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【八幡平】数年に一度しか咲かない花

執筆日…2022/7/17
この旅行記は、筆者が2022年7月〜2023年10月にかけて日本一周していた際に執筆したものです。

 高山に咲く花は気高さを感じる。それは「高嶺の花」という慣用句の印象なのかもしれないが、実際に下界とは交わらず、そうかといって下界を蔑んでいるわけではなく、厳しい環境とわかっていながら選んだ場所で強かに生きるその姿は、貴ばれるべきものだと思う。
 そんなふうに力説しておきながら、私が標高1,600m超の火山・八幡平を訪れたのは、高山の花々を愛おしむためではなかった。もともとは「八幡平ドラゴンアイ」を拝むためである。5月下旬から6月上旬にかけて、雪解けによって「鏡沼」という池が龍の青い瞳のように見えるというのだ。
 しかし今は7月中旬。半ば諦めてはいたものの、竜は完全に瞳孔を開き、透明な池がそこに佇んでいた。その一方で、少し先の円い池が対になっている「めがね池」は、未だに片方だけ雪が解け残っていたので、少し離れるだけでもこれほど環境が異なるとは、大変デリケートな場所なのだと痛感した。

 その道中、時折色鮮やかな花々に出会った。きれいだな、と眺めながら通りすがってもよかったのかもしれないが、この場所を選んだ強かさに惹かれ、せめてその花の名を知りたくなった。私は道端にしゃがみ込み、山頂のレストハウスで頂いた高山植物のパンフレットと見比べながら、その花を同定した。
 山吹色の大きな花を咲かせているのはニッコウキスゲ。嫌味のない華やかさを持ち、周囲の密やかな緑に朗らかなオーラを振りまいていた。紫色の小さな羽のような花がいくつも集まっているのがハクサンチドリ。その小さな体から、周囲には迎合しないような力強さと健気さが滲んでいる。薄桃色の小さな筒状の花がめいめいに俯いているのがイワカガミ。筒の先端は少し外側に開いていて、その奥に何を秘めているのかという奥ゆかしさを感じる。
 そしてコバイケイソウ。小さな白い花が集まって、剥きかけのバナナのような姿形をしているこの花を、これまで私は目にしたことがなかった。数が多かったからかもしれないが、この大きめの花の存在感は印象的だった。だからこそ、メインの遊歩道を逸れて湿原地帯に足を踏み入れたとき、私はこの花に圧倒されたのだ。
 湿原の中に歩道として渡してある2本の板を、コバイケイソウの大群落が覆い隠していた。群落を搔き分けなければ、進む方向がわからなくなってしまうほどだった。ここは私たちの世界です。そんな声高らかな宣言を、たくさんの蜻蛉と鶯が承認していた。そこには不思議なほどに歓喜が溢れていた。

 大群落を抜けると、ベンチで小休憩をする女性にこんにちは、と声をかけられた。私も挨拶を返すと、今日はガスってて残念ね、これはこれで幻想的だけどね、と言われた。たしかに、山頂の展望台から望んだ景色は雲の中の森であった。この雲が晴れていれば向こうには岩手山や早池峰山が見えていたはずではあった。
「でも、今年はコバイケイソウの当たり年だね。あの花は3, 4年に一度しか咲かないからね」
 その女性は大層嬉しそうにそう言った。そこで合点がいった。だからあのコバイケイソウの遊歩道は歓喜で溢れていたのだ。満を持して咲いた花。偶然にも出会った花の園は、私の行く先を隠していた。それでいい。偶然が覆い重なって未知が増えるほど、未来はおもしろくなる。それこそが歓喜だ。
 女性はほかにも花の名を教えてくれた。見ればすぐ花の名がわかるような、花に対する解像度を上げたいと思いながら、私はその女性にありがとうございます、大変勉強になりましたと伝えた。帰り道もニッコウキスゲ、ハクサンチドリ、イワカガミ、コバイケイソウ、まだ名前を知らない花たちがめいめいに咲き誇っている。旅は始まったばかりである。

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