見出し画像

苦手なままで

「なりふり構わずというか、人を押しのけてまで欲しいものを勝ち取るみたいなことが苦手?」

これはつい先日、とある催し物で観てもらった占い師の人に言われた。子供の頃好きだった絵本の「ふしぎなかぎばあさん」を彷彿とさせる、おばあさんではないのだけれど、グレーヘアの丸くて可愛い魔法使いという風貌のその人が、そう言ったのだった。
お試し的な安価で短い所要時間のコースだったが、彼女に生年月日、手相、タロットなど、あらゆる方法で私の今後を占ってもらう中で、最終的には「今思っている方向に舵を切っても大丈夫」だと背中を押されたかったのだと思う。

「苦手です。剥き出しの闘争心を持つのも持たれるのも苦手です。なんというか、勝算のないことはそもそも頑張れないしやりたくないみたいな冷めたところもあって。でも本当に手に入れたいものがあるなら、自分にとって大事なことくらいは見栄を張らずにそこを目指してがむしゃらになるべきですよね?」

見抜かれていると思った。
ほどほどの努力にはほどほど以上の評価はない。
だから自分が実際にやったこと以上に目立ちたいと思うのは恥ずかしいと思うし、人からたくさん褒められると、嬉しい反面おこがましいと感じてしまう。
それは誕生日の宿命なのか、めくったタロットにそう書いてあるのか、人相に滲み出てしまっているのかわからないけれど、私にはそういうところがある。
努力が嫌いなわけではない。お人好しなわけでもない。むしろ惨敗するのが耐えられないから人と競いたくないのだと思う。
人を押しのけてまで何かを勝ち取るのが好きな人なんているのか?とも思うけれど、誰かを出し抜く云々というより、そうやってなりふり構わず頑張ることを避けてこの年齢まで生きてきたのがバレていると思った。

「いや、そういうやり方があなたの美学に反するなら無理に変える必要はないのよ。あなたのそういう姿勢を好ましいと思う人も必ずいるから。
でも、これから本という作品を世に出すのなら、自分自身を前に前にと売り込むのは苦手でも、作ったものに対しては謙遜しすぎずに自信を持っていて欲しい。自己アピールは苦手でも、作品を評価して欲しいという気持ちには粘り強く執着していいのよ。
ものを書いて表現していくことは基本的に孤独な作業であり、続けていくことは容易くないけれど、あなたの場合はいつも要所要所で助っ人が現れるの。同性もいるし異性もいる、若い人も年上の人も。だから人に相談したり人のいるところに出かけていくことは大切。今ちょうどここに(私の右手のはじっこに触れて)そういう線が出てきている。
あなたはもともと表現が向いている人。多分10代20代の頃もそうだったはず。(そうだったと思う)
それが30代周辺だけふっと途切れているのね。(途切れたと思う。子育て期間は私にとって、私の「個」を脇に置いて向き合わないとこなせないミッションだったから。でもきっとその時間と経験が今の「表現したい」ことへの執着と楽しさになっているのだと思う)
そしてまた40歳くらいからその線が復活しているの。
きっと上手くいくから続けていってくださいね。」

ピピピッと鑑定時間の終わりを告げるアラームが鳴って、彼女はご自分の名刺と綺麗な色の飴を一つ、私にくれた。

大人になってから、ずっとそんなふうに生きてきた。
だから人に読んでもらうための文章を書くようになってからもプロフィールには「会社員・主婦」と書き続けている。もちろんそれは事実なのだけれど、「だからこれはいわば素人が書いたものなのでどうかお手柔らかに」という下心が盛り込まれている。
仕事をしていても「家庭があるので無理は出来ません」という逃げ道を作り、家のことが手薄になる時には「だって仕事もしているし」が言い訳になる。
実際にはわれながらどれも良くやってきたと思う。思うが、そうやって「不本意ながらそれだけに専念できない私」を上手く言い訳にしながら今に至る。
でもさ、色々な人の時間と力を借りて一冊の本を作っている以上、もう私が「不本意ながら」とか言って逃げ腰でいるわけにはいかないのだ。
苦手なままで似合わないままでも、覚悟を決めてやってみよう。

「頑張ってみます」と言って私は彼女と握手をして別れた。ふかふかの手が優しかった。
この人こそがまさに今の私にとって「要所要所で現れるキーマン」の一人だったと思う。


この記事が参加している募集

なりたい自分

with ヒューマンホールディングス

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?