その場面に『行く』そして...
感性だか、感受性だか、HSPだか、エンパスだか
みんなと同じなのか、それとも少数派なのか、のお話第2弾。
第一弾はこちら↓
アウトプットしたいのだけど伝わるのかわからない、
思い違いなのかも、、、
と人からどう見えるかを気にしすぎるのがまさにHSP特性なんだろうなあ…と、うにゃうにゃ思いつつ、関連の本やらネット情報やらを読んでいて、まさにまさに、触れていた書籍に出会った。
この本もね、読み進めながら、「あーわたしちょっと違うかもな」
「やっぱり『繊細さん』っていうのがどうもねゴニョゴニョ」となっていたのだけど、その文章を見つけた時は大声を(心の中で)あげてしまった。
そうですそうです、これはわたしです!
そこから先は前のめり気味に、うんうんとうなづきながら読んだので
ぴぴぴっと興味を感じた方はぜひ。
ここでは、ちょっと要約して引用します。
私だけじゃなかった~
ってか、みんなは違うの?そうならないの?
確かに、こういう場面で反応しているのは私くらいという実感もある…
ということは他の人とは違うのだ。
違う『体験』をしている、といってもおかしくないんだ。
こういうとき、私の中で何が起こっているかというと。
その場にいる(ような気がする)。
衝撃と痛みを感じる(本当の痛みではないけど、痛い、と思う。
本当の衝撃じゃないけど、衝撃を感じる)
まるで自分がその体験をしたように、いろいろな考えや感情などが沸き起こる(本当にそうなったときとは全然違うだろうけど、でも沸き起こる)
私はこれを「追体験」と呼んでいる。
もちろん、その場で実際にそうなった人の体験とは一緒ではない、全然違うのだけど、でも私も間違いなく体験している。
これは、誰かの話を聞いているときにも起こる。
小説を読んでいるときにも起こる。
話を聞いたり読んだりしながら、私の中に情景が広がる。
会話や声色のイメージも広がる。まぶしかったり寒かったり風のにおいを感じたりもする。
ドラマや映画の場合は、情景や音は与えられるので、そのままそのシーンに居合わせている感じで体験する。
ポイントはそのまんま、ではないこと。
誰かの体験、小説やドラマの描写そのままの体験をしていたら身が持たないのでそのあたりはソフトに、受け止められるくらいに処理されているのだと思う。
でも、「体験」しているから、自分の記憶にもしっかり刻まれる。
温度も、音も、感触も。
この現象はお得なこともある。
誰かの楽しい体験や気持ちをお裾分けしてもらってわがことのように楽しんだり喜んだりできるから。
でもネガティブなものだったら削られる。
そんな特性を気にすることなく飛び込んでスタボロになった経験はまたいつか書きたい。
普段は、近寄らないように気を付けるしかない。
けどそうはいかないのでしょっちゅう被弾する。
そしてね、これは外部刺激だけじゃなく、自家中毒のように自分の中だけで追体験を繰り返すのがつらいところ。
傷ついたり、不安になったりして沸き起こった思い出や妄想がリアルな体験となるのだから・・・・
対処法もこの年になってようやく、見つけつつあるので
その話もまたいつか。
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