がゆっくりと口に運ぶと同時に、メインディッシュのカラスミと九条ねぎの冷製パスタが運ばれてきた。
 僕は、少し緊張していた。青葉と二人きりで会うのは、これで三回目である。過去二回のデートもかなりの好感触だったので、仕掛けるなら間違いなく今日だが、ここを失敗すれば先はない。そうは言うものの、今の青葉は「あっ、とっても美味しい」と屈託なく顔を綻ばせているところだった。
「ところで名取さん、先程の恥ずかしい記憶というのは何ですか? 差し支えなければお聞きしたいのですが」
 青葉は微笑みを浮かべたまま、細長い指でグラスを持ち、半分ほど残っていた白ワインを嗜む。爪はネイルアートが施されているわけではないが、艶やかに磨かれていた。
「いえいえ、聞かせる程のことでもありませんよ。僕は小学生の頃跳び箱が得意で、軽々と八段を飛び越えていたんですが、唯一失敗したのが、よりによって当時好意を寄せていた子の目の前だったんです。そういった緊張は人を狂わせるんですね」
 僕は幅の広い肩を少しだけ窄めてから、完全な作り話を流暢に話し切った自分を称えるように、グラスに入った赤ワインを飲む。本当に恥ずかしいことなど、到底言えたものではない。
「そうですよね、名取さんにもそんな若かりし頃があったんですよね。名取さんにとっては思い出したくないエピソードだったかもしれませんが、私にとっては微笑ましかったですよ」
 青葉が慈しむような笑みを零しながら、グラスをコースターに置こうとする。その瞬間、手が滑ったのかグラスが傾き、瀟洒で落ち着いた雰囲気の店内に、突如ガラスが砕け散る音が響いた。間髪入れず、僕は立ち上がって青葉の足下を確認する。
「大丈夫ですか宮城野さん、お怪我は」
「いえ、私は大丈夫です。それよりも申し訳ありません、こんなお洒落なところでとんだ粗相を」
 慌てふためく僕等のもとに、ウエイターが歩み寄ってきて、「お怪我はございませんか、片付けは私共で行いますので」と言いながら速やかに清掃を始める。青葉は身を縮こまらせながら、「本当にすみません」と何度も陳謝していた。
 清掃が終わり、冷水の注がれた新たなグラスが運ばれてきたあと、青葉は小さく息をついた。
「お騒がせしてすみません。それにしても、名取さんはやさしいですね。すぐに私の身を案じてくださるなんて」
「いえ、当然のことですよ。宮城野さんには、今日の思い出を良いものとして持ち帰ってほしいですからね」
 しかも、相手のピンチをすぐさまリカバリーするチャンスなど、逃すわけにはいかないのだ。
「ところで、デザートを頂いたら、同じフロアにあるテラスに出てみませんか。今日は天気も悪くありませんし、夜景だけでなく月もはっきり見えるかもしれませんよ」
 僕の提案に、青葉は伏し目がちに頷きながら、「そうですね、是非」と答える。きっと何となくわかっているのだろう。こちらとしてもホテルの最上階にあるイタリアンでディナーを共にしている以上、そこまでついてきてもらわなければ困る。
 デザートにマロンのティラミスを堪能したあと、レストランを出てテラスへと足を運ぶ。今でこそもう慣れてしまったが、初めて光が街の輪郭を淡くなぞる景色を見た瞬間は、きっと大層興奮したのだろう。夜空を見上げると、満月は半ば雲に隠れているようだった。
「本当に綺麗な景色ですね、名取さん」
 一足先にテラスのいちばん奥まで辿り着いていた青葉が、弾んだ声で僕に呼びかける。淡い水色のロングスカートが、そよ風に吹かれていた。僕は「そうですね」とだけ返事をしながら、青葉の横に並ぶ。
 二人の間に静寂が流れる。眼前の美しい夜景は、つい見惚れてしまったと言うにはちょうど良い言い訳になっていたが、それもそろそろ限界だろう。僕は青葉のほうを見ないまま、「宮城野さん」と口を開いた。
「はい」
 青葉も夜景から目を離さない。
「僕も、重々承知してはいるんですよ。もうすぐ30代も後半に差し掛かろうとしている中、起業家なんて安定したステータスではありませんし、今はそこそこ豊かな生活を送れていても、それがいつ崩れ去るかなんてわかりません。でも、宮城野さんのことを想う気持ちが、どうしても止まらない」
 そこまで言って、僕は青葉のほうを向く。それを見た青葉も、僕と相対する。
「釣り合うわけもないのはわかっています。でも、どうか、結婚を前提とした交際を、始めさせてもらえませんか」
 僕はそう言うなり、深々と頭を下げる。そして三秒ほど経ったあと、くすくすという笑い声が頭上から聞こえてきた。
「もうすぐ30の女にそんなことを申し込むなんて、名取さんも変わり者ですね。ほら、頭を上げてください」
 青葉の声に、僕はゆっくりと頭を上げる。青葉は、満面の笑みを湛えていた。
「ええ、是非始めましょう。結婚を前提とした交際を」
 僕は沈黙した。あまりにもうるさい沈黙だった。身体中に溢れる高揚感に、僕はただ浸りきっていた。
「…すみません宮城野さん。僕、言葉が出なくて。大袈裟かもしれないですけど、今の僕は、世界で一番幸せだなんて、本気で思ってるんです」
 僕の言葉に、青葉は笑顔を浮かべたまま、首を横に振る。長い黒髪の間から、小ぶりなピアスが一瞬だけ煌めいて見えた。
「そんなことないですよ。私も今、名取さんと同じように、世界で一番幸せですから」

 マンションの入り口のオートロックを解除し、エレベーターに乗り込んで、24階のボタンを押す。深夜のエレベーターは同乗者もいないまま指定の階に到着し、僕はいちばん奥にある自分の部屋に向かう。そして暗証番号を打ち込み、僕は部屋の中へと入っていった。
 リビングに入ると、高校時代の体操着を着た岩沼が、二人掛けのソファーで足を伸ばしながら、腿に載せたパソコンの画面を凝視していた。その小柄な背中越しに画面を見ると、ちょうどアサルトライフルが敵を撃ち殺したところだった。
「お前またゲーム実況見てんのか。暇くせえな」
 僕が声をかけると、岩沼がイヤホンを外してこちらを振り返る。
「なんだ帰ってたのかよ、別に俺が何見ててもいいだろ。てかだいぶ遅かったな」
「まあレストラン入ったのが割と遅かったからな。そこからも時間かけたし」
 僕はそう言いながら、無理矢理岩沼の足をよけて、ソファーに腰を下ろす。このソファーも座り心地が悪いわけではないが、近いうちにもっとしっくりくるものに買い換えよう。
「そうか。で、どうだったんだ今回は」
 岩沼がもともと出ている歯をさらに剥き出しにして、下卑た笑みを浮かべる。僕もつられて口角が上がった。
「喜べ。成功だ」
 それを聞いた瞬間、岩沼は立ち上がり、自分のことのように声を上げて喜んだ。まあ刺激のない日々を送っているのだから、仕方あるまい。
「いやーよかった。明日は鴨肉パーティーだな」
「恒例のやつな。あーでもその前に、そろそろ僕の免許証作っといてほしいんだけど」
 僕がにやにやしながら岩沼を見ると、先程までとは一転、あからさまに肩を落としていた。
「えーめんどくさ。まだ作ってなかったっけ」
「そうだよ、それがお前の仕事だろ。サボろうとすんなよ」
 僕はそう言いながら、シャワーでも浴びにいくか、と立ち上がる。
「はいはい。ちなみに、今回はどんな感じの女なんだ? 写真ないのかよ」
「お前いつも言ってるだろ、僕等の仕事は写真はご法度なんだよ。ただまあ、雰囲気を言うとすれば」
 僕はドアノブに手を掛けながら、つい先程までの記憶を手繰る。
「さしずめ、世間知らずのお嬢様といったところだな」
 そう言って、僕は後ろ手にドアを閉めた。
 僕、名取亘と宮城野青葉の関係は、恋人同士ではない。結婚詐欺師とカモ、それだけのことだ。これほどリスキーなことを続けてきて10年以上経っているのだから、もしかすると起業家になる道もあったのかもしれないが、結局のところ今雇っているのは保険証やパスポートを偽造する担当の岩沼のみだし、騙し取った金も折半することになっていた。
 シャワーを浴び、鼻歌を歌いながら、髪をがっちりと固めているジェルを洗い落とす。しかし今回は過去最高にとんとん拍子だった。ここまで首尾よく事が運ぶとなると、いよいよ僕はもう無敵だ。
『そんなことないですよ。私も今、名取さんと同じように、世界で一番幸せですから』
 排水口に吸い込まれていく泡を見ながら、青葉の浮ついた台詞を思い出す。馬鹿だな。幸せになるのは、僕だけなんだよ。

第二話 おもくるしくない

 青葉が来ない。
 時間を間違えているのではないかと、左腕に着けたロレックスの腕時計を確認するが、やはり時刻は午後六時を10分過ぎていた。携帯を見ても、何の音沙汰もない。六回目のデートにして、こんなことは初めてだった。予想外の事態に、僕は小さく舌打ちをする。
 今夜は午後六時に新宿駅西口集合の予定だったので、僕はベージュのセットアップスーツに爪先の尖った革靴という出で立ちで、集合時刻の30分前から待っていた。青葉が到着し次第、都庁の展望室に向かい、そこにあるバーに入るなり重苦しい表情を見せて、実は僕の会社が倒産寸前で、という話をする算段だったのだ。ところが、改札から溢れ出てくる人々を見渡してみても、青葉らしき姿は現れる気配すらない。詐欺師がカモに待たされるなんて滑稽な話だが、会えないことにはここまで来た意味がないので、僕はしぶしぶ電話をかけることにした。
 一回目の電話は、10コールほど待っても繋がらなかった。その時点で携帯を投げ捨てそうになったが、ぐっと我慢してもう一度かけ直してみる。数コールして、今度は繋がった音がした。
「もしもし青葉さん、よかった繋がった。何かあったのかと思って心配してたんですよ、今どこにいるんですか」
 僕は気が動転している体で捲したてる。少し間が空いて、電話の向こうから「申し訳ありません」という絞り出すような声が聞こえた。
「今、家にいます。つい先程、大変なことが起きてしまって…ちょっと気持ちの整理がついていないんです」
 僕は息を呑む。そして少し考えてから、言葉を紡いだ。
「僕こそすみません、まさかそんな状況だとは思いもしていなかったので。あの、お節介なのは百も承知ですが、何か僕にできることはありませんか。青葉さんが困っているときに何もできないなんて、僕自身が許せないんです」
 僕の力強い台詞のあとで、電話の向こうから弱々しく息を吐く音が聞こえる。
「そんなふうに思ってくださる人と出会えたことは、私の人生の中で不幸中の幸いなのかもしれませんね。私としては、亘さんのやさしさに付け込むようで少し気が引けるのですが、やはり我が儘を言わせてください。他の誰にも言えないようなことなので、直接相談させてほしいのです。どうか、私の家まで来てくださいませんか」
「もちろんです。住所を教えていただければ、すぐに駆けつけます」
 僕が食いぎみに答えると、鼻を啜るような音がしてから、青葉の声が聞こえた。
「本当にありがとうございます。電話を切ったらすぐに住所を送ります。家の前に着いたら、改めてお電話をください」
「わかりました。青葉さん、今は不安で胸がいっぱいだと思いますが、きっと大丈夫ですから」
 僕が形だけのエールを送ると、青葉の「ありがとうございます。ではまた」という今にも消え入りそうな声が聞こえて、電話が切れる。送られてきた住所を見ると、ここから電車と徒歩で一時間ほどかかる場所だった。
 くそ、と悪態をつきたいのをなんとか我慢しながら、改札を通過する。あまりにも間が悪すぎるだろ。青葉とはここまで関係を構築してきたが、場合によっては切り捨てることになりそうだ。大丈夫、代わりのカモはいくらでもいる。
 青葉の住む街の最寄り駅の改札を抜けると、ちょうど雨が降り出したところだった。慌てて駅のコンビニでビニール傘を買い、足早に歩き始める。強くなっていく雨が地面からはね返って裾が濡れていくのを感じ、苛立ちが募っていくが、ここは冷静にならなければならないところだ。詐欺師には、些細なミスも許されない。
 辿り着いた場所は、閑静な住宅街に建つ二階建ての建物だった。一階部分に下ろされたシャッターを見る限りでは店舗のようにも見えるが、看板らしきものは見当たらない。若干の疑念を抱きながら青葉に電話をかけると、「ご足労をおかけして申し訳ありません。今行きます」と青葉から伝えられる。程なくして重々しい音を立てながらシャッターが上がり、そして中の様子が明らかになった。
 そこには、様々な種類の花が押し込まれていた。値札のついている花もあったが、天気の悪さも相俟って、とても売り物とは思えないほど鮮やかさが失われていた。花のほうに気を取られていると、「亘さん、雨ですから早く中へ」と手招きをする青葉にようやく気がつき、慌ててシャッターをくぐる。青葉の代わりにシャッターを閉めると、ただでさえ薄暗い空間はさらに陰鬱さを増したように感じられた。
「こんな格好ですみません。とりあえず、二階へ行きましょう」
 薄いピンク色のネグリジェを着た青葉は、妙に早足で奥にある階段へと歩いていく。いったい何が起きているのだろう。考えを巡らせながら周りを見回した、その瞬間だった。僕は思わず息を呑んだ。
 髪の長い女性がいた。行き場を失った花たちに囲まれながら、彼女はパイプ椅子に腰かけ、さながら屍のように項垂れていた。纏った雰囲気とは裏腹に、彼女は白地に赤色のストライプ柄のエプロンを着けていて、ネームプレートには「若林」と書かれているのが見て取れた。見てはいけないものを見てしまった気がして、僕は慌てて青葉の後を追った。
 青葉の部屋に踏み入れた率直な感想は、思ったより質素、というものだった。テーブルとベッド、部屋の隅の大きなスーツケース以外には何もなく、微塵も飾り気が感じられなかった。僕が部屋を眺めている間に、青葉がクローゼットの中からクッションを用意してくれたので、僕達はテーブルを挟んで向かい合わせに座った。
「とりあえず、気持ちは少し落ち着きましたか」
 まずは青葉の身を案じておく。化粧の施されていない顔は、想像以上に青白く見えた。
「そうですね。亘さんが来てくださると聞いて、だいぶ安心しました。せっかくお招きしたのに何のおもてなしもできなくて、本当に心苦しいですが」
 俯く青葉を、「とんでもないです。今の青葉さんは自分のことだけ考えていればいいんです」とフォローする。さて、茶番は終わりだ。本題に入ろう。
「ところで…、青葉さんにいったい何があったのか、聞かせてくれませんか」
 僕の質問に、青葉はしばらく俯いていたが、ややあっておもむろに顔を上げた。
「…下にいる姉を見ましたか」
 姉? 先程の髪の長い女性のことだろうか。しかし、たしか名字は宮城野ではなかったはずだ。
「ああ…、一階で座っている人は見かけましたが、たしか名札に『若林』と書いてあった気が…」
「そうです。姉は三年前に結婚して、名字が『若林』になったんです。その姉夫婦が花屋を開くというので、私もその手伝いをしていました」
 やはりこの建物の一階は花屋なのか。僕は静かに頷きながら、先を促す。
「最近、売れ行きがあまりよくないことは姉から聞いていたんです。だからなんとかしようと思って、ポスターを出したりティッシュ配りをしたり、いろいろな方法で宣伝に励んでいました。それなのに」
 そこまで言って、青葉が言葉に詰まる。僕は、次の言葉を黙って待っていた。
「今朝、姉の旦那が、売り上げを持ち逃げしたんです。大切なものを一気に二つも失った姉を前にして、私には慰めることしかできませんでした。つい最近までは苦しくても笑顔で頑張ってたのに、その笑顔すら奪っていくなんて、そんなの…お姉ちゃん…」
 再び俯いた青葉の目から、滴が滴り落ちる。その姿は、あまりにも美しく見えた。
「…許せない。警察にはもう連絡しましたか」
 詐欺師が何を言ってんだ、と思いつつ青葉を見つめると、青葉は首を横に振った。
「姉がもう少し元に戻ってから、連絡しようと思います。でも、その前に一つ、亘さんに折り入ってお願いがあるんです」
 お願い。親族でなくても叶えられる、起業家だからこそ叶えられる、お願い。それが何なのか、僕は薄々わかり始めていた。あえて何も言わずに、僕は涙に濡れた青白い顔が僕の瞳を見るまでの過程を、目に焼きつけていた。
「こんなこと、交際を始めて間もない方にお願いするなんて、不躾極まりないのは重々承知しています。でも、このままでは姉も私も明日の生活すら危うい状況ですし、もしあの男が捕まって裁判を起こすことになったとしても、費用が馬鹿にならないことは目に見えています。ですからどうか亘さん、私達を救っていただけませんか。少しだけでも構いません、お金をお借りできませんか」

 自分の部屋の暗証番号を打ち込み、僕は部屋の中へと入っていく。リビングに入ると、いつものように岩沼がソファーの肘掛けを背凭れにしながら、パソコンでゲーム実況の動画を見ていた。呑気なその後ろ姿に無性に腹が立って、僕は青葉から帰り際に渡されたダリアの花を岩沼の後頭部に投げつける。岩沼はびくっ、と体を震わせてこちらを振り向くと、安心したように息を吐きながらイヤホンを外した。
「なんだよお前か、びっくりさせんなよ。何この花、どうしたんだよ」
 岩沼がそう言いながら、真っ赤なダリアを拾い上げる。その深い赤が挑発的に感じられて、一層不快感が募った。
「騙されてるかもしれない」
 僕はそう言いながら、ダリアを睨みつける。岩沼は意味がわからない、というような表情で僕を見ていた。
「は? いや、お前何言ってんだよ。自分が詐欺師なの忘れたのか? それとも――」
「お金を貸してくれってお願いされた」
 僕の言葉に、岩沼の表情が一気に引き締まる。岩沼に「とりあえず全部話せ」と促されて、僕は岩沼の隣に座り、今日の一部始終を話し始めた。
「うわ…、どんな偶然だよ、それ」
 全てを聞いた岩沼の反応は、そんなものだった。ソファーの背凭れに身を委ねる岩沼の傍らで、僕は何も載っていないテーブルを凝視しながら話し続ける。
「お前はどっちだと思う? あの女はかわいそうな一般人なのか、巧妙な詐欺師なのか。偽の花屋を作って家にまで呼ぶなんて、詐欺にしては大掛かりすぎるとは思うけど、タイミングがあまりにも良すぎるし――」
「それはどうでもいいだろ」
 岩沼がそう言って遮る。どうでもいい。その言葉に、僕は言葉を失った。
「それよりもお前、これからどうすんだよ。今までその女に注ぎ込んだ分の金、どうやって取り返すんだ?」
 気付けば僕は岩沼の胸倉を掴んでいた。許さない。絶対に許さない。
「どうでもいいわけないだろ、僕が騙されるなんて、そんなこと」
 そこまで言って、僕は我に返る。岩沼にとって、本当にそれはどうでもいい話なのだ。どうかしているのは僕のほうだ。僕はおもむろに胸倉から手を離し、ソファーから立ち上がった。
「ちょっと気分転換に、明日から旅行にでも行ってくる。金曜日の昼には帰ってくるよ。その夜にあの女と会って、決着をつけてくる」
 それだけ伝えると、僕は岩沼の返事も聞かずに部屋を出て、浴室に向かった。スーツと下着を乱雑に脱ぎ捨て、軽くシャワーを浴びてから、頭を洗い始める。
 結婚詐欺師を始めて10年。両手では数え切れないほどの女を縦にしてきたが、こんなことは初めてだった。もし青葉がかわいそうな一般人だったら、切り捨てればいい。慈善活動を行うほど、僕はやさしくなんてないのだ。でももし、詐欺師だったら――と思いながら、ふと目の前の鏡を見た瞬間だった。
「ひっ」
 髪の長い女がいた。花屋で屍のように項垂れていたあの女が、長い髪の奥でにんまりと笑っていた、気がしたのだ。しかしよく瞬きして鏡を見ると、写っているのは髪が泡だらけの自分自身だった。何だったんだ今のは。それはさながら、呪いだった。
 不気味さが拭えなくて、僕は堪らず頭を流す。なかなか泡を吸い込んでくれない排水口を、僕は黙って見つめていた。

第三話 よわよわしくない

 金曜日の夜、SuchmosのSTAY TUNEを流しながら首都高速を颯爽と駆け抜けていると、自分が無敵なのではないかという感覚が込み上げる。真っ赤なBMWが、さらにその感覚を加速させていた。
「どうです、そろそろどこへ向かっているのかわかってきましたか」
 僕は楽しげに質問を投げかけながら、隣の青葉を一瞥する。青葉は背筋をぴんと伸ばし、シートベルトの上で両手を重ねていた。
「すみません、私けっこう方向音痴なので…あっ、でもきっと、あの東京タワーの位置がヒントですよね」
 青葉も朗らかに会話を続けるが、そこにはどことなくぎこちなさがある。悲劇が起こったのはほんの三日前なのだから当然といえば当然なのだが、一方で演技じみているような感覚も拭いきれなかった。
『わかりました。それでは、金曜日までにできるだけの準備をしておくので、それまでは申し訳ないのですが、これだけでなんとか凌いでください。そうだ、きっかけがないと家を出る気になれないでしょうし、金曜日の夜はどこかに出かけませんか? 僕、久し振りにドライブでもしたい気分なんです』
 お金をお借りできませんか、という申し出に、僕は三万円ほど差し出しながらそう返事をした。全部嘘なんだろう、とその場で問い詰めてもよかったのかもしれない。でも、もし青葉が僕を騙そうとしているのならば、僕は最も絶望的な方法で青葉を地獄の底に突き落とさなければ気が済まなかった。
 何度目かのジャンクションに差し掛かり、度重なる急カーブを抜けると、長く真っ直ぐなトンネルに入る。スピードメーターはじわりじわりと右側に傾いていく。もう僕は誰にも止められない。そして一瞬とも感じられるほどの速さで、僕達を乗せたBMWはトンネルの出口に到達した。
「あっ、ようやくわかりました。あれですよね、ゆりかもめ」
「まあ海ほたるなんですけれども」
 僕はやんわりと訂正しながら、海ほたるへと続く車線に入る。自らの凡ミスに、青葉はうふふ、と笑ってみせた。
 金曜日の夜にわざわざ東京湾の真ん中まで足を伸ばすような人は少なく、駐車スペースを探すのには特別苦労しなかった。僕達は車を降りると、エスカレーターに乗って最上階へと向かう。そしてちょうど最上階に到達したところで、突然電話が鳴った。携帯の画面を確認してみると、岩沼からだった。
「青葉さんすみません、ちょっと電話がかかってきたので、あの辺りで待っていてもらえませんか」
 いったい何事だろう、という不安をひた隠しにしながら、僕は海が一望できるデッキの辺りを指差す。「わかりました、お待ちしてますね」と微笑を浮かべながらそちらに歩いていく青葉に背を向け、僕は電話を取った。
「もしもし、どうした何かあったのか」
 僕が早口で質問すると、少し間が空いてから、岩沼の声が聞こえた。
「今さ、お前どこにいる?」
「さっき海ほたるに着いたばっかりだよ、それがどうかしたのか」
 不安に苛まれ、自分でも口調がきつくなるのがわかる。それを解きほぐすかのように、電話の向こうから安堵したような溜め息が聞こえた。
「いや、それは単に気になっただけ。そういえばお前らのデートの話、普段あんまり聞かないなと思って。電話したのは、しばらく家を空けるから、いちおう伝えとこうと思って」
「なんだよ、それは家で顔合わせたときに言えよ、何事かと思ったわ。ちなみにどこ行くんだよ」
 岩沼にしては妙に律儀だが、今はとにかく何もないに越したことはない。僕の質問に、岩沼はすらすらと答えた。
「マシンの買い替え。あれ実はけっこう貴重だからさ、いつもお世話になってる遠くの業者のところまで行かなきゃいけないんだよね。まあ、今回はそのついでに観光でもしようかなと」
 マシンというのは免許証やパスポートの偽造マシンのことか。岩沼には依頼こそすれどその仕事に関心があるわけでは全くないので、わざわざ遠くまで行かないと業者がいないことすら知らなかった。
「わかった。そしたらいつも通り精度の高いやつをよろしく、おそらくすぐまた依頼することになりそうだし」
 僕がそう言うと、「おう。じゃあな」とぶっきらぼうな返事が聞こえて、電話が切れた。僕は素早く携帯をポケットに突っ込み、足早に青葉の方へと向かった。
 青葉は柵に寄りかかりながら、静かに遠くの夜景を眺めていた。真っ白なロングワンピースは闇の中に青葉の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせており、それに替わるように真っ黒なサッシュベルトが光の吸収を一手に引き受けていた。僕が何も言わずに青葉の横に並ぶと、青葉は僕の方を見ずに喋り出した。
「なんだか、交際を始めた夜のことを思い出しますね。あのときは、もっと近くに夜景が広がっていましたが」
 僕は青葉の声を聞きながら、十六夜の月を見上げる。全て自分の掌中にあると思っていた。あのときはまだ、完全に思い通りだと思っていたのだ。それなのに――
「それなのに、まさかこんなことに巻き込んでしまうなんて…こんなの騙してるみたいで、私は自分自身が許せないんです。私達、いったいこれからどうすれば」
 鐘が鳴った。それは東京湾を包み込むような、壮大な音色だった。柵から身を乗り出して下の方を見ると、一組のカップルが鐘台の前で燥いでいるのが見えた。
「あれ、幸せの鐘って名前なんです」
 僕はそう言いながら、青葉のほうに顔を向ける。こちらを見る青葉の目から、一粒の涙がゆっくりと頬を伝い、滴り落ちていくのが見えた。
「僕達も鳴らしにいきましょう」
 僕は微笑みかけながらそう言うと、青葉の手を取り、エスカレーターで下っていく。すぐ後ろの青葉を振り返ると、弱々しい声で「すみません」と言いながら、手で頬を拭っているところだった。
 鐘台の前に着いた頃には、先程のカップルはいなくなっていた。幸せの鐘は、10mほどはある二本の高い柱の間に吊り下げられていて、鐘を鳴らす長い紐がぶら下がっている。その構造は、どこか断頭台を彷彿とさせた。
「二人で一緒に鳴らしましょう」
 僕がそう言うと、青葉は小さく頷いて紐を握る。僕はその手を包むようにそっと握り、紐を揺らした。幸せの鐘は、実に優しい、全てを覆い尽くすような響きがした。柱のほうを見上げると、鐘は暗闇に溶け込み、目で見ることはできなかった。
「私達、これで幸せになれますかね」
 青葉の虚ろな声が隣から聞こえる。僕はなおも上を見上げながら、先程の鐘の音はあの夜空のどの辺りまで届いたのだろう、とぼんやり考えていた。
「そろそろ、車に戻りましょうか。もう準備はしてありますから」
 しばらくして、僕は青葉のほうを見て声を掛ける。青葉は引き締まった顔で、黙って頷いた。僕達はエスカレーターで下り、駐車場に到着するまで、一言も言葉を交わすことはなかった。
 BMWの前に辿り着くと、僕は「人に見せるものでもないと思うので」と言いながら、後部座席のドアを開ける。青葉が俯きながら席に座ると、僕はドアを閉め、自分も反対側から後部座席に乗り込んだ。そして僕はチャイルドロックをかけた。
 車内には妙な静けさが流れていた。横目で青葉を見ると、俯いたままの青葉の横顔は、長い黒髪で隠れていた。その奥に、いったいどんな顔を隠している。何枚の仮面を被っている。僕はぎりっと奥歯を噛み締めてから、運転席の下に置いてあったジュラルミンケースを手に取り、自分の膝の上に置いた。
「幸せになりたいですか」
 僕はジュラルミンケースを見つめながら、青葉に問う。答えはすぐに返ってきた。
「それはもちろんそうですけど、でもこんな形では――」
「この中に、僕の青葉さんへの思いが詰まってます」
 僕はそう言うや否や、青葉のほうに顔を向ける。ゆっくりと僕の顔を見た青葉は、張り詰めたような表情を浮かべていた。それにつられるように、僕は固唾を飲み込んでから、青葉に告げた。
「どうか、受け取ってください」
 僕はジュラルミンケースを開けた。その中身を見た瞬間、青葉は息を呑み、必死に僕から遠ざかろうとしてドアに背中を打ちつける。それもそのはずだ。ケースの中に入っていたのは、札束ではなく包丁なのだから。
 ドアを開けようとする青葉を力一杯引き寄せ、馬乗りになって首筋に刃を近づける。今まで何度犯罪を重ねてきたかわからないが、刃傷沙汰になるのは初めてで、思っていたよりも遥かに手が震えた。思わず致命傷を負わせてしまいそうで、刃を首に当てることはできないほどの震えだった。
「お前、騙してたんだろ、僕のことを」
 自分の怒りの形を確かめるように、僕は包丁の柄をありったけの力で握りしめた。青葉の目は恐怖で見開かれていたが、叫び声一つ出さず、ひたすらに僕の瞳を見据えていた。
「運が悪かったな、騙した相手が僕で。ほら、自分の口で白状しろよ。少しでも嘘をついたら、殺す」
 殺す、と言った瞬間、自分の目から涙が溢れてくるのがわかった。殺人犯がなぜ泣くのか、とは思ったものの、自分の中の激情を留めることができなかった。青葉の乾いた頬を、一粒の生温い滴が濡らした。
「本当のことを言います。本当のことを言いますから、私に刃を向けるのをやめていただけませんか」
 ややあって、青葉が声を絞り出して懇願する。懇願しろ、もっと懇願しろ。僕は負けるわけにはいかないのだ。
「このまま言え。殺されてもいいのか」
「お願いです。今私の体の下敷きになっているバッグの中に、お見せしなければならないものがあるんです。せめて、私の上から下りていただけませんか」
 僕が見なければならないもの。それはいったい何だというのだろう。細心の注意を払い、青葉に切先を向けながら、僕は至極ゆっくりと最初に座っていた位置に戻った。青葉は、二人分の体重に押し潰されて壊れたバッグを手に取り、その中を探る。そして青葉が手にしたのは、一枚のカードだった。
「名取亘さん。これは、ある意味での真実です」
 青葉はそのカードを僕の目の前に突き出す。それは運転免許証だった。でも、青葉のものでもなければ、女性のものでもない。富谷大和――その名前に、僕は目を疑った。
「お前、なんでそれを」
 そう言いかけた次の瞬間、勢いよく体当たりされ、呆気に取られた隙に包丁をむしり取られる。そのまま刃を向け返された僕が感じていたのは、身の危険ではなく、圧倒的な絶望感だった。
「あんたが結婚詐欺師だってことは、最初から知ってたよ。今に始まったことじゃなくて、偽名を使って詐欺を繰り返してきたことも。それもこれも全部、若林さんのおかげ。もちろん若林さんは実の姉じゃないよ、私の協力者」
 全部、演技だった。騙したつもりが、騙されていたのだ。今までこいつに費やしてきた時間は、何だったのだろう。頭が真っ白になった僕に、なおも青葉は畳み掛けるように語る。
「若林さんとは、あんたと六回目に会うときにアクションを起こそうって話してたの。無事先手を打ててほんとによかった。で、火曜日にあんたが帰ったあと、次会うときにどうすべきか若林さんに聞いたら、『相手の弱みを握って一気に巻き上げちゃおうか。住所は調べてあるから、明日明後日のどっかで、あたしが忍び込んでくるよ』って言ってくれて。そしたらこんなもの持ってきてくれるなんて、ほんとあの人って凄いよね。なんかあんたの同居人、色仕掛けで一発だったらしいよ」
 岩沼も僕もお互い犯罪者なわけで、100%信頼していたわけではないけれど、それでも協力者としてやってきた時間は長かった。それだけに、さらに悔しさが積み上がる。
「というわけで、少なくとも名取亘は偽名だってことがバレちゃったけど、あんたどうするの? 武器もなければ協力者もいない結婚詐欺師には、あと金しかないよね。私、別にあんたの命はいらないけど、金はありったけ欲しいな」
 もう一人の結婚詐欺師は、幸せの絶頂にいるような表情で僕を見る。こいつはずっとこのときを待っていたのだ。そして僕は全てを理解した。
『…すみません宮城野さん。僕、言葉が出なくて。大袈裟かもしれないですけど、今の僕は、世界で一番幸せだなんて、本気で思ってるんです』
『そんなことないですよ。私も今、名取さんと同じように、世界で一番幸せですから』
 僕と他人の幸せは、一致するはずがないと思っていた。でもあのとき、確かに僕と青葉にとっての幸せは、全く同じだったのだ。なぜなら二人とも、結婚詐欺師なのだから。
「…なかったのに」
 一旦そう呟くと、もう駄目だった。体じゅうの水分が涙腺に押し寄せ、脆くも崩壊していくのを感じた。青葉が怪訝な顔で僕を見ていたが、もうどうでもよかった。あのときの記憶が、一瞬にして僕を支配してしまっていた。
「もう二度と、騙されたくなんて、なかったのに」

第四話 やさしくない

「東京の夜景って、何万ドルだと思う?」
 途切れた会話をどうにか繋ごうとして、僕は思ったより青いジャケットの裾を伸ばしながら問いかける。社会人二年目にしては高い買い物だったが、奮発した甲斐があったかと言われると、それはそれでなんだか心許ない気がしていた。
「あーそれ、聞いたことあるよ私。たしかさ、百万ドルの夜景って言うよね?」
 朗らかな声を聞きながら、僕はテーブルの中央に置いてあるアクアパッツァを見つめる。一切れだけ残っている鯛を見て、この遠慮の塊を一思いに飲み込めたらなと思いながら、僕は唾を飲み下した。
「いや、百万ドルは神戸だからね、もっとあるんじゃない、一千万ドルとか」
 そんな言い方しなくてもいいじゃないか、とは思ったものの、それに気づくのはいつも言葉が口から出たあとだった。もう少し器用に話せたらいいのに、僕はいつになったら成長するのだろう。
「そっか、それは神戸だっけ。さすが、よく知ってるなあ。しかもさ、一千万ドルとか言われたら私もうわかんないよ」
 そして、そんな未熟な僕のことを、泉はどこまで掬い上げてくれるのだろう。
「まあね、そんなに大きな金額だともうよくわからないよね」
 そう言いながら、僕は少しだけ顔を上げた。ボディラインがはっきりと出る白いタートルネックの首元に、ターコイズブルーの丸いペンダントがよく映えていた。その麗しさに、僕の脳内は完全に支配された。 
「じゃあさ、僕が君と夜景を眺めながら過ごしているこの時間は、何万ドルだと思う?」
 僕はふっと顔を上げて、泉の顔を見る。その少し驚いたような表情を見る限り、この小っ恥ずかしい台詞は、どうやら僕の口から突いて出たもののようだった。いったい僕は何を――と思った瞬間、泉はいつものように、そっとやさしく微笑んだ。
「プライスレスだよ。ね、大和くん」
 泉はそう言ってから、アクアパッツァの中に残っている鯛に視線を落とし、僕に「ほら食べて」と薦める。何度か譲り合いの応酬になって、最終的に「じゃあすみません」と僕が慌てて口に運ぶと同時に、メインディッシュのカラスミと九条ねぎの冷製パスタが運ばれてきた。
 僕は、少し緊張していた。泉と二人きりで会うのは、これで三回目である。過去二回のデートもかなりの好感触だったので、仕掛けるなら間違いなく今日だが、ここを失敗すれば先はない。そうは言うものの、今の泉は「あっ、とっても美味しい」と艶めかしく顔を綻ばせているところだった。
「ところで大和くん、さっきの質問は突然どうしたの? 君と過ごしているこの時間は、何万ドルだと思う? みたいなやつ」
 青葉は微笑みを浮かべたまま、細長い指でグラスを持ち、半分ほど残っていた白ワインを嗜む。ペンダントに合わせてターコイズブルーに塗られた爪が、艶やかな彩りを放っていた。
「いや、すみません本当に。なんか、夜景の見えるレストランでお洒落なイタリアンなんて、僕初めてで。そういう緊張って、人をおかしくするものなんだね」
 僕はただでさえ幅の狭い肩をさらに窄めてから、これからの自分を鼓舞するように、グラスに入った赤ワインを飲む。本当に恥ずかしい、こんなこときれいさっぱり忘れてしまいたい。
「そうだよね、大和くんもまだまだ若いもんね。でも、大和くんにとっては思い出したくないエピソードになっちゃうかもしれないけど、私にとっては微笑ましかったよ」
 泉が慈しむような笑みを零しながら、グラスをコースターに置こうとする。その瞬間、手が滑ったのかグラスが傾き、瀟洒で落ち着いた雰囲気の店内に、突如ガラスが砕け散る音が響いた。間髪入れず、僕は立ち上がって泉の足下を確認する。
「あの、大丈夫ですか泉さん。怪我とかは」
「ううん、私は大丈夫。それよりもごめん、こんなお洒落なところでやらかしちゃって」
 慌てふためく僕等のもとに、ウエイターが歩み寄ってきて、「お怪我はございませんか、片付けは私共で行いますので」と言いながら速やかに清掃を始める。泉は身を縮こまらせながら、「本当にすみません」と何度も陳謝していた。
 清掃が終わり、冷水の注がれた新たなグラスが運ばれてきたあと、泉は小さく息をついた。
「お騒がせしてごめんね。それにしても、大和くんって優しいね。すぐに私のことを心配してくれるなんて」
「いや、それは当然だよ。泉さんには、今日の思い出を良いものとして持ち帰ってほしいからね」
 しかも、相手のピンチをすぐさまリカバリーするチャンスなど、逃すわけにはいかないのだ。
「ところで、デザートを食べたら、同じフロアにあるテラスに出てみない? 今日は天気も悪くないし、夜景だけじゃなくて月もはっきり見えるかもよ」
 僕の提案に、泉は僅かに表情を引き締めながら、「そうだね、行こっか」と答える。きっと何となくわかっているのだろう。こちらとしてもホテルの最上階にあるイタリアンでディナーを共にしている以上、そこまでついてきてもらわなければ困る。
 デザートにマロンのティラミスを堪能したあと、レストランを出てテラスへと足を運ぶ。そしてその景色が目の前に現れた瞬間、僕は目を見開いた。暗闇という一面のキャンバスの上で、光が街の輪郭を淡くなぞり、その中を縫って進む車のライトが、あまりにも壮大な絵画に生命力を与えている。今ならば、この世界にラブソングやメロドラマが溢れている理由が、なんとなく理解できる気がした。夜空を見上げると、三日月が僕等の行く末を見守っていた。
「本当に綺麗な景色だね、大和くん」
 一足先にテラスのいちばん奥まで辿り着いていた泉が、弾んだ声で僕に呼びかける。カーキ色のガウチョパンツの裾が、そよ風に吹かれていた。僕は「そうだね」とだけ返事をしながら、泉の横に並ぶ。
 二人の間に静寂が流れる。眼前の美しい夜景は、つい見惚れてしまったと言うにはちょうど良い言い訳になっていたが、それもそろそろ限界だろう。僕は泉のほうを見ないまま、「泉さん」と口を開いた。
「はい」
 泉も夜景から目を離さない。
「僕も、本当はわかってるんだよ。まだ20代も前半のサラリーマンなんて若造もいいとこだし、今はそんなにお金があるわけでもなくて、いつ豊かな生活ができるようになるかなんてわからないし。でも、泉さんのことを想う気持ちが、どうしても止まらない」
 そこまで言って、僕は泉のほうを向く。それを見た泉も、僕と相対する。
「釣り合うわけもないのはわかっています。でも、どうか、結婚を前提とした交際を、始めさせてもらえませんか」
 僕はそう言うなり、深々と頭を下げる。そして三秒ほど経ったあと、くすくすという笑い声が頭上から聞こえてきた。
「もうすぐ30の女にそんなことを申し込むなんて、大和くんも変わり者だね。ほら、頭上げて」
 泉の声に、僕はゆっくりと頭を上げる。泉は、満面の笑みを湛えていた。
「はい、是非始めましょう。結婚を前提とした交際を」
 僕は沈黙した。あまりにもうるさい沈黙だった。身体中に溢れる高揚感に、僕はただ浸りきっていた。
「…すみません泉さん。僕、言葉が出なくて。大袈裟かもしれないけど、今の僕は、世界で一番幸せだなんて、本気で思ってる」
 僕の言葉に、泉は笑顔を浮かべたまま、首を横に振る。長い黒髪の間から、大ぶりなピアスが一瞬だけ煌めいて見えた。
「そんなことないよ。私のほうが、大和くんよりも、ずっとずっと幸せなんだから」

「それから三回目、最初から数えたら六回目のデートのときか。ネイルサロンの経営が立ち行かなくなったの、って言われて。どうしてももう一度やり直したいって泣きつくもんだから、僕ってばいろんなところから金をかき集めて、これで頑張れって、僕も頑張るからって、背中を押したんだよね。そしたら次の日には、もう一切の連絡先が消えてた」
 包丁の切先を向けられながら、僕はそれよりもずっと鋭利な記憶を思い返していた。30代半ばの男が、涙も鼻水も垂れ流したまま無様に過去を語る姿を見て、青葉は呆気にとられている。その気になれば青葉の手中にある武器を奪い返せるような気もしたが、とっくに僕の心はずたずたになっていた。
「…いくらやられたの」
 青葉が辛うじて警戒心を保ちながら質問する。僕は力なく笑った。
「百万だよ。たったの百万円。でも20代の僕にとっちゃ、それは大金だったんだよ。毎日あくせく働いて得たお金だったし、学生時代のバイト代でもあったし、何なら遥か昔のお年玉でもあった。そのほとんどが、一瞬にしてパアになった」
 駄目だ。一度噴き出した記憶は、溢れて止まらない。これが血液だったら失血死してしまうだろうなと思いながらも、僕はどういうわけか、青葉にこの血みどろの姿をもう少し曝け出していたいようだった。

 程なくして、僕は会社を辞めた。現実問題として、お金がないのだから働かなければならないことはわかっていたのだが、掛け替えのない存在だと思っていた人が突然姿を消した喪失感は、絶え間なく僕の仕事を妨害し続けていた。そのうち、自らに鞭打って働いてまで現実にしがみつく理由がわからなくなって、気づいたら僕は辞職届を提出していた。
 仕事のない平日がやって来ても、やることもなければ何かをする気も起きないので、日がな一日ベッドに横たわっていた。空腹に我慢できなくなれば、買い溜めてあったカップラーメンを消費した。そして一週間後、ついに家に食べるものがなくなった。
 不意に僕は泉のことを思い出した。あの女は今頃、僕から騙し取った百万円で豪遊していることだろう。その資金が底を突いたら、きっとまた誰かにとっての「掛け替えのない存在」になるのだ。そんな輩が、この世にはうようよしているに違いない。そして、六畳一間のアパートの一室に、ぐう、と腹の音が響いた瞬間、僕は決意した。
 もう二度と、騙されたくなんてない。それなら、騙される側じゃなく、騙す側になってやろう。
 思いついてから行動に移すまでの時間は、自分の人生史上最速だったと思う。僕は百万円の借金をし、高級焼肉店に行って特選という名の付くメニューを一通り平らげた。腹ごしらえを終えたあとは、百貨店に行って今まで袖を通したこともないようなセットアップスーツと、これでもかと言わんばかりに先の尖った革靴を買い、美容院に行っていかにもベンチャー企業の社長のような溌剌とした髪型にしてもらった。そして家路を辿りながら、僕は富谷大和として利用していたマッチングアプリをアンインストールし、別のアプリをインストールした。
 アプリへの登録を済ませると、一時間もしないうちに「いいね」の数は百件を超えた。学生時代は女性に見向きもされず、20代も半ばに差し掛かろうとしているところで同僚の結婚ラッシュの兆しが見え始め、慌てて数か月前にマッチングアプリに登録し、挙げ句の果てに結婚詐欺師に百万円を騙し取られたこの僕がである。この僕が、一度に百人もの相手から高評価を獲得するなんて、そんなことがありうるのだろうか。そう思いながら、その中でなんとなく目に留まった女性に「いいね」を送り、メッセージを送ろうとした瞬間、僕は能動的に女性とデートをしたことが一度もないことに気がついた。
 情けないことに、僕はつい先程削除したばかりのアプリを再インストールした。幸か不幸か、泉と交わしたメッセージは完全に残っており、それはデートへの誘い方から何気ない会話のしかたまでを実践的に記した教科書のように、僕にとって重要な参考資料となった。デートコースも絶対に失敗したくなかったので、僕は丹念に記憶を塗り替えるように、泉と訪れた場所を順番通りに辿っていった。
 全てがうまくいった。唯一不安だったデート中の会話も、相手の話に耳を傾けながら、うんうん、そうだね、いやいや、そんなことないよ、と相槌を打っているだけで思いのほか成立するものだった。かくして、僕はあれよあれよという間に夜景の見えるテラスで結婚を前提とした交際を始め、都庁の展望室にあるバーで経営していた会社が倒産したことを告げ、そして見事、新たな事業を立ち上げるための百万円を獲得したのである。
 僕は六畳一間のアパートに帰宅するなり、床に寝っ転がって、騙し取ったばかりの札束を空中にばら撒いた。舞い降りてくる紙吹雪を眺めながら、なんてイージーな人生ゲームだったんだろう、とほくそ笑んだ。こんな楽な人生ゲームなら何度でも楽しみたい、と思ったときにはすでに、僕は新たなアプリのインストールボタンをタップしていた。
 そしてそれから10年後、僕が名取亘のとき。何の因果か、宮城野青葉と出会った。

「不思議なものでさ。人を騙していくにつれて、だんだん自分がやさしくなっていく気がするんだよな」
 青葉は包丁を持った手を下ろしていた。流れっぱなしの鼻水が顎の先から垂れていくのを感じながら、僕は語り続ける。
「僕たちの仕事って、騙してるのがばれたら一巻の終わりだからさ。どうしたら胡散臭く思われないか、どうしたら不快に思われないかって、自然と考えてるんだよね。そんなことをしてるうちにさ、相手の立場でものを考えることが上手になってくるんだよ。たしかに僕は、昔から優しい子ではあったと思うけど、それは相手を傷つけないために、相手との距離感をとっているだけだった。相手が何を考えてるかなんて、想像だにしてなかった」
「…そんなの、本当の優しさじゃないよ」
 青葉は僅かに斜め下を向きながら、呟くように否定する。ふわふわと漂うその言葉を、僕は軽く首を横に振るだけで振り払った。
「やさしさに本当も嘘もない。あるのは、見返りを求めるか否か、その違いだけだよ。お前は確かに、やさしかった」
 僕の言葉に、青葉は苦いものを口にしたような顔をして、後ろに包丁を投げ捨てる。その腕はわなわなと震えていた。
「…やめてよ。あんた、私たちが何だかわかってんの。結婚詐欺師だよ、犯罪者だよ、極悪人だよ。やさしいわけないじゃん、私たちはこれまでずっと人の気持ち踏み躙ってご飯食べてきたんだし、これからだってずっと」
 青葉は完全に俯いていた。それでも、今青葉がどんな表情をしているか、どんなことを考えているかが、僕には手に取るようにわかった。そして僕は、綺麗に渦を巻く青葉の旋毛を見て、愛おしいな、と思った。
「…僕達さ、結婚を前提としない交際をしてみない?」
 僕の突然の申し出に、青葉は「は?」と言いながら顔を上げる。幾筋かの涙が、青葉の化粧を削ぎ落としていた。
「何言ってんの、突然記憶喪失にでもなったの? あんたさっきまで包丁向けられてたんだよ、そんな相手信用できるわけないじゃん」
「もちろん。信用なんてこれっぽっちもする気はない」
 何なのこいつ。そんな声なき声を聞きながら、僕は続ける。
「僕達はこの仕事を始めた時点で魂売っちゃってるからさ、人を信用するなんてことは到底無理なわけよ。もし仮に本当に好きな人ができたとしても、まあ99%くらいまでは心を許せるかもしれないけど、やっぱりどこかに猜疑心は残り続けると思うんだよね。その点僕達は凄いよ、なにせ100%信用してないからね。なかなか100%のことなんてないよ、僕じゃなきゃ運命だーなんて勘違いしちゃうね」
 突然軽妙に喋りだした僕に、青葉は明らかに困惑した表情を浮かべながら、先ほど投げ捨てた包丁を拾い上げて、震える手で切先を向ける。
「何それ、運命だとか何とか言って、私のことを丸め込む気? 言っとくけど、私はあんたの本名だって知ってるし、それに――」
 今の僕に怖いものはなかった。僕はおもむろに青葉に近づき、その手に握られている包丁の柄に手を伸ばした。柄の根元を掴んで、そっと優しく引っ張ると、思っていたよりもするりと包丁は青葉の手を離れた。そして僕は座席の下に落ちていたジュラルミンケースを拾い上げ、静かに包丁を戻して、しっかりと蓋を閉めた。
「歳を取るとね、何が何でも絶対ってものが、欲しくなったりするんだよ」
 僕は読み聞かせるようにそう言って、青葉の顔に視線を移す。青葉は泣いていた。重たげな大粒の涙を、一つ、二つと順番に零しながら、青葉は静かに泣いていた。きっと青葉の頭の中では、過去と現在、そして未来が、走馬灯のように流れているのだろう。僕はその姿を見て、青葉は極悪人になるだけの才能があったのだな、と思った。
 最後の一滴が零れ落ちたのを見届けて、僕はおもむろに腰を上げた。
「さて、じゃあ今晩は、お前ん家にお世話になるとするかな」
 そう言いながら、僕は座席の間を通り抜けて、運転席に座る。後部座席で微動だにしない青葉を振り返って見続けていると、青葉は観念したように腰を上げ、座席の間を通り抜けて、助手席に座った。そして僕等は、一緒に思いきり鼻をかんだ。
「ばっかじゃないの。あんたが家に来てちょっと泊めてください、なんて言ったら若林さんもびっくりだろうし、私だって見返りがなければやさしくなんてするつもりないし。第一、あんた協力者に裏切られて、これからどうすんの? それでもしぶとく生きていくの?」
 助手席の青葉が、もの凄い勢いで捲したててくる。うるさいなあ、そんなに僕の心配をしてくれてありがとう。そんなふうに答えたら、青葉は絶対に宥めても聞かないほど怒り出すだろう。
「まあ、生易しくはないだろうけどね」
 込み上げてくる笑いを堪えながら、僕はハンドルを握り、エンジンボタンを押した。

「じゃあ、行ってきます」
 私は、意を決したような面持ちの青葉ちゃんに、いつも通り「行ってらっしゃい」と答える。その小さな後ろ姿が遠ざかっていき、完全に見えなくなったのを確認して、私はバイバイ、と呟いた。
 パイプ椅子に座りながら、鮮やかさを失いつつある花たちを眺める。今日、青葉ちゃんはあの男と会いにいく。いったいどんな展開になるのかはわからないが、少なくともあの男は死ぬほど絶望するだろう。まさか人生で一度のみならず、二度も騙されるなんて。私は堪えきれずに、静かに肩を震わせながら、ひとしきり笑った。
 さて、ゆっくりしてはいられない。私は二階の自分の部屋に行って机につくと、引き出しから用意しておいた便箋とボールペンを取り出す。手紙をしたためるのに、そう時間はかからなかった。私は荷物が詰まったスーツケースと手紙を持って一階に下りると、花で囲まれた部屋の真ん中にテーブルを設え、その上に手紙を置いた。これだけではどこか物足りないな、と周りを見回すと、ある一点でぱっと目が留まった。
「やっぱりあなたね」
 私は花瓶に水をたっぷりと注ぎ、そこに深紅のダリアを挿した。その花瓶を手紙の横に添えると、あまりにも甘美な光景がそこには広がっていた。これは最高の餞になりそうね、と思いながら、手紙の文字がはっきり見えるように写真に収めると、私は「今から行くね。あとこの写真は、必ず明日の朝、あの男に送ってね」というメッセージとともに、岩沼くんに写真を送った。
 ああ、もうすぐゲームが終わろうとしている。私は手鏡を取り出して、シャネルの真紅の口紅を塗り、やさしく微笑んだ。これが巷でいう美魔女というものか、と思いながら、私は言い得て妙だなと納得していた。そしてスーツケースを引きながら外に出て、シャッターをぴたりと下ろしてから、私は長い髪をかき上げ、駅に向かって歩き出した。

『青葉ちゃん

 最後のミッション、ご苦労様でした。この手紙を読んでいるということは、全ての決着がついているということだと思うけど、どうだったかな? 仕込んでおいた免許証は役に立った? あの男が奈落の底に落ちていく瞬間をこの目で見られないことだけが、本当に残念です。
 そうそう、青葉ちゃんには言ってなかったかもしれないけど、今回の目的は、別に金を騙し取ることじゃないの。あの男にはずっと目をつけてて、いつか叩き潰してやろうと思ってた。だってあの男、生意気に結婚詐欺師なんて始めちゃってたんだもん。あんな優しいだけの男に引っかかるやつがごろごろいるなんて、世も末よね。ねえ青葉ちゃん、あの男は今もやさしかった? 私の仕事がそんなに易しいものじゃないってこと、思い知ってくれたかな。
 だからあの男から巻き上げた金はいりません。全部青葉ちゃんのものにしていいよ。あ、でも、この花屋は一週間後に売却されることが決まってるので、自分の住むところは自分で何とかしてね。あーそっか、話が前後しちゃうけど、私はこれからあの男の協力者と手を組むことにしたの。だって、詳しいことは言えないけど、あいつすごく使えるマシンを持ってるんだもん。だから、可愛いだけの青葉ちゃんは、もうお払い箱ね。
 どう青葉ちゃん、私と組んで結婚詐欺師やるの、楽しかった? 騙す側になって相手の気持ちを弄んでると、自分が神にでもなったみたいに思えるよね。でも、これに味を占めて同じことを繰り返すのは、やめておきなさい。さもないと、天罰が下るからね。あの男みたいに。
 じゃあね、青葉ちゃん。また逢う日が来ませんように。

若林 泉

P.S.
 君から奪い取った百万円は、何万ドルになってると思う?
 いや、百万ドルじゃ少なすぎるからね、もっとあるんじゃない、一千万ドルとか。
 まあね、そんなに大きな金額だと君にはよくわからないよね。
 じゃあさ、私が君と夜景を眺めながら過ごしていたあの時間は、何万ドルだったと思う?

 価値なしだよ。ね、大和くん。』

〈完〉

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