おにがわら

卒論が終わりません

おにがわら

卒論が終わりません

最近の記事

童貞観察日記

どうも、おにがわらです。 今回は未だ謎多き童貞の生態をその心象とともに観察していきましょう。 といっても、皆さんが期待するような惨めで孤独な男のお話ではありません。 これは彼にとって今までの人生で限りなく絶頂に近いある日のお話。 とある日。 男は週に4連勤のアルバイトにもすっかり慣れ、いつものように淡々と仕事をこなしています。 その仕事はとても華やかなものとは言えませんが、気の合う同僚たちや興味深い商材に囲まれてほんの少しだけアルバイトを楽しんでいるようです。 とはいえ、そ

    • 読書って大事だったんだな

      読書って大事なんだな。 大学の空きコマで卒論に使う参考文献を読んでいたら急に衝撃が走り、勢いに任せてnoteを開いちゃいました。 もしかしたらこれは神の啓示かもしれませんね。 読書が大事なのは自明ですし、皆さんも実際に読むかどうかはさておき、そのことは理解していると思います。 皆さんにとって、もはや耳がたこになるくらい聞き飽きたことだとしてももう一度聞いてください。 読書が私たちにもたらすのは、 ・語彙、表現、書く能力 ・行間を読む力 ・内面的な世界を拡げること などなど

      • ファッション

        こんばんは。 今日も今日とて不眠に悩まされていて、ただ起きていても億劫なので新たな試みとして、本を読み聞かせてもらうのではなく、逆に、書いてみたいと思います。 今日のテーマはファッション。 友人たちの指摘で私服がダサすぎることに気付いた高校二年の夏。 英語羅列Tシャツ、七分丈を愛用していたあの頃に比べればいくらかファッションセンスもあがったんじゃないかと思います。 さすがにスポーツウェアにサッカーのアップシューズで出掛けるなんてことはしなくなりました。 今では周囲の影響もあ

        • 「憎い」「認めない」「真実」

          ああ、憎い。 街ですれ違う多くの人間を憎まずにはいられない。 私がこんなにも憎悪を抱え、下を向いて歩いていることも知らず、何食わぬ顔で生活していることが許せない。 私が些細なことに恐れを感じ、人目を避けるように行動する環境でも、彼・彼女らにとっては取るに足らないことだ。 私の気持ちを知ってほしいわけではない。 私と同じ境遇になってほしいわけでもない。 ただ、憎くてたまらないのだ。 認めてたまるものか。 私が信じずに誰が信じるというのだろう。 誰もが笑い、諦めるどころか可能性

        童貞観察日記

          なんかいいこと

          最近スタバに行ったときのこと。 小さなテーブル席を使いたかったのだが、その日は日曜日で、空いていなかったので椅子が向かい合っている長机に仕方なく座った。 正面に知らない人が座ってるのってなんかいやなんだよね。 元々、私の正面の席は空いていたのだが、程なくして人が来た。 しっかりは見ていないが、30歳前後くらいの冴えない雰囲気の男の人。 その人は新作のフラペチーノを買っていて、座ってすぐに、それを写真に収めていた。 この感じの人もスタバの新作撮ったりするんだーって密かに珍し

          なんかいいこと

          パンチライン

          20年あまり生きていると心に深く刺さって未だに抜けないものがいくつもある。 悲しいものだったり、面白いものだったり。 形や大きさも様々である。 今回は、その中からとりわけ特大の1つについて紹介しようと思う。 それは確か中学時代、仲のよかった女子と話していた時のこと。 話していた内容は思い出せない。きっとたわいもない会話だったように思う。 その時は雑に話を流してしまっていたのだろう。 相槌だけはする中で、鼻にかけたような私のよくない笑い方が出てしまったのかもしれない。 ぼん

          パンチライン

          何者

          何者かになりたいと思う。 かっこよくて、賢くて、優しくて、逞しい。 とにかく誇れる人間になりたい。 そう思っても中々行動に移せないし、変われない。 ステージやメディアで輝くあの人は、あるいは、尊敬に値する彼や彼女は、最初から俗に言う何者として産まれたのかもしれない。 そうじゃないにしても、人生のどこかでやるべき事を見つけ、それを実行できているのだろう。 考えこむ性格の私は何かに気付き、学ぶことは多々ある。 しかし、すぐに忘れてしまうし、行動に移すのも稀だ。 きっと何も成さずに

          アクマデモ生について

          自分の死について皆さんはどのようにお考えだろうか。 メンタルの強さに問わず、「自分が死んだら~」だったり、「死後の世界ってどうなってるんだろ」だったりと一度は考えたことがあるのではないだろうか。 かくいう私は、メンタルが貧弱な上に、大学で哲学を専攻するような性格だから、漠然と死について考えることが多い。 そんな私が最近考えるのは、死後、周囲の反応を確かめることができる方がいいか否かということである。 私は、私が死ぬことで大勢の人に悲しんでほしい。 たくさんの人が私の葬式に

          アクマデモ生について

          「おもしろい」 ~アート~

          おもしろい人。どんな人だろう。 「おもしろい」とは、文脈がないとどのような状態かわからない表現だ。 先日、塾でのアルバイトで中学生の国語を担当した。 その時読んだ評論では、 「おもしろい」とは、多様に使われ、深みのある評価である ということが語られていて、まさにその通りだなと感じた。 子どもの頃からお笑い番組やコメディ作品が好きだった私にとって、「おもしろい」とは、私の行動や考え方を支える価値観の中でも重要な部分を占めていたし、今後もそれが変わることはないだろう。

          「おもしろい」 ~アート~

          これを成長というなら

          私は、開放的で奔放な性格だった。 授業では大きな声で発表し、誰よりも早くグラウンドに駆け出していく、そんな少年だった。 上の学年やもっともっと年上の人は落ち着いていて、どこか頼りがいが感じられる。 あんな大人に成長できる日が待ち遠しかった。 私はいつ大人になったのだろう。 小さい頃の記憶はあまりないが、この疑問ではっきりと浮かぶ記憶がある。 いつものように授業中にボケると、全く反応がない、そんな記憶。 授業中でも構わずふざける私がすべることはよくあったのだが、その時はなぜか

          これを成長というなら