支援者を考える~ASD当事者の立場から その4

 「教員に人権はないのか!!」と言い放った教員について守られ過ぎだという批判的な意見をTwitterで読みました。私はその言葉にゾッとしたという旨のリプをしました。「教員に人権はないのか‼」ーこう記してみますと改めてゾッとしますし、言ってほしくない、または言ってはいけないとも考えています。今回はそう考える理由について考察していきたいと思います。
 Twitterではこの言葉にまつわる状況や事情が評細に書かれていませんでしたが、多分生徒との関わりの中で、生徒に人権があるなら教員にも人権があると考えたのでしょう。つまり、どちらも同じ人間であり、平等という前提で出てきた言葉なのでしょう。それでも、私は「教員に人権はないのか‼」という言葉には共感できません。どういうことでしょうか。
 まず、生徒と教員との関係については、同じ人間ではなく違う人間であり、平等ではないので対等ではないということが言えます。要するに力関係においては、教員の方が生徒よりも上であり、力ある立場ということになります。なので、教員は下(力ない立場)である生徒を対等にする必要性があります。そのためには、教員側にそれだけの制限や縛りが掛かります。これでやっと対等な関係になるわけです。ということは、教員は既に人権を持っており、責任を取らなければならない立場になりますので、生徒に対してはその人権を保障する責任が発生するのです。
 このように考えていくと、「人権はないのか‼」という言葉は生徒と教員では意味が異なることが理解できます。生徒から教員ならば力ない立場が力ある立場に向かって主張することになりますので、了解可能です。しかし、教員から生徒だと力ある立場から力ない立場に向かうことになり、それは抑圧になり得るのです。同時にそれは力ある立場が優位に立つことも意味します。したがって、「教員に人権はないのか‼」という言葉は力ない立場への人権侵害にもなるのです。
 こういう言葉は教員に限らず、支援者側も使いやすい傾向にあります。例えば、私がある専門学校の精神保健福祉学科にいた頃、実習でクラスメイトの女性が男性患者からセクハラだと言ったと意気揚々と話していたことを思い出します。私は実習生であろうと、精神保健福祉士という力ある立場であることに変わりはないから、患者という力ない立場にそう言い放つことには違和感を覚えました。力ある立場ならばいけないことをハッキリ言いつつ、患者の言葉を聴いて別の望ましい接し方を共に考える責任があると考えています。力ある立場は力ない立場からのセクハラだけで済ませてはいけないのです。それは単なる人権侵害です。
 「教員に人権はないのか‼」と言い放った教員も同様です。この言葉にせよ「セクハラ」にせよ、向ける対象が力ない立場であれば抑圧や人権侵害になりますので、言ってほしくないし言ってはいけないと考えるのです。教員や支援者側のような力ある立場は生徒や患者等力ない立場に対し、ハッキリ言うところはあっても、別の解決方法を提案する等の対応を取る責任があります。そして上記の言葉を自身より力ある立場に主張できるような職場環境にしていくことも必要ではないでしょうか。力ない立場に向けたらアウトです。
 ここまで読んでいただいた方に深く感謝申し上げます。


 

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