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心技体


1. 心から始まる


日本語はよく出来ていると改めて感じる。

心・技術・身体。

これらすべての要素が競技において大事なのは明白だが、心が最初に来ているのは偶然ではないだろう。

メンタルとよく言われるが、心は直接見ることができない部分が多いからこそ扱いが難しい。

見ることができない部分が多いと書いたのは、人の脳や思考を覗くことが難しいだけで、熟達した指導者や選手は他人の行動や表情などから他人の精神状態を読み取る。

今年のチームの最大の課題は感情に支配され、情動優位で行動してしまう選手が多いこと。

勝者のメンタリティーとは、勝っているときに前向きに行動することだけを指すのではない。

勝者のメンタリティーとは、シーズンを戦うなかで必ずや訪れる敗北や困難の最中でも、勝ち続けているときと同じ準備や精神状態を保とうとすることである。

理不尽といえるようなことが起きたとしても、たとえ失敗が続いたとしても、言い訳を探したり、人のせいにするのではなく、勝ち続けているときのメンタリティーを持って過ごすこと。

日本には言霊という言葉があるほどに、言葉は心と密接な繋がりがある。

上手くいかない人間の脳内に溢れる言葉は、主に言い訳や、失敗した理由を探す言葉だと予想できる。

もしくは、他人のダメ出しをすることで責任逃れをしようとする言葉たちかもしれない。

上手くいかない時こそ、自分の頭の中や、口にする言葉を客観視してみるのは大事だろう。


2. 選手である以前に人である


これはサッカーに限ったことではないが、肩書やキャリア、偉大な実績があろうとも、最後にはひとりの人間であり、そこに価値の差や地位の差は存在しない。

サッカー選手としての誰かは、別のサッカー選手と比べた際に優劣が分かれるのは当然だが、人としての優劣など存在しない。

小学生でも理解できることだが、私たちはしばしば肩書や実績をもとに他人と自分を比べてしまいがちだ。

多感な10代の時期などにおいては、周りが気になってしょうがないのはまだ理解できる。

しかし成人した後も、まるで人として自分が他人より優れているかのように振舞うのは見過ごせない。

本当の意味でビジネスでの成功を収めている人や、偉大な社会貢献をしている人、偉大なスポーツ選手などはみな共通して、人として謙虚である。

彼らは、名声や地位といったことにまどわされるのではなく、その社会的影響力を駆使して人に貢献する。

そうでなければトップに立ち続けるのはできないのだろう。

人間という生き物の個としての限界を知り尽くしているからこそ、あくまで謙虚でいることができるのだと思う。

そうすることで初めて他人を尊敬し、自分を尊敬することができるのではないか。


「女になるのも大変よね。」

ある夕方、唐突にえり子さんが言った。

読んでいた雑誌から顔を上げて、私は、は?と思った。美しいお母さんは出勤前のひと時、窓辺の植物に水をやっていた。

「みかげは、みどころありそうだから、ふと言いたくなるのよ。あたしだって、雄一を抱えて育てるうちに、そのことがわかってきたのよ。辛いこともたくさん、たくさんあったわ。本当にひとり立ちしたいしたい人は、何かを育てると良いのよね。子供とかさ、鉢植えとかね。そうすると、自分の限界がわかるのよ。そこからが始まりなのよ。」

歌うような調子で、彼女は彼女の人生哲学を語った。

「色々、苦労があるのね。」

感動して私が言うと、

「まあね、でも人生は本当にいっぺん絶望しないと、そこで本当に捨てらんないのは自分のどこなのかをわかんないと、本当に楽しいことが何かわかんないうちにおっきくなっちゃうと思うの。私は、よかったわ。」

と彼女は言った。肩にかかる髪がさらさらと揺れた。嫌な事はくさるほどあり、道は目をそむけたいくらい険しい・・・と思う日のなんと多いことでしょう。愛すら、すべてを救ってはくれない。それでも黄昏の西陽に包まれて、この人は細い手で草木に水をやっている。透明な水の流れに、虹の輪ができそうなくらい輝く甘い光の中で。

キッチン 吉本ばなな

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