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おじぎそう

ベランダに植えたおじぎそうが、今朝見たらジャングルのように成長していた。

昨日まででもまあまあ生えていたし、大きさも充分だったし、ま、こんなものかねぇと思ってた。
だから私はびっくりした。

急に隙間なく生えてるし、よく見たら赤ちゃんの葉っぱも次々生まれている。

か、かわいすぎる…!

🌱

ベランダにおじぎそうを植えたのは今年の5月。
去年1年間は、仕事でとにかく疲れていて、ベランダに花を植えようなんて余裕はなかった。

が、いつまでも乾いた土を入れっぱなしのプランターを放置しておくのもなんか嫌…。

というか、私は見て見ぬふりをしていたのだが、ついに夫に突っ込まれたのだ。

「ねぇ知ってる?
ベランダにプランター放置してたら運気が下がるらしいよ」と。

うまい。
ツッコミの仕方がうまい。

私が運気とか、そういう言葉に弱いのを知ってか知らのか…人を動かす力がある。


それでようやく重い腰を上げて土を蘇らせ、種をまいたのだった。

あれ、今日はおじぎそうが好きな理由をnoteに書こうと思って書き始めたのに。
話がそれてきた。まぁいっか。

それでは本題へ。

🌱🌱

私がおじぎそうに出会ったのは小学生の頃。

何年生だったかまで覚えていないが、自然探検とかで山を歩いた時だったから3・4年生かな?


植物博士の先生がおじぎそうをツンっとつついて、

「ほーら、まるで人がおじぎをするような仕草をするでしょう?
だからおじぎそうって言うんだよ。」

と教えてくれた。

この先生から教わった植物のエピソードは他にもあって、私の心に深く刻まれているものが多い。
それもまたいつかどこかで話したい。


話を戻そう。

おじぎそうが、葉っぱを静かに閉じて、腰を曲げるようにおじぎをする仕草に、当時の私は目も心も奪われた。

な…なんてかわいいんだろう。

植物なのに、人みたいに触れられて反応するなんてすごい!なんで??

興奮した。


が、なぜ?に関してはあまり追求しないタイプの子どもだったので(よく言えばすごく素直でしょ。なんでも「そういうものか」と受け入れるタイプだったの)、理由はどうでもいいやと、ただただその仕草が見たくておじぎそうの葉っぱに次々と触れた。


それからは、道端でおじぎそうに出会う度に、おじぎそうみんなにタッチして回った。
まるでおじぎそうハンターだな。

🌱🌱🌱

子どもの頃は楽しかったから触れていたのだろうか。
ただ、もしかすると理由はそれだけじゃないかもしれない。

自分のアクションに対して、返事(反応)をくれたのが嬉しかったのかも。

そこに何かしらの交流とか、心のつながりを感じられるのがたまらなく心地よかったのかなあ…。 


そんなわけで今朝も「おはよう♩」ってつついておじぎそうと遊んだ。

朝日を浴びたいおじぎそうは、いつもよりちょっぴりめんどくさそうに葉っぱを閉じて、おじぎをした。

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