躁鬱回復への道、私の場合

この「みんなのギャラリー」で見つけた写真、カワイイな。

それはおいといて。
最近、うつ病のインフルエンサーさんと繋がることが増えました。私が惹かれてしまうのですよね。彼らが語る事はかつて通った道でもあるし、私が個人的に支えているうつ病・躁鬱さん達にかける言葉に似てるから。

ただ、微妙に違うと思うこともある。それは個人の特性や、あちらがうつで私が躁鬱っていうのも関係していると思う。うつ病はわりと似たような経過を辿って回復するけど、躁鬱はまちまちなのです。

ずっとツイッターで呟いていましたが、文字数制限が非常にうっとおしいので、こちらで一気に書いていこうと思います。

Ⅰ.躁鬱になった経緯
私に最初の兆候があったのは、実は小学校5年の時です。授業中に眠くなることが増え、中学卒業の頃にはほとんど寝てばかりでした。
一番の原因は、おそらく親です。暴力もあったけど、モラハラもすごかったからね(いつか話す)。
この状態が続いたまま大人になり、酒・たばこ・コーヒー・栄養ドリンクでしのいでいましたが、気が抜けた瞬間に一気に発狂。仕事は不当解雇されました。

Ⅱ.躁鬱脱出のきっかけ、やったこと
まず初期にやったのは『アルバイト』です。
イベントのバイトは月に1,2回程度。うつ病でも行けそうな感じです。あと、どうしても社会に繋がっておきたかったのもあります。
私は結果がすぐに出る接客業が向いていたようで、コツをつかんでからは自信をもって振舞えるようになりました。

もう一つが小説。
ちょっとしたきっかけで小説を書くようになると、私と似た境遇の若い子が集まり始めました。
まず表現することが楽しかったし、彼女たちの悩みを聞くことで、自分を振り返ることもできました。

更に、Ingress(位置情報ゲームの先駆け)。
まず、「大人も子供も遊んでいい」というのを教えてくれたのがこのゲーム。『大人はひたすら我慢せにゃいかん、大人が遊ぶなんぞもってのほか』と、しつこく父に言われていたのですよ、幼少期から。
全部嘘だった。大人も子供も平等だった。このゲームによって、認知のゆがみの大半が修正されました。

そしてカウンセリング、デイケア。
カウンセリングは、たまたま相性が良かったです。吐き出すというより、私の哲学を語り、正しいか場所として非常に有用でした。
私の行ったデイケアは、エアロビクス、自己分析、模擬プレゼン等、かなりプログラムが充実していました。特に意味があったのが『模擬プレゼン』。私はもともとプレゼン力が高いらしく、ADHDの整頓術を発表した資料は「今後の指導の参考にさせてくれ」と、ケアスタッフさんにお願いされお譲りしました。

Ⅲ.結局はストレス源を切り捨てた
私は34くらいの頃に結婚したのですが(実は、合意した記憶がないんです)元夫は自分のことしか考えられないタイプでした。
ストレスが極まったのか私は関節リウマチで歩行困難になり、足を引きずり歯を食いしばって実家に逃げ帰り離婚しました。
一旦よくなった関節リウマチでしたが、両親は以前より毒を増してしまいた。母に治療費を巻き上げられそうになり、ここからも逃亡。むしろ放棄。ちょうど新しい彼ができ、香川で暮らすというので両親に住所を告げず引っ越しました。
そして、病気はほぼ回復して現在フルタイムで働いています。


参考にならないほど波乱万丈ではございますが、今の私はこういう事の積み重ねで出来上がっています。
各章については、後々に深く掘り下げる必要がありそうですね。

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