チタン

ナイフのような言葉は、見た目ほどには残酷ではない。ナイフを抜いて止血すれば、古傷は残るだろうけれど、いつかは癒えるからだ。本当に残酷なのは、一度刺さったら絶対に抜けないように「かえし」がついている、銛のような言葉だ。

半年前、私はグループの中で一人残業していた。隣のグループにももう一人残業している人がいて、近くを通りかかった管理職の人が、その人に話しかけていた。その声は逞しく、声を潜めても良く通ってしまう声だった。
なぜ最近の新入社員は女性が多いのか、という話題だった。たしかに私の同期も7〜8割方が女性だった。嫌な予感がしたが、耳を塞ごうものなら、その人から見えてしまうほどの距離感で、私は座っていた。

本当はね、優秀な順に採っていったら、みんな女子になっちゃうんだって。それだと逆に不平等だから、下駄を履かせて、男子も数人採ってるらしいよ。

私は終わらない仕事を黙々と片付けながら、必死で聞こえないふりをした。パソコンの向こうから、話しかけられた側の女性が申し訳なさそうに私を横目で見ていて、私は「なんですか?」とぎりぎり白々しく見えないようにとぼけてみせた。だからといって、自分が効率よく仕事を片付けられないのは、紛れもない事実だった。

あの言葉は嫌味ではない。自分に向けられた言葉ではない。たとえそうだとわかっていても、ふとした瞬間に胸がきりりと痛んで、その根源を見ると、小さくて頑丈な銛が今も傷口を広げている。
自分が男性の特権を使ったかもしれないことが、どうしようもなく悔しかった。連綿と続いてきた悪しき社会構造に乗っかっている人間こそ、私がいちばん忌むべき存在と認識してきたのに。「男性だから」採用されたのだとしたら、私はどう懺悔してよいかわからなかった。
身の丈に合わないことをするもんじゃない。あの時だってそうだったのに。

大学の授業で、1時間にもわたる劇を行う、ということになったとき、男性の役が必要で、そのクラスには男性がとても少なかったから、私が主役に選ばれた。
私はとことん不器用だった。自分で自分を生きていくことすら苦手だったのに、誰かを演じることなんて到底できたものではなかった。自分のぎこちなさがどんどん浮き彫りになっていって、練習のたびに演者のみんなに囲まれた。

なんでそんなこともできないの。それくらいの経験、誰だってしてるでしょ。

あなたは人間として薄い。そんなことを言われても、それは事実なのだから逃げようがなかった。人間性が足りなくてごめんなさい。そんなふうに懺悔したこともあった。役を降りたいと懇願しても降りられず、結局最後までやり通して、その劇は美談になった。
その一か月後、私の胸は破れた。肺気胸、と診断された。私の肺にはもともと破れやすい部分があったらしく、なんだか妙に納得がいった。
そのあと入院して経過観察をしていたが、状況は改善せず、最終的に外科手術で開いた穴を閉じることになった。全身麻酔をかけられ、再び目を開けると、私の穴は閉じられていた。
空港検査でも引っかからないように、チタン製の医療用ホチキスを使っています。そう言われてレントゲンを見てみると、たしかに肺の上の部分に、ホチキスの針のようなものが白く光っていた。ああ、私の体はチタンを取り込んだのだ。
その後無事退院し、大学も卒業したが、当時劇を行ったメンバーとは、一度も会っていない。

今、自分の胸に突き刺さっている銛を見て、私は観念した。もうこうするしかない。私は銛を掴み、途轍もない恐怖を振り払って、ぐいと体の奥に押し込んだ。銛が完全に見えなくなるまで、力ずくで押し込んだ。あの時と同じように、私は金属を体の中に取り込む。
古傷が痛むたびに、私は奴等のことを、許さないでいることができる。

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