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終の日の入り

初夢の内容は覚えていない。ただ夢の中で泣きじゃくっていた事だけ覚えていて、目が覚めた時も涙が流れていた。動悸も激しく、心臓の鼓動が落ち着くまで一時間ほどかかった。去年も一人で泣きながらカップ麺の年越しそばをすすって年を越したけど、今年も涙で始まったなと思った。去年の年末年始もとても精神状態が悪くてバイトの行き帰りはずっと泣いていたしバイト中も隣の部屋から聞こえてくるお客さんの笑い声を聞きながら布団を敷き、マスクの下で泣いていた。あの頃はこれより苦しい状態なんて存在しないと思っていた(後に鬱になり、その何億倍も苦しい世界があることを知った)。だけど通院先の先生からの(僕を思っての)叱責や、なんとか絞り出した数滴の向上心のようなもので心を持ち直し、春先名古屋に出る頃には清々しい気持ちで旅立てるようになった。苦しい年末年始に始まり一ヶ月間の卒業旅行、京都生活との別れ、名古屋での新生活への期待。波こそあれ、全てが順調に進んでいると思っていた。そんな矢先、人間関係でショッキングなことが立て続きに起き、鬱病になるまで落ち込んでしまった。

鬱になる以前と以後で何が変わったか、列挙し出すときりは無いけど、そんな中でもただ変わらないのは精神が苦しいということで、小学生の頃の中学受験、中学時代の不登校、高校時代から今回の件に至るまでの長い失恋と片思い、大学時代のアルコール依存、そして院生になりようやく病名として鬱と診断されたというだけで、この精神を蝕んでいる毒素のような生きづらさは物心ついた頃からずっとだしなと、そう思う。大きな違いと言えば今回の件で脳が強く破壊された感覚があるということ。毎日のように泣いて過ごした日々は今までだってそうだったけど、朝から晩まで気の狂ったように永遠と泣き続け、こんなに泣いて疲れたはずなのに夜は眠れず、脳が締め付けられるように痛く苦しく、眠れたとしても悪夢にうなされて泣きながら目が覚める。精神が苦しいのはこれまでだってそうだったからそのような日々が続いても変わらず大学に通い授業も出て課題もこなし続けた。精神が苦しくても、涙が出ても、それは僕の人生の中では今までと変わらないことで、そのような理由で学業や生活を放棄することは甘えだと自分自身に言い聞かせ、泣きながら登校し泣きながら下校する毎日を繰り返した。結果、雨の日の通学途中道端で体が動かなくなり傘も持てないまま倒れ込み何とか大学にたどり着いて椅子に座っていても脳が真っ暗で何も文字が入ってこず激しい動悸で何も出来ない体になってしまった。脳という司令塔が壊れ、感覚器官が狂い、重力が何十倍にも感じるほど体が重たく身動きひとつ取れず、風呂も歯磨きも食事もままならない。それより先のこと、親に助けを求める電話をするまでの下宿での日々はそれまでの記憶よりもさらに暗く暗く閉ざされていて、砂嵐のかかったテレビのように何も思い出せない。

抑うつ状態の時の記憶のようだと思う

鬱になるまでは「こんなに精神は苦しくて死にたいという気持ちは消えないのに僕の心を震わせてくれる美しい風景があるんだ」(決して肯定的な意味合いばかりではなく、自分の中に残る感性のようなものは生の情動として反応しているのだというもどかしさや潰しきれない「生」への憎しみもあった)という理由で旅先で涙することがあったけど、今は「風景は綺麗だし話していて楽しい友人もいる、娯楽だっていくらでもある、自由気ままに好きなことやって生きることだって出来るかもしれない、でも、それでもやっぱり全てを捨てて死んでしまいたい」と、そう思ってしまう。希死念慮の高まりが風景により和らいでいたのがそれまでの状態だとすれば(和らぎきってなどいないし苦しさは常にあったけど、あの頃はこの行為が自分の弱い心を支えてくれているのだと信じていた)、風景や娯楽に触れれば触れるほどそれさえも覆い尽くしてしまう程巨大な希死念慮の存在を自覚して余計に希死念慮が強まるのが現在、という感じがする。鬱になってから、「やっぱり幸せになりたい」や「やっぱり生きていたい」などと思えたことが無い。だから根本的に鬱を治したいという気持ちもなく、寛解してこの先に幸せな人生があれば、みたいな希望も持てず、死ぬまでこの苦しい過去がずっと着いて回るのならそれを消し去る他に道は無いと、そう思ってしまう。何度論理的に考えてみても、死しか救済は無いという結論に辿り着く。治りたいのではなく終わりたいのだという気持ちが常に優位に立ち続ける。


誕生日が嫌いになった。年末年始が嫌いになった。一日単位での人生についてもうんざりするほど苦しくて希望のきの字すら持てず、明日は来なければ来ないほど良いと思い続けながら眠剤を飲み目を閉じる毎日なのに、一年という何百倍もデカイ単位での祝福と希望の日が訪れることが恐怖でしかない。「良い一年になりますように」「良いお年をお迎えください」「来年は良い年にしましょうね」「明けましておめでとうございます」、どれも一年単位での希望と祝福の言葉だ。文字列としてだけ扱う(時候の挨拶のように)ことは勿論出来るし、そのような挨拶は笑顔でするべきだと思うしそうすることも出来る。ただそれとは別の話として、この一年単位での希望や祝福が恐ろしくて堪らない。文字列であることを離れ、その言葉の背景に触れた瞬間に脳が締め付けられるようで、一秒でも早くこの暗く重たい負の感情をすり潰して消し去らないといけないと強い焦燥に駆られる。明日さえ生きていたくない自分にとって年が明けるということは今日から明日へと苦しみが持ち越されるのと同様に今年から来年へと苦しみが持ち越されていくことに対する憂鬱と苦痛しか存在せず、それは「明日が来るのが怖い」なんかの何百倍の重さを持つ。誕生日も同様に「23歳は良い一年になりますように」という一年単位での祝福であり、何より「生まれてきてしまった」日であることを突きつけられる日でもある。その日が存在しなければどれほど良かったかと、一日中脳内を渦巻く。そのような理由から僕は自分の誕生日は隠すようになったけど、それでも何かのきっかけで知った友人からおめでとうのメッセージを貰うと嬉しいと思うし僕も友人の誕生日は祝いたいという思いはある。とは言え、両親からの「誕生日おめでとう」の言葉には一層の自己嫌悪に襲われる。本当にすみません、もう許してください、と、何度も許しを乞うような。  

全ての人の記憶からいなくなりたい。無かったことにして欲しい。

高校生くらいの頃から初日の出は希望の象徴という気がして眩し過ぎて好きになれなかったけど、その対概念である大晦日の夕暮れ時は終末を感じられて少し好きだなと思い、大切にしてきた節がある。初日の出の対義語にあたる表現は存在するのかなと思い調べてみたところ、辞書的には存在しないがブログやSNS上では「終(つい)の日の入り」という言葉が用いられていると知った。ただ、僕はこの終の日の入りに対して(初日の出がそうであるように)希望や有難み、縁起の良さのようなものを見出している訳ではなく、寧ろ初日の出の対概念であることに親しみを感じているだけに過ぎない。その意味では晩夏に対して思い焦がれるところと似ている気がする。今年もそのような思いで最後の日の入りを見届けた。バルセロナにて、サクラダファミリアからホテルへの帰り道。

大晦日 夕景

(バルセロナを発ち、日本へ向かいフライト)

飛行機の中ではネットからも閉ざされる。ヨーロッパやアメリカなどに行く時は10時間以上機内で過ごすことになる。昔からこの時間は嫌いじゃない。映画を見たり音楽を聴いたりメモ帳を開いて雑文を書いたり、そうやって過ごす。

飛び込みたくなるような雲だった

♪天国(おゆ)

時差ボケを治すためにまだ明るいけど早めに眠る。目を閉じる瞬間はいつも怖い。スマホを離す瞬間はいつも怖い。おゆさんの曲を聴いて、アイマスクをして眠る。このまま全てが終わりますようにと祈りながら沈んでいく。おやすみなさい。


眠れなかった...

 

アー


この趣味を手放せたらどれだけ良いだろうといつも思う。今まで積み上げてきた言葉を手放せたらどれだけ楽だろうと思う。僕にはこれしかなかったからこれにしがみついただけで、あなたがそれがいいと言うからそれになっただけで、何にもしがみつかずただ自分が楽しいと思えることをして楽しいと思う、それだけのことが当たり前に出来たらどれほど良かっただろうと思う。自分自身を説き伏せてきた言葉が今、自縄自縛的に己の首を締めているのを感じる。

苦しい時色々と脳内を巡るが、最後に思い出すのはいつも旅先で一人で見た風景のこと。風景になれたらと願いながら沈んでいく。誰かを憎みながら死にたくない。全ての悪感情は自己嫌悪に吸収させて内向と内省の念を衝動に乗せて逝けたらと、そんなことを思う。「この世の全てを愛していたい」「この世の全てを愛することにした」。もし仮に、そう願ったとしたら、何か変われるだろうか。何かを憎む理由は無数に存在するこの世界で、全てを愛していられたら、そこから見る世界はこんなにも色彩の欠けたアナクロの世界では無くなるだろうか。風に揺れる緑色の葉を見て、通り抜ける風を頬に浴びて、青色の空や海を見て、全てを感受して、それでも拒絶心のひとつも持たずに立っていられる時が来るだろうか。僕は精神状態が悪くなればなるほど拒絶し嫌悪し許せなくなる。最後の瞬間もそうであったら嫌だなと思う。けど多分、そうなってしまうんだろうなとも感じてしまう。他人の苦しさを平凡にしたがる人間の傲慢の下に、押しつぶされる人間がいる。この苦しさを若さ由来のものにしたがる年長者も、まだ若いのだから大丈夫だという年長者も、きっとその人にも苦しい過去はあったのだろうけど、その人の抱えた苦しさは僕のそれよりどれほど大きいのだろうかと、皮肉めいた感情と共に顔を背けてしまう。

慰めて欲しい訳でもSOSを発してる訳でもない。慰めは慰めによって救われる何かがある人が受けるもので、僕にはそれがない

曲げたくなかった正義感も、そうあり続けたかった人間像も、今まで歯を食いしばって生きてきた理由も、何もかも糸が切れた。全てがどうでもいい


暗くて静かで、痛みも苦しみもない世界に行きたい


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