「学校にカネを積む人」を笑えない親たちの実態

全米に衝撃をもたらした大学不正問題
3月、Netflixで「バーシティ・ブルース作戦:裏口入学スキャンダル」というドキュメンタリー映画が公開された。2019年に明るみに出たアメリカでの大学不正入学事件の関係者の証言と再現ドラマを組み合わせたものだ。

この事件は、ウィリアム・シンガーという大学受験カウンセラーが、俳優や経営者などのセレブ親に持ちかけて、子ども1人当たり1000万円~3億円弱の多額の金銭を寄付扱いで受け取ったかわりに、プレーしたこともないスポーツの選手に見せかけたり、SAT等の点数を受けた子ども本人にわからないような形で捏造したりして子どもを有名大学に入学させていた事件。

イエール大学、スタンフォード大学、南カリフォルニア大学(USC)、ジョージタウン大学などの有名大学を舞台に、テレビドラマ「デスパレートな妻たち」などへの出演で知られる女優フェリシティ・ハフマン、「フルハウス」のロリ・ロックリンら有名人を含む33人もの親が逮捕されたことから大きな話題となった。

実はアメリカでは膨大な額の寄付を積んで子息を大学に入れる「バック・ドア」は違法ではない。この事件では、ウィリアム・シンガーが「サイド・ドア」と呼ぶ方法で、膨大な寄付はできないが、それなりの金額を支払うことで点数やスポーツの実績等を詐称したことが問題となっただけで、SNS上ではある意味驚くことではないという反応も多かった。

今年2月に出版され、この事件を扱ったNicole LaPorte著の『Guilty Admissions: The Bribes, Favors, and Phonies behind the College Cheating Scandal』は、大学が資金集めに奔走する一方、ますます多くの高校生が出願するようになり、合格率が下がっていることを指摘。とりわけ白人やアジア系では点数が高いだけでは十分ではなく、ほかの生徒よりも秀でていなくては入試担当者の目に留まらない中で親が不安をあおられている実態を描いている。

同じくNetflixで、「SKYキャッスル」という韓国ドラマがある。日本でもBSで放映されたことがあるが、「SKYキャッスル」でも「バーシティ・ブルース作戦」と同様に、大学受験をめぐり入試コーディネーターという存在を挟んだ親の熾烈なバトルが描かれる。こちらは完全なドラマだが、アメリカ・大学不正事件と共通するのは、高校生の子どものことにもかかわらず、躍起になっているのは親であるということ。そして振り回される子どもはもちろんのことながら、親も、ある意味で教育システムと受験産業の被害者とも言える点ではないだろうか。

ドラマや映画で暴かれる富裕層の桁外れの不正について、一般視聴者は気持ちのよさも覚えるかもしれない。しかし、ここまで極端ではないにせよ、子の教育をめぐって不安をあおられる現状は、日本の親たちにも他人事ではないのではないか。

背景にある2つの格差
このように親が競争に翻弄される様子が描かれる背景には、2つの大きな格差があると筆者は考えている。

1つ目は、事件化するような不正がなくとも、「出身階層が高いほど、子どもの教育で有利になる」という現象は、世界的に起こっているということ。親の学歴や収入が高いほど、子どもの学力や教育達成が高くなりがちだということは、世界の多くの国で確認される。

たとえば、PISAの調査でも、その一端が浮かび上がってくる。OECD平均で、親の階層が高い子どもの17.4%が読解力テストでの成績が最も高いグループに入っているのに対し、階層が低い子どもでは2.9%にとどまる。

日本でも、教育と格差の問題は2000年ごろからよく取り沙汰されるようになり、多くの教育社会学の研究者たちの関心事となってきた。

松岡亮二『教育格差』(2019年)も、親が塾や家庭教師など外部のサービスを使おうと考える志向は1995年には大卒と非大卒で差がなかったが、2000年代以降は大卒層がより積極的になっているなどの傾向を指摘。ただし、親の学歴など生まれた家庭の環境によって子どもが到達する学歴に格差があり、これは戦後ずっと存在すると述べる。

この大きなトレンドは変わらない中で、近年「階層の再生産」議論はより細部に入り込んだ検討がされるようになっている。

たとえば荒牧草平『学歴の階層差はなぜ生まれるか』(2016年)は子どもの進路選択について、親の階層そのものや経済力から学校外教育への投資が直接影響しているのではなく、地位や資源の影響を受けて形成される親の「教育期待」が差を生みだしていると指摘している。

教育社会学者らがこのような調査研究をするのは“階層の再生産”に警鐘を鳴らすためであり、また必ずこうすれば成功するといったものではないのだが、研究者の意に反してこのようなデータや分析結果は、親の焦燥感をますますあおってしまうかもしれない。

もう1つの格差は、階層の再生産が起こっているにもかかわらず、富裕層や中間層の親がその子どもの地位をより確実なものにしようと躍起になる背景として、大学に入る層が拡大する中で「差異化」を目指そうとすること、そして社会の格差がますます開く中で中流階層(ミドルクラス)が脱落を恐れるからだと考えられる。

『Love, Money&Parenting』(マティアス・ドゥプケ、ファブリツィオ・ジリボッティ、2019年=訳書は『子育ての経済学:愛情・お金・育児スタイル』2020年)は、子どもの将来が教育の成功によってどれくらい決定してしまうか、つまり学歴によって収入の格差が大きい国や時代ほど、親が熱心になることを、歴史的な比較や国際比較のデータと著者らの個人的エピソードによって示している。

1970年代は、学歴や学校間の差が大して将来の成功に影響しない西欧諸国では子育てのスタイルはより寛大で、子どもの選択を尊重する傾向が強かった。

しかし、1980年代以降の新自由主義や大学全入時代を背景に、教育の程度や学校による不平等が拡大し「教育の見返りが大きく」なると、親たちはより熱心に干渉しはじめる。

アメリカ・大学不正事件や「SKYキャッスル」でも描かれたように、子どもの入試に対してできることを“なんでもしようとする”親のあり方は、同著が「ヘリコプター・ペアレンツ」と呼ぶ、子どもの上をホバリングする親とも重なる。

日本でも大学や就職の説明会に親が参加するケースが増えていることなどが報じられてきたが、世界的にこのような傾向があり、その背景には社会の格差があるということだ。

世界のミドルクラスの親たちの「戦略」
この世界的な教育をめぐる競争の中で、世界のミドルクラスの親たちは、どのような戦略を取っているのか。母親は専業主婦になり、付きっきりでサポートをしているのか? それとも、共働きでできる限りの教育費を稼いでいるのか。

これまで日本では、女性活躍や少子化対策の文脈で「ワーク・ライフ・バランス」として出産や育児と仕事とのバランスが論じられてきた。私自身も『「育休世代」のジレンマ』で育休明けの女性の仕事と育児のジレンマを書き、その後東洋経済でも連載をしてきた。しかし、「ワーク・教育・バランス」はどうなっているのか。

日本では、たとえば子どもが塾に通うにしても、夕食の弁当づくりやコーディネーター的な役割を親が担っており、専業主婦が支えてきた傾向がある

しかし、外で働く女性が増えてきた中、子の教育に対して力を入れることと仕事の板挟みに遭っていく家庭は増えていくのではないか。

実は、日本ではM字を描いてきた女性の年齢別就労率で、子どもの学齢期にカーブが下がる「キリン型」とも呼ばれる国がある。それが、私がいるシンガポールだ。

シンガポールは国際学力テストであるPISAでつねに上位にランクインし、教育移住の多い国としても知られる。また5世帯に1世帯が外国人の住み込みメイドを雇っており、共働きがしやすい国というイメージもあるのではないか。かつて日本を見習おうとしていた時期もあったシンガポールだが、今や日本が見習う国かのように見える。しかしはたしてすべてがうまくいっているのだろうか。

シンガポールに住んで4年。まだまだ新参者ではあるが、この連載では、生活者として子どもをローカル幼稚園に入れて暮らす中で、そして研究者の卵としてシンガポール人にインタビューをして回った記録から、シンガポールの景色を書いてみたいと思う。

シンガポールの親たちの証言
今後この連載で紹介していく内容を一部先出しすれば、シンガポールの親たちからは次のような事例が見られる。

証言1:第一子を妊娠した途端に、いい小学校に入れる学区に家を買ったの。私は本当に典型的なシンガポール人だから。いい小学校に行けば、いい中学に行きやすい。(30代女性)
証言2:子どもは何回かチャイルドケア(保育園)を転園しているんだけど、その理由は前のところはゆるくて勉強面が心配だったから。中国語や算数をやってくれないと困る。(30代女性)
証言3:メイドと子どもを2人きりにはしない。私は根底のところで彼女たちのことを信じていないから、頼むのは家事だけ。ましてや教育は任せられない。(60代女性)
証言4:息子は「トップスクールに行くと周りにいるのは友達じゃなくてライバル」と言っていた。息子の中学はいちばんいい中学ではないけど、それなりに名前があり、クラスで働いている親は私ともう1人くらい。(40代女性)
証言5:昔は外遊びやサッカーとかもさかんだったけど、今は、みんな点数稼ぎのためにやっている。すべてが手段化していて、合理的すぎる。(60代男性)
もちろんシンガポール人が全員、教育競争で血眼になっているわけではない。階層や人種の差もあるし、たとえば同じ中華系の大卒層の中でもかなりの多様性はある。個人の中でも、競争システムに巻き込まれていくことに対して、本音のところでは「点数だけが大事ではない」「子どもには幸せになってほしい」と疑問を覚えながらも、致し方なく子どものお尻をたたいているというケースも多い。

そこにある葛藤や試行錯誤も含め、日本への示唆になるのではないか。日本は専業主婦前提社会から徐々に共働き社会に移行をしつつあるが、そこでミドルクラスの共働き家庭がぶつかる課題は、他国と同じように「子どもの教育」になっていくのだろうか。

そこでの夫婦の役割分担とはどのようになっていくのか。そしてシンガポールに集まってくるさまざまな国籍の人たちと出会って見えてきた、世界の教育の今後とは。



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