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前よりも幸せの感じ方が上手になった理由/まーさん


僕たちは生きてることが普通で
"いのち”っていきなり言われても
生きてるのが当たり前過ぎちゃっている


いのちについて教わることもなかったし
いのちについて考えることもない


だから
『命をテーマに語り合う時間』を企画した


僕たち夫婦は
翔(かける)のことがあってから
いのちってなんだろうとか
死ぬってなんだろうとか
そんなことを深く考える時間を持てた…


それによってどうなったかと言うと、
俺自身は凄く生きると言うことに対して前向きになったというか、

前よりも幸せの感じ方が上手になった!



今、コロナのせいでこんな現状があって、
世の中の流れというか、社会がすごく毒されているというか、個人個人の『死生観』が育まれてないから、みんなが情報に振り回されて必要以上に怯えたり不安になったりして、何か違うとこ行ちゃってるなーって個人的に思ってた…


何も考えないでテレビやニュースの報道とか、
社会の流れにただただ流されていくと、何かとんでもない所に行っちゃうような気がする


じゃあなんでそうなるのかっていうと、
お金の話とか性教育の話とか死について、
<本当に大切なこと>がちゃんとみんなの中に届いてないんじゃないかな


僕の話をさせてもらうと、
2年半前に、ある日突然交通事故で大好きなひとり息子を亡くしました。


僕たち夫婦がこの死別から教わったことや、
今でも翔に気がつかされることは沢山あって、その自分たちが気がついたこととか、自分たちが体験したことをただただそのまま自分の中に置いておくんじゃなくて、外に発信していくっていうことで、元気が出たり、あ〜そうだよねって思って人生が楽になるとか、生きやすくなるとか、今の社会の毒された流れの中から抜け出すというか、新しい風を感じて自分の生き方をもう一回改めて見つけ出すみたいなことができたらいいなって思って、今回の『命をテーマに語り合う時間』を企画しました


死について問われるとか、生きてる実感を得る時間を持つってめっちゃ大事!!


もっとみんなが『死』を身近で感じていて、
自分たちが生きている"いのちの時間”について、"自分のいのち”をどう活かすか、みんなはどんな風に考えているの?みたいな話をシェアできると、お互いを知り、理解しあうことができるのは凄くスゴくいいなと思うし、本当に自分が進みたい方向を決めるきっかけにもなる。


だから小学生も保護者もみんなが一緒に"いのち”について考えるって凄く大切なことだと思う!!!


この時間は死別を経験して喪失感に苦しんでいる人たちを救いたいというよりも、もっとシンプルに、

みんなが命の時間が限られてるって理解して、自分たちの人生をどうしていきたいかってちゃんと自分で考えているってめちゃめちゃ大事だよって伝えていきたい!!


死については頭で分かっていても
まだ実感していないっていうのが多分多くて…
例えばご両親だったり、パートナーだったり、子どもだったり、ペットだったり、いろんな命との距離感だったり、その命との関係性だったりでより実感がわいたり、実感がわかなかったりすると思うんですよね


生きる気力が心と体を元気にさせてくれるとしたら、生きる時間を楽しんでいたり、もっとやりたい、もっとこうしたいという生きる時間を充実させることがスゴく大事なんじゃないかと思う


逆にもう充分やったからもういいよって思える
潔さが生き方や在り方としてカッコいいなと思う
 

あの死別を体験した時は本当に苦しかった。
 
 
でも同時に
かわいそうな自分になりたくなかった。
落ち込んだままダメな人間にはなれなかった。


僕は元々好きなことしかやってこなかったという風な自覚もある。


でも翔が亡くなってからは特に、今までと同じことをやっていることが苦しくしかないっていう感じだったんで、自分の命を奮い立たせるという意味でも何か好きなことやるとか、新しいことやるとか、行ったことないところに行くとかしないと、自分の精神状態を保てなかったというか、平常心を保てなかったのでホント瞬発的に、反射的にやりたいことはもうやる!!みたいな感じで、自分の中の優先順位を意識して行動するの習慣が更に加速しました。


みんなが自分の命が限られてるって意識して、
自分のやりたいことをとっととやろうよ!ってなったら、それはスゴく生きる活力になるとか、自分の命のエネルギーになるんじゃないかなって僕は思っていて、

もうやりたいよーにやろーよ、やりたいことやっちゃおうよ!

みたいな感じの軽いノリで、そーゆーフットワークの軽さをみんなにおすそ分けしたいなあみたいなこともあって、このお話会をしたいなと思ったという経緯なんですね。


大切な人がだんだん弱っていく姿を実感するとか、作ったご飯を美味しいと言って食べてくれた人がいなくなった喪失感とか、頭では認識しても体では実感ができない。


こればっかりはホント理屈じゃない!!


これは本当に太いつながりがないと、
関係性がないと実感できないんだよね。


どんなつながりの中でならこの実感ができるのか?

つながりの太さってどうやったら太くできるのか?

どうやったら自分ごととしてみんなが捉えられるのか?

っていうのがこの時間の1つ大きなテーマだなって思ってます


関係性が太いからこそ、より自分事として捉えられるような実感になっていくので、関係性を育てていくというか、進化させていくみたいなことがつながりやコミュニティーの価値なんじゃないかなと思った。


二項対立的に良いところと悪いところを区別するとか、良いことだけを探すって言うのも何か違う気がしていて、災いとか、良くないこと、苦しいこと悲しいこと辛いことさえも絶対プラスに変わるんですよね。


その苦しいこと悲しいこと辛いことをプラスに変えられた時に幸福感って感じられるんだろうなぁと思うんです


こういう安心安全な語り場がそーゆー時間になって、明るく楽しく軽やかにこれからこういう話をあっこと2人でやってみようかなぁと思ってます


僕たちはそういう経験があるので、実体験をした体験者としてより伝わるし、実感した人として伝えられるんじゃないかなぁと思う


ご家族だったりご両親だったりパートナーだったり、子供だったり、ペットだったりとの実感がある悲しみの体験って、僕はほんとにエネルギーになると思うし、エネルギーとして次にいかせて行けたらめっちゃ幸せの感じ方って変わっていくんじゃないかなぁって思ってます


もっともっと
僕たちの命の時間は有限なんだよ、
死ぬことは悪いことなんかじゃないんだよって


だからこそ限られた時間を精一杯生きて、
魂を輝かせていこうって伝えていきたい


文章:まーさん

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