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ポケモンパンと愛着について

最近ポケモンパンを買うことが増えた。昔からコンスタントに思い出したら手に取っていたけど、ここ数ヶ月は月に4、5回はまとめて購入している。単純に娯楽が少ないからかもしれない。量はぜんぜん物足りないけど、モノ自体は結構おいしい、大好きなポケモンのシールがついてるし、わりと何が出てもかわいいし、一種の癒しとして機能している。

おとといスーパーのパン二割引きにかこつけて買ったものは、ディグダパピモッチというポケモンのシールが入っていた。前者は知ってる人も多いかもしれないが(筋肉ムキムキのコラ画像が有名)、後者は最新世代のポケモンで、おそらくフォッカチオとかポンデケージョなどのパンがモチーフと思われる犬型のポケモンだ。「モッチ」とあるし、体色てきに見ても後者かもしれない。でも進化するとバウッツェルという明らかにプレッツェルを意識したポケモンになる。進化するとモデルが変わるのはポケモンあるあるだ。だから愛しい。というか、二匹とも完成されたデザインをしているのでとてもかわいい。

が、私は当初、パピモッチのことをあまり好きだとは思っていなかった。彼は現行の最新作「ポケットモンスタースカーレット/バイオレット」に登場する新ポケモンとして、発売前から情報が公開されていた。最初に連れ歩くことになるくさ・ほのお・みずタイプのポケモンと、パッケージを飾る派手めな伝説ポケモン以外に、数匹新規のポケモンが情報公開されるのがこのゲームの慣例になっているのだが、パピモッチは進化先が伏せられた状態でそこにいた。
いや、たしかにかわいいんだけどなんか『キャラ』すぎて『動物』じゃないんだよな、というのが初めて見た際の率直な感想だった。ネットにも、パピモッチに限らず同じタイミングで公開されたポケモンたちに関して賛否両論が飛び交っていた。このポケモンというコンテンツはいつもそうだ。新たに『ポケモン』という枠組みにこの子たちが入ります、仲良くしてね、という感じでお出しされた彼らに、それを見た人から様々な意見が投げかけられる。好意的なものもあれば否定的なものもあり、特に後者にいたっては必ず「こんなのポケモンじゃない」「デジモンじゃん」という種類の文言がつく。そして、ぐちゃぐちゃとした人々の言葉はそのまま、期待や不安と共に新作の発売日がやってくる。

しかしポケモンというのは不思議なもので、プレイしているうちにあんなに違和感があった彼らの存在は、みるみるうちに『ポケモン』の中に溶け込んでいってしまう。今は昔のソフトと違って野生ポケモンはシンボルエンカウント方式なのだが、以前の世代のポケモンと新ポケモンが同じ画面で草むらやフィールドの中にいてももう驚かない。捕獲し、バトルで前からいるポケモンを倒してもなにも思わない。抱いていた違和はじょじょに小さくなり、後には「ポケモンじゃないじゃん」という言葉さえ残らない。
少なくとも私はそうだった。もちろん、今のポケモンのデザインテイストは昔のそれとはかなり異なってきているのは明白なのでどうしても受け入れられない人はいるだろうが、もともと否定派ではない私は、多少はあった違和感をすぐに払拭することができた。なんとなく捕まえて手持ちに入れたパピモッチも、進化して姿が変わってもずっと手持ちにいた。そこにはもう動物っぽくないんだよななんか違うんだよな、という考えはなくなっていて、ただ『愛着』という感情だけがある。

愛着がわく、ということが、私の生活の中ではわりと多い。なんかすごく好き! と思って使い始めていないものが、いつの間にかこの色の感じがいいなとかこのフォルムがよく見るとかわいいとか思えてどんどん大切なものになってきたり、最初はもっとこういう見た目だったらよかったのに……と思っていたキャラクターが展開やグッズを見ているうちに好きになってきたりする。
悪く言えば妥協と同種の、そこまでは言わなくても似た位置にいる概念なのだろうが、わざわざ『愛着』という言葉が存在していることには、きっと意味があると思う。私がパピモッチを好きになったのも、買って失敗したなと思った服が一年くらいたってお気に入りになってきたのも、デジモンのゲームをクリアするために仲間にしたデスモンが最初はまったくかわいく思えなかったけどラスボスにとどめをさすころにはすっかり自分の中でエースに据えられていた、ということも、すべてがその流れの中にある。次は、どんなものに愛着がわくのだろう。


おまけ
デジモンもポケモンと同じで公式サイトに図鑑があってありがた……ありがた……となっている
最近のデジモンまったくわからないが、昔のデジモンだとデスモンを筆頭にあまりゴテゴテギラギラしてない究極体デジモンが好きです(ゴッドドラモンとか)


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