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終わりなき旅

ちゃんぽんか。

立地は決して悪くないのに、入る店入る店なぜか長く続かない物件というのがうちの近所にある。
駅からすぐの人通りの多い場所なので家賃も安くはないだろう。記憶にある最初は蕎麦屋、その後がクリーニング店で次はタピオカ屋、コロナ禍中にタピオカ屋がつぶれると、しばらく空きテナントのままになっていた。そこに新しくできたのがちゃんぽん専門店だった。

結婚してから、1人で夕飯を外で食べる機会が格段に減った。稀に夜1人で出先で食事をすることはあっても、最寄駅の飲食店に入ることはほぼない。それなら買って帰るか家にあるものを食べるという選択になるからだ。
だからちゃんぽん屋がオープンしたことはその日のうちに知っていたが、立ち寄る機会はこれまでなかった。

昨日、仕事のあとに大事な打ち合わせがあり、少し帰りが遅くなった。家族の夕飯用に牛丼を作り置きしていたので帰宅してそれを食べても良かったのだが、明日が休みだという心の余裕と打ち合わせの内容に高揚していて、なんとなくもう少し1人でいたかった。とは言え金曜の夜に単身で繁華街に出かけていくほどでもない。さてどうしよう、と電車の中で逡巡しているうちに最寄駅に着いてしまった。
とりあえず家とは反対方向の商店街側の改札に出る。遅い時間ではないが、普段の私がちょうど夕飯の片付けを終える頃だ。

ちゃんぽんか。

少し迷って暖簾の奥を覗くと、女性客が麺をたぐっているのが見えた。それに背中を押された気になりドアを開けた。
スープの異なるちゃんぽんが3種類と皿うどんとサイドメニューが少し。麺を増やしたり減らしたり野菜を追加することも出来るらしい。一番オーソドックスなちゃんぽんを注文する。
厨房から野菜を炒める威勢の良い音が聞こえる。有線だろうか、店内にはミスチルが流れている。
出来上がりを待つ間に、また1人女性が入ってきた。こんなに女性客が多いのは意外だった。明るくて清潔感のある店内の雰囲気と、野菜が効率よく摂取できるメニューのせいかな、などとぼんやり考える。彼女は麺少なめ野菜追加のちゃんぽんを注文している。常連なのかもしれない。

これは娘が長崎で食べたちゃんぽん

運ばれてきたちゃんぽんを食べる。美味しい。
魚介と豚肉と野菜と細切りのさつま揚げとかまぼこ。この独特な具材とスープと名前のルーツはなんなんだろう。
テーブルの横に「髪ゴム、紙エプロンございます。必要な方はお申し付けください」という小さな貼り紙を見つける。こういう小さな気遣いが女性にウケているのかもな、と再び麺を啜りながら考える。
また1人、女性が入ってきた。
全員おひとり様なので会話をする人はいない。静かに注文したものを待つ人と、注文したものを食べる人の静寂を少し懐かしい邦楽が埋める店内。見知らぬ女同士が各々の場所で素にかえる気楽さは、どこか町の銭湯の居心地のよさに似ている。

一人暮らしをしていた独身の頃は、毎日のように誰かと、または1人で外食していた。平日の残業後に帰宅してから何かを作って食べる時間も意欲もなく、誰かと一緒でない時はよく帰る途中にある中華屋に入った。時間が遅いせいもあったかもしれないが、女性の1人客はたいがい私だけで、あとは中年男性が各テーブルに1人ずつ座り、瓶ビールを飲みながらレバニラ定食やラーメン餃子セットを食べていた。
天井の角のところには、神棚のような風情で小さなテレビが祀られていた。テレビの中で話す筑紫哲也を流し見していたあの頃の私は、自分のことに必死すぎて今よりもずっと政治や世界のニュースに無関心だったなと思い返す。ああ、あのニュース番組のエンディングがミスチルの曲だった時期があったな。

食べ終えてすっかり温まった身体でコートを羽織りながら外を見ると、入ろうか迷っているような若い男性と目が合った。「美味しいよ、野菜もたくさん摂れるし」と念を送る。
私が店を出るのと入れ違いに、その人は今日私が見た初の男性客としてドアの向こうに吸い込まれていった。


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