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学校で「デジタルシティズンシップ」を実践できるのか。

デジタルシティズンシップに関する本を読みました。

僕の認識では、デジタルシティズンシップは「スマホやインターネットが当たり前の現代社会をよりよく生きていくために、必要な態度やスキルを身につけること」だと考えています。もっと簡単にいえば「自立と知恵」です。

デジタルシティズンシップの考え方や学校での実践例について、特に違和感を感じることはありません。授業や講義を聞いたこともありますが、納得のいくものでした。今の学校教育、家庭教育に必要なことだろうなと思います。

しかし、実際に学校教育で実践をしていくには限界があるだろうなというのが私の見解です。

理由は3つあります。

1つ目、学校の教師は、ICTを使うスキルや知識がそんなに高くないからです。「自分はPC苦手だから」「よくわからない」と言って止まってしまう方々は一定数います。「若い人は使える」と言われがちですが、ただ単に学生時代にPCを使っていただけで、スキルの高い人ばかりではありません。つまり、デジタルシティズンシップを語る以前に、ICTのスキルやメディアリテラシーのたりない教師が一定数以上いるので、学校教育で実践していくのは難しいと思います。

2つ目、学校は◯◯教育に溢れているからです。人権教育、平和教育、がんの教育、交通安全教育、金融教育、環境教育・・・挙げればキリがないくらい◯◯教育に溢れています。一つひとつが大切なことは分かりますし、子どもたちのために必要なことだと思いますがあれもこれもしていると、何が大切なのかわからなくなって、結局単発の授業や学習になってしまいがちですし、教師自身も学ぶ余裕がありません。1つ目に書いたような、ICTを使うスキルや知識を集中して学ぶ余裕がない。それは教師の怠慢とかではなく、学校教育全体の課題だと思います。

3つ目、年間の教育計画に入りづらいからです。育てたいのは「態度と知恵」なんですから、一年間かけて授業や学級経営、生徒指導で一貫して育てていくものだと思います。デジタルシティズンシップ教育を年に数回授業で取り上げたところで、浸透するとは思えません。今の学校教育を定めている学習指導要領は「盛りだくさん」すぎてデジタルシティズンシップ教育ばかりをしている余裕はないでしょうし、やるにしても時間が少なすぎます。教育計画に盛り込んだとしても年に数回できたらよいくらいでしょう。

おそらくですが、それだけでは足らないと思います。1年間を通じて子どもたちに語り、子どもたちと考えていく必要があります。このような現状から、デジタルシティズンシップを学校で実践していくのは難しいと考えます。

しかし、デジタルシティズンシップを「自立と知恵」と考えれば、普段の授業、学級経営、生徒指導で育てていくことは可能です。というより、土台ともいえるでしょう。通常の指導と少し違うのが「知恵」の部分。インターネット、一人一台端末を活用するからこそ知っておくべきことは、子どもたちに教えていく必要があり、その点だけは教師の理解も必要です。ですから「デジタルシティズンシップ」を実践するというよりも、年間の教育実践の中で「適宜」学ぶ機会を作っていくというくらいがちょうどよいのではないかと思います。

私自身は、『学び合い』(二重かぎかっこ)の実践をベースにするのが一番手っ取り早いと思っているのですが、これもなかなか浸透していかないんですよね・・・。

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