小説を書くことー24(シエン)

「私ね、このことは誰にも言ってないの。センにもよ」と言いながら申し訳なさそうに私のほうを見て話し始めました。

「あの日私いつもの散歩コース,ラッティンゲンの森の小径を歩いていたの、それで、ふっと思いついて、頂上近くまで行ったら、ブランコがあって、なんとなく、ブランコに乗って、こいでいるうちに気を失ったみたい。気が付いたときに私市電の停留所に立っていたのよ。もうお昼休みが過ぎていると思って、すぐにラッティンゲン行きの市電に乗って帰ったんだけれど、事務所の中は全く知らない人ばかり。その時に私はもしかしたら、次元の違う世界に来てしまった、ということがなんとなくわかったの。次元が違うといっても、別に怪物も何もいないごく普通の世界のように感じたので、それほど私は恐れてはいなかったけど。ラッティンゲンの市内のB&Bに泊まって次の日も私同じ停留所に行ったの。それとB&Bに泊まった時に現金がなかったけれど、キャッシュカードを見せたら、カードの有効期限はとっくに過ぎているけれど、銀行口座の番号はあっているので有効ですと言われ、翌朝銀行に行って、新しいカードを作ったの。

同じ停留所で私の住んでいたところと違ったのは、皆長方形の箱をもって、熱心にはこの中を見ているの。それに時々その箱をたたいて、何か伝言を送ったり、ある人は独り言を言っていると思ったら、ヘッドフォンのようなものを使って話をしていたの、なんとなく携帯電話の進化したものというのはわかったけれど。B&Bに戻って、新聞の日付を見たら、私が気を失った日の翌日の日付だったけれど、年号は30年先だった。私はようやくその時に30年先を飛び越えてきたというのがわかったの。次の日も同じ停留所にいたの。私が気が付いたときにその停留所に居たので、何かがあると思っていたから。

いつ来ても、違う人たちだけれど、一人だけ老人で同じ時間に市電を待っている人がいたのに気づいた。どこかで会った顔。不思議なのは、その老人は長方形の箱をジーンズの後ろポケットに入れていたけれど操作することはなく、何気なく私のほうをチラチラ見ていた。ほとんどの人間が箱を操作している中でその老人だけは少し目立った。

その日、B&Bに帰ってから、突然思い出したのは、その老人がセンさんだったこと、翌日同じ時刻に停留所に行って老人がセンさん(ミスターサワ)と確認したの」

チンピラが待ちきれないように、聞いてきたのは、センを指さしてこの男が老人で暮らしていて、あんた(シエン)が30年飛び越えて、同じ年齢のままというのはわからないね。突然チンピラは思い出したように、ああ、バック・トゥ・ザ・フュチュアーと同じだ、マーティは未来に行っても過去に行っても年齢は変わらなかった。

「それとスマホとどういう関係があるの」と親分が口をはさんできた。

シエンは話を続けた。

「その長方形の箱がスマホと呼ばれるの。それをもって、過去に戻れば、何かできるかもしれないと単純に思っただけ。その未来機器が私達にジャックポットの番号を教えてくれたの」

「ということは俺たちがその未来に行って、そのスマホを取って戻ってくれば、俺たちは億万長者になれる、ということですね。じゃあ、とりあえずその未来に行った場所を案内してよ」親分の言葉で全員立ち上がりましたが、シエンだけは椅子に坐ったままです。

「ねえ、セン、あなた知っているでしょうあの場所。私はもう行きたくないから、その人たちを案内して、それから帰ってきてよ」

シエンは立ち上がって私をハグしました。

「必ず、必ず帰ってきてよ」と言ってハグに力を込めました。

柑橘系の香水のシエンの匂いが私を包みました。

                           ー続くー


ドイツ生活36年(半生以上)。ドイツの日常生活をお伝えいたします。