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記憶のカイダン 3歳

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ー3歳ー
◆当時日本に2人しかいないケガをする◆
「せんせえええええーーーい!!りさちゃんがあああ!首まがったままなおれへんって言うて泣いてるーーーー!!!」

真冬、夕日に照らされた園庭は神々しく光を放っている。砂場にいる私の姿は、濃い深い紫色のシルエットでノスタルジーな雰囲気を漂わせながら、同時にとても滑稽だった。
小さなシルエットは首を斜め30°に傾け、スコップをもったまま泣いている。ぶりっ子な首の確度でスコップを握りしめ、うんこ座りをしながらワンワン泣いているのだ。
私のあまりの泣き様と対処の仕方が分からない先生は、すぐ母親を呼び私を家に帰した。

その日から私と家族の地獄の1か月が始まった。

原因不明の首の傾き。
少しでも首を元に戻そうとすると阿鼻叫喚のごとく泣きわめく。
寝るときは母、姉2人(8歳、10歳)に担いでもらい首に負担がかからない様、
慎重に慎重に寝かしてもらう。そんな日々が続いていた。
その間母はあらゆる病院をハシゴし、24時間ぶりっ子確度を保っている3歳娘の首を治してもらうと奔走するも、治療方法が見つからず焦燥感が募るばかり。
私も3歳ながらに首のはり、疲れがとれず頭痛に襲われていいた。
最後の望みの綱をかけて紹介状を書いてもらい大阪の大きな病院に行く。


「この症状、先日たまたま行った学会で発表があったのですよ!これは首の亜脱臼ですね!1か月首を牽引したらなおります!」
クビノアダッキュウ????クビヲケンインスル?????
結局原因はよく分からないまま、それでも治せると分かった母親はほっとして安心の涙を流した。
すぐに入院。
ベッド頭上にある柵の上にある固定された器具から垂れ下がる紐みたいなのを首のコルセットと連結し、そのまま数時間引っ張りながら固定し首をもとある確度に徐々にもどしていく、という治療法を実践した。

〈イメージ〉


3歳の女の子には痛みもありハードな治療であった。
入院中楽しみもあった。
母親と病院の坂になっている廊下でチョロQを走らせること。
1か月毎日やっていた。しかも子供は飽きない。1日何度もする。
母親は飽き飽きしていたであろう。

珍しい症状ということもあり取材もきた。くるくる天然パーマの3歳女の子が首をけん引されている。その姿を記者はバシャバシャと撮っていた。
ぶーたれた私の滑稽な姿、学会の資料に載っているとかいないとか。

治療をはじめ、1週間もしないうちに痛みはほとんどなくなり、
祖父や祖母が毎日差し入れに手作り弁当をもってきてくれ毎日おいしく食べていた。
大半はのほほんとした入院生活であった。

退院して家に帰った日を今でも忘れない、姉2人の大号泣。
私が無事に帰ってきたこと。
そして何よりも1か月母親がいないなか頑張って生活を営んでいたこと。
当時8歳と10歳、まだまだ甘えたい年頃であったであろう。
あの時は3歳ながらに心配かけてごめんね、独り占めしてごめんね、という気持ちになった。

3歳の一番の思い出である。

---------つづく-----------

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