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日記

「こうするしかなかったからそうした」の行き着いた先が今のこの旅だか逃避行だか街歩きだか文章だか写真だかよく分からない漠然とした趣味であって、「こうするしかなかった」と未だに自分に言い聞かせて曖昧にしているどうしようもないあれこれを、どうにか救済しては貰えないかと、いつもそう思って  こんなもの手放して 早く楽になりたいだけなのにな


最近人に「お前に興味は無いけどお前の見ている世界には興味がある」と言われて、僕はずっと「自分には価値がないけど美しい風景には価値がある」と言い聞かせてそれを見に行かせてあげられる存在にさえなれればと思い目指してきたところがあったので、ここに来て見事に合致したなと少し嬉しかった。僕にはそれしかないけど、それを提供することで隣にいられる理由になれるのなら。

このくらいフォロワーがいたら僕みたいに今も暗い部屋でうめきながら何も出来ず天井見て一日を終える生活をされている方がいるかもしれない。そんな人が見て少しでも安心できるような写真が撮れたらなと思う。明るいところで見るとよく見えないけど暗い部屋で見るとじんわり浮かび上がってくるような、暗い暗い写真を撮りたい。限りなく部屋の暗さに近い、そのようなそのようなそのような風景

瞬きと同じようなシャッタースピードで


今後全ての悲しい事象に対して湧いてくる感情が「あの頃よりは悲しくないな」なのかと思うと悲しくなる。「あの頃」の苦しみが10段階で言うとこの10だとしたら、これから先の苦しさなんて高々1とか2に過ぎないし、それが0.7とか1.3になるだけの微かな振れ幅のことを幸せだと言い聞かせて続けていかないといけないことが虚しくて  楽観主義者には輝かしい過去があったんだろうな

なんで泣いているのか分からない、みたいな涙ばっかりだ

僕には価値がなかったから何か良い風景のある場所へ連れていくことしか出来なかった。他の人だったら決して連れていかないような辺鄙な場所の草の茂った小道を歩いて、その先には常にここではないどこかがあることが必要だった そうでなくなった途端僕に価値は無くなるから  地図を見てブログを漁って下見に行って、初めて見るかのような顔で隣にいる必要があった 偶然見つけた場所かのように装って

それが無くても繋がっていたかった 
趣味で繋がっていたいわけじゃなかった
僕にとって「色んな風景を見せてくれたし君がきっかけで街の見方が広がった」の言葉がどれほど鋭利に刺さるかなんて僕以外の誰に分かるだろうか
分かられてたまるか

非日常だとか他の人が知らない風景だとか、そんなものはどうでも良かった
何か面白いものがなくても、二人でいることに喜びを感じられる関係性がどれほど尊いか、どれほど叶えがたい理想だったか

自由に言葉を使いたい
今まで積み上げてきた言葉から離れられない
全てが崩れてしまうのが怖くて

僕が首を吊れば消えてなくなる全ての苦しみのことを考える  天秤かけても生きていたい未来なんてない

自分の中に命があり、それ故に苦しさが生まれているというその事実が憎くて、こいつを殺せば終わりになれるのにとずっとずっと思っている 寿命なんかで死にたくない すり潰すように、砕けて粉々になるように死にたい、僕という命を殺したい

僕の苦しさを生み出しているこの脳みそと精神を僕自身の手で殺したい。自殺と言うのですが…

星を見ながら死んでたまるか、エンドロールのような風景を見ながら死んでたまるか、最終回のような速度で消えていってたまるか、煮えて煮えて収まることの無い自分自身への憎しみを、強い暴力で叩き潰したい

銀河ステーションで迎えの汽車を待っていたい

痛みも苦しみもない世界に行きたい。自我も感性も何もかも失って、ただの浮遊体として銀河鉄道に乗ってどこまでも旅をしていたい。後にも先にも思い出のない旅を続けていたい。

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